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日本の学校はみんな『女王の教室』みたいなのかと思ってました(笑)
――河野さんは2歳から8歳まで、お父様の仕事の関係でアメリカにいらしたのですよね。 日本に戻ってきて、戸惑うことはなかったですか?
実は、あんまりないんですよ。 家庭内では日本語を使っていましたし、現地では公文のドリルをやっていたので、帰国してからも特にコミュニケーションや学習ですごく困る、みたいなことはなかったです。 小3で東京郊外の公立の小学校に転校したのですが、戻ってきてすぐの漢字テストは満点が取れていました。 クラスにもすんなりとなじめました。
ただ、アメリカでは日本の学校のリアルがわからないというか、どんなところなのかはTVドラマでの印象でしかなくて。 当時、アメリカで見られたのは『女王の教室』とかで、日本の学校はごくあたりまえに教師と小学生の闘いがあるのかとか、イジメがあるのかとか思っていました(笑)。 「日本の学校に通ったらあんなふうな感じなのかな、恐―い」って思っていましたが、実際に入った学校ではそんなこともなく、ほっとしました。
勉強「しろ、しろ」と言わず、するのが当たり前の環境を作る
――小5の春からは中学受験を目指すのですよね。
自発的なきっかけはなくて、親に連れられて大手塾に行った、ということなんですが。 塾に入ればみんな受験をするのがあたりまえ、結果、自分もその気になっていく。 中学受験については子ども自身が自覚を持つというより、保護者の方が「いかに子どもが自然に受験しようと思える環境を作るか」が大事です。
中学受験は「しろ、しろ」って言うんじゃなくて、子どもを「そりゃするよな、するのがあたりまえだよな」って気持ちにさせて、気づいたら受験環境に身を置いて勉強していた、といううまい環境づくりがキモかなと思います。
――最近は小3くらいで中学受験の勉強を始めるお子さんも増えていますが、河野さんは5年生、その間は……?
小3の秋くらいに日本に戻ってきて、小3小4は日本の文化もわからないので、そこは日本に深くなじむ期間だったのかな。 その間、模試を受けたりはしていました。
――日本の中学受験は概ね、国語、算数、理科、社会の4教科で受けるわけですが、どの教科も問題なく解けるような感じでしたか?
帰国から3年くらいたっていましたし、塾にも行っていましたから、普通に受験勉強をして、模試を受けて……、というところは問題はなかったです。特に算数は好きなので、積極的にやりましたね。 算数は小2で中学の数学の基礎過程、小3の帰る直前には高校の基礎過程が終わっていました。国語も公文をやっていたので、そんなに困ることはありませんでした。
ただ、理科と社会はアメリカと日本とではかなり内容が違っていたのと、たとえば「光合成」っていう日本語のワードがわからない。 この2教科は一般の小学生と受験のスタートのところではかなり劣っていたんじゃないかな。 でも、後編でもお話しますが、母の勉強ののせ方もうまかったし、父も「勉強っておもしろい!」と思えるようなことをいろいろ話してくれた。自分のことを「できない」とか「劣っている」とか思うことがなくて、勉強はとにかく楽しいものなんだ、と思いながら受験勉強をしていきました。
苦手に注目せず「得意な算数を伸ばし切る」ことで勉強がおもしろくなった
――受験勉強がつらくなくて、おもしろいと思えるのはすごいですね。
「苦手なものを克服すること」にそんなに重きを置かず、得意を伸ばし切ったんです。僕は算数が好き、得意っていう思いが強かったから、とにかく算数で突き抜けようと思ったんです。算数で使う頭って柔軟で論理的な発想が必要じゃないですか。そこが好きで、どんどん問題を解いていったんですよね。
父はそんな僕のために、『中学への算数』(東京出版)っていうちょっと難しめで難問を解く楽しさを味わえる本を買ってくれたんですね。これがすごく面白くて、毎月買ってもらって、受験勉強の合間に、寝っ転がりながら見る読み物として楽しんでいました。ちっちゃいときからドラえもんで学べる勉強の本が好きで、そのノリで、『中学への算数』も読んでいて引き込まれたし、「こういう補助線を引けば解けるのか!」と気づくことができて、興奮しました。なぞなぞの本と一緒の楽しさだなと思いましたね。こんなふうに、好きな算数を突き詰めていけたのも、「自分は算数ができる!」ということの自信になったと思います。
苦手な科目はゲーム化すれば楽しめる!
――苦手な社会科などの科目はどう克服したんですか?
ひとつ得意な科目があると自信が持てて、苦手科目も「やってみよう!」という意欲や対応する能力も少しずつ磨かれていったんですね。「得意を伸ばしていく過程で苦手科目も引き上げられたらいいよね」というふうに目指していくのがいいのかな。
とはいえ、僕は単純に暗記するような科目の勉強はテンションが上がりにくいんです。そこで、社会科に関しては、学習をゲーム化していました。大事なところに緑ペンを引いて、「全部これを覚えて言えるようになったらすごいよね!」みたいに自分に語りかけて、「30分後にテストするからどれだけ覚えていられるかやってみよう」って。ゲームのように制限時間を設けて、どれだけ覚えられるかに挑戦したんです。
――つらい暗記ものもゲーム化することで楽しくしていったんですね。そうやって受験勉強をして、成果は上がりましたか?
全国の塾の順位で50位以内になり、塾の冊子に成績優秀者として載ることもありました。そうなると、「冊子に載りたい」という気持ちがわき上がって、勉強に熱が入る。そんなふうにして当日まで楽しく熱く勉強していきました。
勉強は、やればできるようになる。だから楽しく取り組めることが重要
――中学は聖光学院に入学されていますが、こちらが本命でしたか?
開成、筑波大学附属駒場、灘、聖光学院を受けて、灘と聖光に受かったんです。灘は僕の苦手科目である社会がなくて3教科受験だったので、それで受かったんだと思います。でもさすがに関西では通えないですし、お試し受験のようなつもりだったので、聖光学院に通うことにしました。
――受験の問題を解くことをゲームに仕立てて楽しんだり、受験とは直接関係はないけれど、勉強が楽しくなるような本をくつろぎながら読んだり。遊びとゆるさを入れることで、受験勉強を「苦しいもの」から「楽しいもの」に変換していったんですね。
そもそも勉強って、シンプルに「やればできる」んですよね。それなりに時間をかければできるようになるし、前に進んでいく。そうやって積み重ねていくことで自信がつくんだけれど、その過程が苦しいと、勉強がきらいになっちゃうじゃないですか。だから、できるだけ楽しくできるように工夫すればいいんだって気づいて、以来そういう形で勉強しています。思ったような結果が得られなかったときにも、「やればできるはずなのにな」って。自分の実力そんなもんじゃない、よーし、また楽しんで勉強してやるって思うんですよ。
こうやって、勉強について自分なりに自己肯定感を高くすると、いろんな成功体験を積み重ねることができるし、いろんなチャレンジができるようになるんですよ。もしかして失敗するかもなって思ったときも、「いや、楽しさを忘れず熱意をこめてやれば、きっとできる」って自分を信じることができる。
ちょっとネガティブになって自分を信じられなくなりそうなときも無理矢理信じて、「楽しくやれる方法をみつけるぞ!」ってやっていると、いつの間か達成できる。東京大学理科三類にチャレンジして合格したのも、医学部にいながら司法試験に受かったのも、そんなふうに取り組んできたからかな、と思います。
――後編は、「中学受験がうまくいくために親がしてあげるべき事」についてお話を伺います。
後編は河野玄斗さん絶賛!親御さんのサポート方法を伺いました
取材・文/三輪泉 写真/深山徳幸