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不登校の間、父と鑑賞したさまざまな映像作品。その裏側を見てみたい
――起立性調節障害などの体調不良、転校生から受けたカルチャーショックなどから、小学5年生から不登校になられました。学校を休んでいる間は、どのように過ごされていたのですか。
佐倉さん:親が仕事に出て、家で一人のときは、インターネットでひたすら情報収集をしたりコミュニティをのぞきに行ったりして過ごしていました。当時、ちょうどニコニコ動画やブログが流行っていたりした時期だったので。親が帰ってきたら、本を読んだり、漫画を読んだり、ラジオを聴いたりして過ごすのがルーティンになっていました。
――ラジオは昔からお好きだったのですか。
佐倉さん:小さいときからリビングでラジオが流れていたので馴染み深かったんです。ただ親が選んだ番組ではなく、自分で番組を選ぶようになったのは、不登校になってからでした。いろいろなジャンルを聴いていましたね。安住紳一郎さんの『日曜天国』だったり、親が好きで聴いていたJ-WAVEの『GROOVE LINE』だったり。
声優の勉強を始めてからは、声優の先輩のラジオをたくさん聴いています。
――そもそも、なぜ声優を目指そうと思われたのでしょうか。

佐倉さん:不登校になってから、父がいろいろな映像作品を借りてきてくれて。学校に行かない時間、父が家にいるときは、父の部屋のベッドに2人で入って映画などを観る…のような時間が流れていたんです。
そのときにメイキング映像を観るのがすごく好きで。フィクションの映像作品が、現実と地続きで、実は作られている。そのグラデーションの部分をメイキングで観ることができるのが、とてもお気に入りだったんです。
「どうやったらここに潜り込めるんだろう」「この裏側を生で見てみたい」と思って。でも、当時は10代前半なので就職もアルバイトもできない。そうなると、役者になるしかないんだ、と。
決して俳優になりたいと思っていたわけではないんですけど、映像作品を作る裏側を見たい、という理由で劇団に入らせてもらったんです。
「声に特徴があるから、声の仕事が向いてそうだよね」迎えた転機
――劇団に入られたのは何歳のときですか。
佐倉さん:中学2年生、14歳のときです。父も母も、学校に行っていない子が「外に出たい」と言っているから、何か良いきっかけになれば、と思ったみたいです。体力づくりにもなれば…という気持ちもあったようで、「いってらっしゃい」と快く送り出してくれました。

――最初は俳優を目指す劇団に?
佐倉さん:はい。でも、そこでどうやら自分は舞台とかカメラが苦手なんだということがわかりました(笑)。周りの子たちの自己顕示欲にも圧倒されてしまって。「ここじゃないかも」と思い始めていたときに、ボイストレーニングの先生に「佐倉さんは声に特徴があるから、声の仕事とか向いてそうだよね」と言われたんです。
「声の仕事、ということは声優さんか。声優さんだったら舞台にも立たなくていいし、カメラの前にも行かなくていい(という認識でした)。もしかしたらこっちなのかも」と思って、劇団を辞めて声優の養成所に入り直したんです。
――それが大きな転機になったのですね。
佐倉さん:そうですね。劇団にいたのは1年ぐらいで、中学3年生の1年間を声優養成所で過ごして、中学の終わりに事務所所属が決まりました。
「大器晩成だから仕事ないよ」と言われていたのに…
――その後、高校には進学されたのですか。
佐倉さん:はい。もともと、不登校になる前は憧れの大学や高校があって「将来は、あそこに入るんだ」って息巻いてたぐらいのエリート志向だったので(笑)。中卒という選択肢は、当時の自分の中になかったんです。
ただ、学校に行っていないから内申点がなく、一般受験で受けるしかなくて。なぜか、一般で受かりましたね。
――すごいですね!
佐倉さん:いえいえ。休んでいる間にラジオを聴いたり本を読んだり、そういうことは人より何倍もしていたので。国語など、習っていなくても比較的解ける教科で点数を取ったんだと思います。そういうところで培った技術で、どうにかこうにか突破した、という感じですね。
――高校生活はいかがでしたか。仕事との両立は大変だったのでは。
佐倉さん:しかも、高校1年生のときに主演が決まってしまって。養成所の先生に「綾音ちゃんは大器晩成型だから、大学を卒業するぐらいまでは仕事ないと思っていた方がいいよ」って言われて事務所に送り出されていたので、「え!?」みたいな(笑)。
でも、そこでしっかり声優として活動をスタートしたことで、「ちゃんと高校を卒業しなくては」という使命感はかなり生まれました。
――では、高校はきちんと通えて…?
佐倉さん:きちんとではないですね。やっぱり学校は苦手で、ギリギリまで休みました。「もうあと1回遅刻したら卒業できないよ」って担任の先生に言われるぐらいまで。結局、行けるようになったとは言えないというか……ただの粘り勝ちでしたね。
「本人は“わかっている”から。周りから見えづらい“自己否定”を、さらに否定しないで」
――最後に、不登校時代を振り返って、当時のご自身のように悩んでいる子どもたち、そしてその親御さんたちに伝えたいことがあればお願いします。
佐倉さん:はたから見ると、学校に行かない子って、怠けているとか、楽をしているとか、将来のことを何も考えていないように感じると思うんです。ただ、そういう不登校状態の自分をいちばん理解して、ダメだと否定しているのは、案外、自分自身なんですよね。
楽をしているわけではなく、“世界から拒まれている”という状況から一時的に避難しているだけなんです。

――周りはつい、「怠けている」などと指摘したくなってしまうかもしれません。
佐倉さん:怠けているように見えるから、どうにかしようとするんですよね。でも実は逆で、本人は自分のことを世界からめちゃくちゃ拒まれていると感じているから避難している。その状態の自分に対して、否定もしている。もうそこで、自分の中でバランスは取れているんです。
避難している状態に、外からの否定がさらに加わる。そうするとバランスが崩れ、全部が否定に塗り替わってしまう。そういうしんどさがあるんです。
――見えている姿がすべてではない、と。
佐倉さん:はい。なので、その“はたからは見えていない自己否定”の部分を、さらに否定しないであげてほしいというか……。正直、「わかってるから」という気持ちなんです。
――本人がいちばんよくわかっている。
佐倉さん:わかっているんですよ、実は全部。自分がいちばん。深く理解できてしまう人が、不登校になったりするのではないかな……あくまで感覚ですけど。
“わかってない”ように見えるのも、わかるんです。けれど、当人は“意外とわかっているから、だからこそ今こうなっている”っていうところを理解してもらえたら、と思います。

前編では不登校になったきっかけを伺いました
文・構成/HugKum編集部 撮影/五十嵐美弥 ヘア&メイク/福田まい(addmix B.G)