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小学校のときはクラスになじめず休む日も多かった
――山崎さんの小学校時代のお話を伺いたいのですが、どんなお子さんでしたか?
小学校になじめない時期が学年を問わず定期的にあって、学校の校門までは行くけれど、中に入る気持ちになれなくて、近所の公園で暇つぶしをしたこともありました。不登校というわけではないんです。行ったり行かなかったりでしたね。
規則だらけの小学校に違和感
私がいたクラスでは、昼休みは「外で遊ばないといけない」と決まっていたのですが、「外に出る気分じゃない」っていうときもありますよね。でも、担任の先生が下駄箱の上履きで、外に出ているかどうか毎日チェックするんですよ。しかたがないので上履きを脱いで、外履きと交換して靴下になり、外履きを隠してこっそり音楽室に行って、トロンボーンを吹いたりしていました。吹奏楽部だったんです。
部活も、全員入らなければいけないという決まりがあったから入ったのですが、それも違和感がありましたね。
クラスメイトたちのノリにもついていけなかった。自分が少しみんなと違っていたのかもしれません。たとえば、みんなが「新米の先生をからかっちゃおう」みたいなときに、一緒にできないというか。いじめもありましたし、このまま地元の中学に行くと、また同じような思いをする……。それでもいいとは、考えにくかったですね。
こっそり休んでいたら父親にバレた!
――学校に行かない日はどうしていたんですか?
公園で少し時間をつぶしてから家に帰るんです。両親が共働きで、母は私の登校時間よりも遅く出て行くので、母が出て行ったのを見計らって家に戻るんですよね。小学校1年から携帯を与えてもらっていたので、自分で先生に電話して「今日はお腹が痛いので休みます」って連絡していました。親にも「休む」とメールして、あとはゲームをしたり宿題をしたり。
一度、父が平日に休むことになったのを知らなくて、うっかり家に戻ってきてバレちゃったことがありました。すごく怒られた覚えがあります。父とは仲が良かったので、父は父でなんとなく私の気持ちもわかってくれていたようで、「あんなに怒らなきゃよかった」とあとから思ったそうです。
両親ともに学校に行きたくない私の気持ちは、理解してくれていたと思います。私もそれを感じていたから、親とは揉めたことはあるけれど、激しい対立になったことはないです。
――毎日学校に行かないのではなくて、行く気になる日もあるんですね。
長期間学校を休むと、勉強がわからなくなるのがいやだったんです。テストの成績が落ちると親に怒られる、というのもあったかな。自分でも「勉強ができない人」になるのはいやでした。でも、その頃はその先、中学をどうするまでは考えていませんでしたね。
地元の中学に行きたくない=中学受験、という選択肢が見えた
進学塾に通い始めたのは小6の夏
すると、小学校6年に上がるタイミングで、母がこう言ってきたんです。「地元の中学に行きたくないのはわかる。でもそれならどうするの?」と。そして、「中学受験のための進学塾に行っている子もいるけれど、あなたも行く?」と。
中学受験をすれば、今の環境から離れることができる。それは確かなのですが、私にしてみれば、当時は習い事もしていなかったので塾に通うという感覚がよくわからないし、まして受験というものも遠い存在に思えました。
でも、とにかく新しい環境で過ごせるのなら中学受験をしてみようと思い、親に「塾に行かせて」と頼んだんです。それが小6の夏でした。
――小6の夏から塾、というのは一般的に考えるとかなり遅めですよね。
はい。ずっと塾に行っている子たちにはついていけないので、個別指導塾に行きました。そこから半年間は、めちゃくちゃ勉強しましたね。とはいえ、完璧に仕上げて受験に臨む、なんてことはできませんから、「できるところはできる、できないところは仕方がない」と腹をくくることにしました。算数の受験特有の問題形式は特にわからない部分が多く、時間がかかりました。
受験したのは決め打ちの2校
――受験校もすぐに決めないといけないですよね。
期間が短いだけに学校別の対策もあまりできないので、受験校も少なめにして、2校でした。進学後もあまりお金がかからないほうがよいので、ひとつは都立の中高一貫校である白鷗高等学校・附属中学校に。もう1校は郁文館中学校にしました。郁文館は受験の成績上位者は入学金と授業料が1年間免除になり、入学後も成績優秀者は授業料が免除になる制度がありました。元々は伝統ある男子校でしたが、私が入学する年から共学になることが決まっていました。女子1号目なら「新たなスタート」という感じがしますし、受験生の数も少ないだろうとも思っていました。
中学受験の勉強を始めてみたら、どんどん勉強がおもしろくなった
――受験校が決まれば、そこに向けて頑張る気持ちがわいてきますね。
とにかく頑張りました。勉強は嫌いではないので、興味がある教科はすいすい入ってきた覚えがありますね。お正月にインフルエンザにかかり、塾に行けなくなって焦りましたが、治るまでは家で父に教えてもらって補足しました。
ドキドキの結果発表!
結果は……、残念ながら白鷗中学校は落ちてしまいました。うちの小学校からは10人受けて、受かったのは2人でした。郁文館のほうは合格しました。でも、入学金や授業料の免除は受けられなくて。職場にいる父に電話をかけて、「郁文館は受かりました。学費免除は受けられませんでしたが、しっかり勉強するので行かせていただけないでしょうか」ってお願いしました。
中学受験ではじめて人生の選択をした
――第一希望だった白鷗中学校に受からなかったことで、「中学受験をしなければよかった」と思うことはなかったですか?
一度もないです。中学受験して本当によかったです。受験しない限りは地元の中学に行っても小学校と同じ人たちと生活しなければならないので、それを避けたいというのが私の一番の目的でした。
中学受験のおかげで、私は初めて自分の居場所を自分の意思で選べたんです。その選択肢を自ら勝ち取った経験は大きいです。知っている人がいない学校に行けることは、新しい世界を拓くためにはとてもよかったと思っています。
――晴れて中高一貫校の郁文館中学に通うことになった山崎さん。その後もアイドルと学業の両立で怒濤のような努力の積み重ねが必要に…… 入学後のエピソードは後半の記事で!
プロフィール
取材・文/三輪泉 撮影/黒石あみ ヘアメイク/田中康世(nous) スタイリング/マルコマキ