16歳、自閉スペクトラム症のパティシエ・みいちゃんの母の子育てポリシーとは?「学校は選択肢の1つ」「自分の行きたい道で1日を楽しく」

16歳のパティシエ・みいちゃんが店長をつとめる滋賀県近江八幡市にある小さなケーキ屋『みいちゃんのお菓子工房』。発達障害の特性を抱え、さらに不登校など、さまざまな困難があったにも関わらず前向きに活動し、今や同じ特性を抱える親子の目標ともなっているみいちゃんについて、母・杉之原千里さんにお話を伺いました。

自閉症スペクトラム症『場面緘黙症』などの特性があるみいちゃん

『みいちゃんのお菓子工房』で、パティシエとして活躍する現在16歳のみいちゃん。現在21歳のお姉ちゃん、双子のお兄ちゃんとの、3きょうだいの末っ子です。お母様から見たみいちゃんは、幼いころから強いこだわりや癇癪があり、保育園の先生からのアドバイスもあって病院を訪れたところ、自閉症スペクトラム症という特性を持っていることがわかりました。

左がみいちゃん、右は双子のお兄ちゃん
左がみいちゃん、右は双子のお兄ちゃん

――みいちゃんの特性について教えてください。

千里さん 「自閉症スペクトラム症という大きな枠のなかに、『場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)』の症状があり、自宅以外の緊張が強い場面では体が自分の意思で動かなくなり、声を発することが難しくなります。ほかの特性も強く、発達障害知的障害を持ち、潔癖症でもあります」

グレーという概念がなく完璧を求める

発達障害特有の集中力の強さやこだわりも顕著にあるそうで、何事も白か黒。グレーがないため、完璧を求め、1位にならないと意味がないというみいちゃん。物事に対しての “楽しい”とか“嬉しい”とかいうのがわからず、数字で表されるものしかわからないと言います。

千里さん 「例えば「これやってみてどうだった?」と聞いたときに、数字で「8点だったよ」とは表現できますが、「楽しかった?」と聞いても、“楽しい”がわからないから全部「普通」と答えるんです。頭のなかが全部数字で出来上がっている感じで、そのほうがわかりやすいよう。今はそれらと共存しながらやっています」

さまざまな経験をさせるなかでお菓子作りに出合った

――お菓子作りを始めた経緯は?

千里さん 「元々お菓子が好きだったかというとそうでもなくて、保育園の時期からクッキー作りなどお菓子作りを一緒にしてきた流れからでした。

みいちゃんが作るホールケーキ

子どもっていろんな経験をさせてあげた中からしか、自分のやりたいこと、将来の夢って選べないんじゃないかと思います。そこで、選択肢が増えるようにと与えてきた遊びのなかに、たまたまお菓子作りがあったんです。

小学4年生のときには不登校も経験し、そのときはご飯作りをさせました。家でご飯を作ってくれるのはすごく助かったんですが、そのうちご飯よりも可愛くて、喜んでもらえるケーキやお菓子を作る方が楽しくなって、ご飯は作ってくれなくなりました(笑)」

好奇心があるうちに習い事や美術館巡りなどを経験

――経験値というお話がありましたが、習い事はやっていましたか?

千里さん 「習い事は結構やらせていて、スイミング、習字、部活のバレーボール、マラソン、英語。 やらせてみるとこの子はこの才能の芽が出そうやなとか、苦手っぽいなど親の感覚でわかるので、無理そうならすぐに辞めたらいい

みずき(みいちゃん)は新しいことには抵抗はなかったですね。やっぱり好奇心があるうちにやらせないと嫌になっちゃうんですよ。小学校低学年ぐらいの時にやらせてあげると、本人も抵抗なく受け入れると思います。

あとは美術館系を見せに行っていて、全然関係ないような盆栽を見に行ったことも。感性を養うためにいろんなきれいなものを見に行っていました。結果として、あの子はすごい吸収していましたね」

家で本を読むみいちゃん
自宅で勉強をするみいちゃん

苦労した一人目育児で“学校に行かないといけない”という考えは捨てた

――確固たる方針があるように見えますが子育てについてはどこかで学ばれたのですか?

千里さん 「一番上のお姉ちゃんの子育てが最もつまずいたというか、彼女も不登校だったんです。すごい元気な子だったのに、中学校でいきなり行かなくなって、どうやっても行ってくれなかったので、そこで気づいた。

学校だけがすべてではなく、学校に行けない子もいるんだなって。あとは不登校児の親はすごい大変だということもわかりました。私自身も想像を絶する大変さで、これは経験しないとわからないことでした。「なんで行かないの?」と聞いたり、友だちに原因があるのか、いじめがあったのかを聞いたり、先生ともたくさん話しました」

考え方を変えたことで親子ともに楽になった

千里さん 「子どもの心の痛みが親にとってはとてもきつくて、だから考え方を変えたんです。まずは“学校に行かないといけない”という考えは捨てる。我が子も含めてどうしても行きづらい子はいる。なぜ行きづらいかとか、そんなことはどうでもよくて、“自分の行きたい道で1日1日を楽しく終える”。

この経験があったからこそ、みずきを含む双子の2人が不登校になったときには、最初から子どもの目線でしか考えませんでした。学校は数ある選択肢の1つぐらいの位置づけで、みずきがやりたい!と選択したのはお菓子。そこを集中して好きなことをやっていこうかって。

――悩むことはなかったのでしょうか?不安に思ったことは?

千里さん 「学校に行かないことで、将来を不安に思うことももちろんありました。でも気づくんですよ。不安がって学校に行く行かないともめていることは、親子にとってよくなくて、抜本的な解決にはつながらないって。時間もかかるし、本人も行きたくなくてそうなっているわけじゃなく、なにか心に抱えているものがあって行けないわけなので、あまりにも“行けないこと”に集中しすぎるとお互いにしんどくなる

自分が経験して出した結論は、あれは意味のない苦労やったと。全然解決しないことをやってたかなっていう感じで、それなら違うことを考えたほうがいいと思いました。

これはね、自分で経験しないとわからへんと思うんですけど、最初からそれぐらいの気持ちで子どもたちに接するほうが楽しいし、ラクです。そして子どもが成長します

不登校を決意した我が子が素晴らしいと思えた

千里さん 「だからみずきから小学4年生で「学校に行かない」と告げられたときは「ついに来たか!」って。自我の目覚めというか、親である私自身は学校に行かないと選択できる自信がないから、それを選んだ我が子が素晴らしい!って。夢の一歩ですよね」

――不登校となると自宅でのサポートも必要になりますが、仕事はどうしていましたか?

千里さん 「営業職をしているんですが、何年か前から勤務がだいぶゆるくなり、在宅でできたり、出勤時間をずらせたりするので、子どものことも対応することができたのも大きかったと思います」

学校ではなくお菓子作りを選択!そこからパティシエの道へ

お菓子作りを始めてからは、持ち前の集中力の高さと完璧を追求する特性、そして見たもの食べたものを再現できる優れた記憶力によって、その腕前がどんどん上達したというみいちゃん。それからカフェをオープンさせて自分の工房を構えることになるのですが、これらのお話は後半編でご紹介します。

記憶力がいいから再現性があり、コツコツと作業をするのが好きなみいちゃんのための居場所を作ったらそれが「お菓子工房」でした。すべてが必然で繋がっているみいちゃんの現在のお話【後編】はこちら

 

みいちゃんのお菓子工房

月に6回ほど不定期開店。オンラインショップで全国発送もしている。

公式サイト→:https://mi-okashi.com/ 
公式Instagram@mizuki.okashi.koubou
みいちゃんInstagram@mizukimm0817
千里さんInstagram@_chisato_sugi

取材・文/長南真理恵

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