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場面緘黙(ばめんかんもく)は不安障害の一種。ある特定の場面や状況で話せなくなる
場面緘黙は、不安障害の一種です。家庭では話せるけれど、学校では話せないなど、ある特定の場面や状況では話すことができなくなってしまうのが特徴です。頑張って話そうとすると不安や緊張感が高まります。原因や発症メカニズムは明らかになっていませんが、不安になりやすい気質や心理学的要因、社会的要因などさまざまな要因が複合的に影響していると考えられています。
ブログやインスタで「場面緘黙次女ちゃん」シリーズを描き、まだまだ世に知られているとは言いがたい場面緘黙について発信を続けているまりまりさんにお話を伺いました。
次女は幼いころから人見知りで、慎重なタイプ
次女は幼い頃から、人見知りが強く、慎重で新しい環境に慣れるのに時間がかかるタイプでした。保育園のころ、長女が通う小学校の運動会に行き、未就学児向けのプログラムに参加させたら固まってしまって…。友だちはみんな楽しそうに参加しているのに、次女だけは下を向いて緊張していました。
でも保育園では、友だちや先生と楽しそうに話したり、遊んだりしています。運動会での様子を見たときは「緊張しているのかな?」と思う程度で、あまり気にしませんでした。
就学を意識した言葉かけがプレッシャーになったのかも…
保育園の年長クラスになって数ヵ月後。「保育園に行きたくない」と言うようになりました。これまで、そんなことはありませんでした。今、思うと保育園の先生や私から「もう小学生になるんだからちゃんとしないとね!」「小学校と保育園は違うんだよ!」といった就学を意識した言葉かけが、次女にとってはプレッシャーになっていたのかもしれません。
夫の仕事の都合で、小学校はドイツの日本人学校に入学
卒園後は、夫の仕事の都合で1年間、家族でドイツに行くことになり、小学校はドイツの日本人学校に通うことになりました。そのころはまだ場面緘黙の症状はなく、私としては「上の子も一緒だし、事前に子どもたちには話しているから大丈夫!」と思っていたのですが、次女は急な環境の変化に心がついていけなかったのかもしれません。
次女は、家庭の中ではよく話すけれども、ドイツの小学校では友だちと話さないんです。友だちに「バイバイ!」と言われても、固まって無言になってしまいます。
担任の先生に聞くと、先生には必要なことは耳元で小声で伝えるそうです。
私はインターネットで調べて「もしかして場面緘黙かな?」と思い、スクールカウンセラーに相談したのですが「日本からドイツに来て、また日本に戻るという特別な環境だから、少し様子を見ましょう」と言われました。
小学2年生で日本の小学校へ。場面緘黙をさらに疑う
日本に帰国したのは、次女が小学2年生になったときです。日本の小学校に転入しても、次女は友だちに「おはよう!」と挨拶されても、固まって下を向いていました。友だちに話しかけられても、下を向いて黙ったままです。そのころから私は「やはり場面緘黙では?」とさらに疑うようになりました。固まり方が人見知りというよりも、病的なものに感じたのです。
担任の先生に言うと「でも登校できているし、勉強にもついていけています」と言われて、心配ないという感じです。担任の先生は、おとなしい性格の子と思っていたようです。
小学校で持ち物がなくなり、「私ってダメだね…」と言うように
話しかけても無言でうつむいたり、無表情なので、友だちはだんだん距離をおき、次女は休み時間はひとりで過ごすようになっていました。
ある日、次女の持ち物が小学校でなくなりました。担任の先生から連絡を受けて、話を聞くと2年生がほとんど使わないトイレで次女の持ち物が見つかったと言うのです。その後も、次女の筆箱がなくなったりしました。次女自身も「私ってダメだね…」と言うようになりました。話したくても話せない自分に、自信を失ってしまったようでした。
給食の「量を減らしてほしい」と伝えられず、頬張ったまま帰宅したことも
給食も、最初から先生に「量を減らしてほしい」と伝えることができず、残したくてもそれが言えずに…。口の中に給食を頬張ったまま帰宅することもありました。
そんな生活が続き「どうにかしないと!」という思いで、初めて受診を決意しました。
検査から3カ月後に、場面緘黙と診断される
受診するのは正直、勇気がいりました。医師から「登校しているなら大丈夫!」と言われて、前に進めないかも…と心配でした。
でも、うちから通いやすい場所に児童精神科のクリニックがあったので予約。医師にこれまでのことを話すと「多分、場面緘黙症と言ってよいと思います」と言われて、心理検査などをしました。場面緘黙と診断されたのは検査から3ヶ月後。小学2年生の2月でした。
次女自身も、話したくても話せないのは自分のせいではなく、病気が原因とわかって納得したようです。
小学4年生から通級に。次女への理解が深まる
場面緘黙と診断されて、次女は小学4年生から週1回、通級(ことばの教室)に通うことになりました。診断されてよかったのは、学校と連携がしやすくなり切れ目ない支援につながったことです。それまでは担任の先生が代わると、引継ぎがされていないこともあったので…。通級の先生、担任の先生、医師などと連携して、何かあれば相談できるので私一人で悩まなくてよいと思うと気持ちもラクになりました。
今春から中学1年生に。クラスの子とLINEを交換!
次女は2024年4月から中学1年生になり、中学校に通っています。小学校高学年のときは一時、登校渋りがあって心配したのですが、中学は今のところ通えています。新しい環境になったことがよかったようで、この間は「クラスの子とLINE交換したよ」と嬉しそうに報告するので驚きました。
同じ小学校だった友だちが、次女のことを「〇〇ちゃんは絵がうまいんだよ~」と新しい友だちに紹介して、橋渡しをしてくれているようです。
話さないのではなくて、話したくても話せない
場面緘黙の子は、話さないのではなくて、話したくても話せないのです。表情も暗かったり、話しかけられると固まったりするので、友だちから距離をおかれることもあります。
次女の場合、学校に行くことや勉強自体は目立った問題がなかったので(5年生時にいろいろありましたが…)、学校の先生や発達支援センターの方から「一人が好きなのでは?」と誤解されることも多くありました。甘えなのでは? 話せないことくらい、大したことではないのでは? そういう風に思われたことも、思ったこともありました。
でも違うのです。次女に意志を確認すると、「…ふつうに話せればよかった」「学校のみんなと話せるようになりたい」と、ちゃんと思っているのです。
私も場面緘黙とわかるまでは、社交的な性格の長女と比べて「なんで友だちと遊ばないの?」と言ってしまったことがあります。「挨拶しなさい」と注意したこともあります。
でも場面緘黙とわかってから、長女やまわりの子と比べるのをやめました。
次女は、小学生のとき1日1回、授業中、手を上げると自分で決めていた時期があります。担任の先生から報告を受けて知りました。それは次女にとっては、すごいチャレンジだったと思います。
次女は、本当は好奇心旺盛でいろいろなことにチャレンジするのが大好きな子です。がんばりたい。でも他の子みたいにできない、話せない。きっといつも、できない自分と葛藤しているのだと思います。それでも少しずつ、時には戻りながら、彼女なりに前へと踏み出しています。次女のチャレンジや成長をこれからも見守り続けたいと思います。
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お話を伺ったのは…
2人の女の子のママ。オフィシャルブログ「まりまりのはなし」で次女の場面緘黙をマンガで紹介している。
※参考:厚生労働省「場面緘黙症の実態把握と支援のための調査研究」
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/202018006A-buntan4.pdf
取材・構成/麻生珠恵