LITALICO長谷川敦弥さんに聞く「幼い頃の失敗から生きにくくなる子も。子どもたちの個性を生かす教育とは」

LITALICO代表取締役の長谷川敦弥さんは、「障害は人ではなく、社会の側にある」をメッセージとし、社会の側にある障害、中でも教育と仕事に関する障害について、解決していこうと走り続けています。中でも、調査研究機関も持つLITALICOの代表として、長谷川さんが語ってくれた発達障害と統合失調症との関係については、ショックを受けます。そして、そこから導き出す教育のあり方は、すべての保護者の皆さんの心に響く内容です。ぜひ耳を傾けてください。そして、我が子に何を授けたらいいか、一緒に考えていきましょう。

自己肯定感が持てず、町中の音が自分の悪口に聞こえる……

――LITALICOには、障害のある大人の方も多く登録していますね。

利用者の方は発達障害や精神障害の方が多くその中でも特に統合失調症の方が多いです。統合失調症は幻聴が聞こえる、幻覚が見えるなどの症状がでる精神疾患の1つです

僕は素人でこの業界に入ってきたので、ご本人がどういった経緯で発症に気づいたのか、どういう困りごとがあるのかなどをサービスに活かすためにも詳しくお伺いしたく、一人ひとりインタビューをしました。そうした中で、17歳のときに統合失調症を発症した方のお話を聞く機会がありました。

「自分は小学校2年生くらいから勉強がわからなかった。わからないまま学年だけが上がっていって、バカにされ続けた。親もお兄ちゃんと比較して『ダメ』と言い続ける。ストレスを感じて中学生のときに親を殴ったら、親から継続的に虐待を受けるようになっていった。そして、高2のときに町を歩いていたら、町中の音が自分の悪口に聞こえるようになってきた」

 

その話を聞いて彼にとっての「障害」ってなんだろう……と考えました。精神障害や発達障害の医療には、まだまだ解明できていないことが多いのですが、僕は、彼に合った教育環境が社会になかったのが障害に関係しているのではないかと思ったのです。そして、その後も様々な方にインタビューをし、それぞれの方の困りごとがある中で、ある共通の課題があることに気づきました

 

 

幼い頃の教育や生活環境が障害に大きく関わっていると感じる

精神疾患が重い人の中に、幼い頃の失敗体験が重なっている方が少なくない。いじめ、勉強についていけない、友人関係に困難がある、家庭で虐待を受けている……。精神疾患になる手前の教育や生活環境を変えていかないと、障害も変わっていかない。それだけ幼い頃の教育や生活環境は、障害について大きな影響を持つのではないかと想像しています。

障害のある方でもパワフルに生きている人も多く、そうした方はご自身に合う環境で生まれ育ったという印象の方が多いです。中でも、教育は持って生まれた困難を克服できる力になります。しかし、やり方がその人に合っていないと、むしろ自己肯定感や生きていくエネルギーを奪ってしまうものになります。幼少期の教育や環境は、特性の理解と環境の調整で困りごとを減らすことが重要だと、考えています。

 

個性を生かす教育を始めたら、あっという間に15000人待機!

 

 

 

 

 

 

当社ではLITALICOジュニア(お子さまの可能性を広げるソーシャルスキル&学習教室)やLITALICOワンダー(IT×ものづくり教室)という学習サービスを行っています。一人ひとりの個性に合わせたオーダーメイドの学習機会を提供していますが、サービスを開始したとたん、申し込みが殺到しました。これまで発達障害の子どもたちが、適切な教育を受けられる選択肢があまりなかったんですよね。

 

LITALICOジュニアでは今、9000人の子どもたちが学んでいて、1万5000人が待機しています。一人でも多くの人にサービスが届けられるよう、教室の新規出店も積極的に行っていますが、残念ながら教室によっては5年以上待たないと入れないというところもあります。以前に保育園の待機児童が社会問題化したときに、東京都全体で保育園の待機児童が1万数千人、と言われてました。が、それと比較しても、「発達障害の子それぞれに合った教育サービス」は、ニーズが高いことがわかりますので、企業としてもっとどう努力すべきか皆で議論し、当社の教材や研修ノウハウを、他の福祉施設や学校様にも提供していく取り組みも開始しています。

――どんな学習をするんですか?

LITALICO側がまず、その子をよくアセスメントして、一人一人の学習特性や躓いているポイントの背景要因や興味関心のありかを探ります。そして、その子が学びやすい学習方法を見出し、ソーシャルスキルや読み書きや計算能力などを身につけます。

学びの順番や時間の使い方などもその子に合わせます。幼いときのトレーニング次第で、たとえば話せるようになるかならないかということ変わり、それが人生の質に影響を与えると思います。

やりたいことから始める学びなら集中できる!

一方で、小学校の勉強は苦手でもゲームにはすごく熱中したり、恐竜にハマる、ロボットにハマるっていう子がいますよね。そういういいところをもっと伸ばせないかと考えて、LITALICOワンダーを作りました。机に向かう勉強だと数分の集中でも難しい子が、うちのプログラムでは3時間ハマってロボットやゲームを作ったりするんですよね。好きなものにハマると元気になっていって、ゲームをもっと作りたいから、先生に質問するようになる。そこにいる友達と関われるようになる。将来こんな専門学校に行きたい、そのためにはいやだった勉強もがんばってみようとか。不登校でも学校に行ってみようということにつながったりします。

 

――多くの学校だと、なかなかそうなりませんよね。まず時間割どおりに基礎的な計算や読み書きを集団でやる。それが終わってから好きなことをしましょう、という順番になりますね。だから、発達に特性があると、好きなことにたどり着かず、基礎的な学習も身につきにくい……。

一言でどんな教育が正しいのかは、なかなか難しいですね。そもそも「何が必要な能力か?」と言うこと自体も、ますます多様化しており、全員にとって正解だと言えるものは存在しないと考えています。

ただ、何を置いても一番重要なのは、「子どもの心が元気」だということじゃないでしょうか。

明らかに心砕かれ、自己肯定感や尊厳が喪われた状態で、「この順番で覚えなさい」と言っても効果がない。言えば言うほど本人はやる気を失い、尊厳を失うことも多いです。学校が決めた学ぶ順番をもっと柔軟に運用できるようにすべきではないか、と思います。心の元気を失った人が、もう一度元気を出すのはすごく時間がかかったりする場合もあります。逆に心が元気で、あれやってみたい、これやってみたいという好奇心や挑戦心があれば、順番通りでなくても、自分らしい人生の創造にむけて学び続けていくことができると思います。

 

教育って、供給者目線になりがちだな、と思うんですね。「決められたやり方があって、 それに適応できたら優秀! できなかったらダメ!」って乱暴だなぁって思います。本質的にひとりひとりの学ぶペースや学び方法って別々じゃないですか。先生の仕事は、本来はその子に合わせた学習方法を開発していったり、心の活力が溢れていく方向に動機付けしていくのが役割だと思うんです。そこに先生としての努力の発揮どころがある。

 

ひとクラス1520人だったらもっと個性を生かす教育ができるのでは?

――学びに特性がある特別支援学級のお子さんは、そのような学び方をしますね。

個別計画を立てることは、特別支援学級では義務化されていますからね。僕は、通常の学級でも同じようにひとりひとりの学びの個別計画を義務化したほうがいいと、文部科学省に提案し続けています。そうすると、特別支援学級の子も、特別ではなくなりますね。全員がスペシャルメニューで勉強することになります。

 

だって、人は誰でもなにかしら個別的なものを持っている。それを生かした勉強をしたほうが効果の点でもいいわけです。

――でも、学校の先生はそれでなくても多忙で、なかなかひとりひとりに合わせた授業をするのは難しいですね。

それは僕も同感です。先生の持っている業務が多すぎる、少し手放してもらわないと大変です。部活の顧問、学校のホームページの更新、教育委員会のレポート……、それでも時間が足りないですよね。そもそも、先生ひとりに生徒35人が荷が重いのです。1対20、できれば1対15くらいなら、もっと学校も変わると思います。

 

 新卒でなくて、いろいろな経験をしてから先生になってはどうか

――私立の学校なら、勉強のレベルや生活環境の似ている子が集まり、生徒側も学校の特徴に共感して入学するわけですから、入り口のところでセギュメントされています。けれど公立の学校はだれでも受け入れるところによさがあり、それだからこそ、よけいに先生は大変ですし、スキルも包容力も必要なのではないでしょうか。

公立の場合は、その環境を当たり前として、教員養成をしないといけないわけですよね。新卒で教員になるより、例えば、うちのLITALICOジュニアのようなところで1,2年実習してから公立学校の教師になってもいいんじゃないかと思います。いろいろな経験を積んでから30歳で教員になってもいいんじゃないって。

 

社会での経験が少ない状態で担任になって、生徒にも保護者にもうまく対応ができずに悩んで……。先生も被害者かもしれません。教員の養成カリキュラムなどをもっと実践的な経験が積めるカリキュラムに見直したほうがいいんじゃないかと思っています。またもっと多様な人が先生になって学校に関われると、子ども達にとってのロールモデルのタイプも増えますし、多様性があるってこんなにおもしろいんだ、というケースも見せていけるのではないかと思います。

――そういうお話も、公にされるのですか?

いっぱいしています(笑)! 文部科学省の中央教育審議会委員もしていました、うちの役員にも文科省出身者がいます。そういう人たちと一緒に、学びの社会を変えていきたいと、あちこちの場でカンカンガクガクやっています。実際にやってみて思うのは、文科省の方も教育委員会の方も本当に学校現場を良くしたいという熱意を持った方が多く、そういう一人一人の想いを子ども達の力に変えられるような仕組みを私たちとしてもサービス提供していきたいと考えてます。

 

だれもが自分らしく学べる環境を作ったら「特別」な支援学級もいらなくなる

発達障害の特性からくる生きにくさの積み重ねから統合失調症を発症された方のお話を聞いたときには大きなショックを受けました。もちろん、個別個別に因果関係は異なりますが、「できない」と自覚していることに圧力をかけすぎることが、大きなダメージになるかもしれない。特に、学校での学びや先生との関係、友人関係については、過度なストレスをためない生活が大事なのだとつくづく感じます。

だれもがその子らしさを生かして学べれば、「特別支援学級」という言葉すらいらない、というメッセージにもハッとさせられます。子どもも大人も、一人ひとりが自分らしく学び、生きていける社会を、みんなで作っていきたいですね。ではどうしたらいい?

 

その答えは最終回の次回、長谷川さんが語ってくれます。

 

 

前回のインタビューはこちら

【LITALICO社長・長谷川敦弥さん】障害のある子が将来、社会で自分らしく働くために必要なふたつの「変化」とは
学校では先生に嫌われ、友達もいない…ある出会いが転機に ――長谷川さんは大学在学中にインターンでITの企業で働き、大きな実績を上げていたと...

 

 

記事監修

 
長谷川 敦弥(はせがわ・あつみ)

1985年、岐阜県多治見市笠原町に生まれる。2008年名古屋大学理学部卒。2008年5月、株式会社LITALICOに新卒として入社し、2009年8月に代表取締役社長に就任。

 撮影/五十嵐美弥 取材・文/三輪 泉

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