【第1の秘密】子どもに委ねる
転んで学ぶからこそ、強くなる
― 渋幕では「子どもに委ねる」ことを大切にしているそうですね。それはなぜなのでしょうか。
佐藤さん:自分で決めて、初めて、主体性が育つからです。渋幕の先生は、転びそうなときに杖を差し出すのではなく、転んでみることでしか学べないことがあると考えているので、先回りして「これをやりなさい」「こうしたほうがいいよ」とは言いません。もちろん、法律に反したり、危険だったりすることは止めます。ただ、それ以外は子どもに委ねています。

― でも、勉強や部活動でうまくいかず、困っているお子さんもいると思います。そういう場合も見守るのですか。
佐藤さん:例えば、部活動で部員のマネジメントに悩んでいた生徒がいました。部員が次々に辞めていき、本人は先生に相談しましたが、「あなたはどうしたいの?」と問われるだけで、具体的な答えはもらえませんでした。当時は「答えがほしい!」と思ったそうです。それでも、後から振り返ると、その経験が大きな学びになったと話していました。
― 失敗も成長の一部なのですね。
佐藤さん:そうです。渋幕の先生たちは、生徒の不安や焦りに気づきながらも、あえて答えを与えずに見守ります。全国の先生方も「待つのは一番難しい」とおっしゃいますね。でも、子どもが「本当はどうしたいのか」と考える時間を持つには、大人が待つ覚悟を持たなければなりません。
親も「待つ力」を持つために
― 親としても、待つのはなかなか難しいものです。
佐藤さん:子育ての「ビジョン」を持つとよいかもしれません。本当に大事にしたいことを明らかにした上で、何でも「危ないからやめなさい」と注意するのではなく、「何が本当のリスクなのか」を整理しておくと、子どもの挑戦を見守りやすくなります。
渋幕では修学旅行や遠足も「現地集合・現地解散」。最初は驚く親御さんも多いですが、子どもたちは電車の時刻を調べ、友達と相談しながら目的地にたどり着きます。その姿を見ていると、子どもはいくらでも成長できるのだと感じます。
【第2の秘密】ゆっくり育てる

基礎を積み重ね、自分で気づく力を育む
― 渋幕は2025年3月時点で、東大合格者数が14年連続全国トップ10ですが、「ガツガツ勉強させる」のとは真逆で、「ゆっくり育てる」そうですね。どのような背景があるのでしょうか。
佐藤さん:私も取材するまでは、高度な授業が行われているのだろうと、正直ドキドキしていました(笑)。ところが、実際に教室をのぞいてみると、音読を丁寧に繰り返したり、英語の簡単なフレーズを一つひとつ確認したり、実験をじっくりしたり、基礎的なことを着実に積み重ねていく授業だったのです。
実験は、手順と結果を教えてしまったほうが効率的なように思えますが、子どもたちが自分の手で試し、失敗を繰り返しながら仮説を立て、結果を導く過程を大切にしています。詰め込みで知識を覚えさせるよりも、時間をかけてでも自分で考え気づく力を育てることを優先しているのです。
「自調自考」が支える長い人生
― 基礎を大切にし、自分で考え気づく力を育てる授業が、渋幕の教育理念「自調自考」に裏打ちされているのですね。それは受験勉強にもつながっているのでしょうか?
佐藤さん:そうですね。「自調自考」には大きくふたつの意味があります。ひとつは、自分自身を見つめる力。自分が何をしたいのか、どの方向へ進みたいのかを認識する力です。もうひとつは、それを実現するために自ら調べ、考え、行動していく力です。このふたつが育つことで、学びが深まり、将来の目標に向かって自分の足で進めるようになります。
生徒たちは、目標を見つけると、自分の力で学びを深めるようになり、進路を考えるときも「自分はどうしたいのか」という問いに向き合えるようになるのです。東大を目指す生徒も、ステータスではなく「東大に行きたい」と真に自分で決めるからこそ頑張れるのだと思います。誰かに強制されるのではなく、自分で見つけた目標に向かって学ぶ。その結果、東大合格者数の実績にもつながっています。
大学受験はあくまで通過点です。受験までに成長が間に合わない生徒もいますが、最終的に社会に出て「自調自考」の姿勢で生きていけることが大切だと考えています。
焦る保護者には教員が何度も対話
― 短期的な成績より、深い学びや根のある成長を大切にしているのですね。でも、保護者は焦るのではないでしょうか?
佐藤さん:中学受験までの勉強の仕方とは大きく変わるので、不安になるのも無理はありません。焦らずに少し長いスパンで子どもの様子を見ていただくようにお願いをします。そうすると、次第に安心していく方が多いですね。それでも不安が残る方には、自調自考の力を育てるための大切な時期であることを何度もお伝えし、納得されるまで先生方が丁寧に対話を続けています。
面談が1時間以上になることも珍しくありません。「心配なお気持ちはよくわかります。でも、生徒たちは必ず伸びていきます。信じて見守りませんか」と寄り添い、保護者と一緒に考えながら進めていきます。子どもをともに支える仲間として、保護者も自然と学校に関わっているのが印象的です。
【第3の秘密】多様性と自己決定

英語で自己紹介。それもOK!
― 渋幕の教室で、さまざまな個性や考えを持つ生徒たちが、それぞれのペースで過ごしている様子が伝わってきますね。実際、生徒たちはどのような雰囲気の中で日々を過ごしているのでしょうか?
佐藤さん:卒業生の講演会の後、質疑応答の時間に、ある生徒が手を挙げて英語で自己紹介し、堂々と質問していました。英語で発言しても「目立ちすぎだ」などと言われない、自分を出せる雰囲気があります。
授業中も、先生がふと問いかけると自然に意見が飛び交い、話し合いが始まります。授業中、生徒同士が対話するのは当たり前。それぞれの意見が歓迎される雰囲気が醸成されています。
「ちょっと変わっている子」が安心できる
― そんな雰囲気の中で、子どもたちはどのように自分の将来や社会に向き合うようになっていくのでしょうか?
佐藤さん:中学1、2年生の間は、具体的な進路を考えるよりも、まず自分を理解することに時間をかけます。自分はどんな価値観を持ち、どう見られているのか、じっくり内省して土壌を耕していくのです。
高校に進むにつれ、社会に目を向ける機会も増え、進路につながるような講演会やセミナーにも参加するようになっていきます。ただし、全員必須参加ではなく、興味のあるものを選べるようになります。自分で決めていい空気の中で、少しずつ自ら動きだせる子が増えていきます。
後から振り返ると、その経験が大きな学びになったと話す卒業生もいました。先生は干渉も管理もしない、でも一人ひとりをよく観察している。生徒の小さな悩みや個性に気づき、卒業後の進路まで覚えているほど生徒をよく見ていらっしゃいます。
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子どもに委ね、じっくり育て、多様性を認める渋幕の教育からは、家庭や親としての関わり方にも多くのヒントが見えてきます。後編では、渋幕の教育の根底にある「自調自考」を、家庭でも実践するための考え方や声のかけ方、そして学校選びの際に知っておきたい視点について、佐藤智さんにさらに詳しくお話を伺いました。
後編はこちら
お話を聞いたのは
両親ともに教員という家庭に育ち、教育の道を志す。横浜国立大学大学院教育学研究科修了。中学校・高校の教員免許を取得。出版社勤務を経て、ベネッセコーポレーション教育研究開発センターにて、学校情報を収集しながら教育情報誌の制作を行う。その後、独立し、ライティングや編集業務を担う株式会社レゾンクリエイト(http://raisoncreate.co.jp)を設立。全国1000人以上の教員へのヒアリング経験をもとに、現在は教育現場の情報をわかりやすく伝える教育ライターとして活動中。著書に『渋幕だけが知っている「勉強しなさい!」と言わなくても自分から学ぶ子どもになる3つの秘密』(飛鳥新社)、『SAPIXだから知っている頭のいい子が家でやっていること』『公立中高一貫校選び後悔しないための20のチェックポイント』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。
取材・文/黒澤真紀