目次
障がいを持って生まれてきた弟を治してあげたいから医師に
――おふたりには、弟さんと妹さんがいらっしゃるんですよね。
【山下順一朗さん 以下順一朗】 はい、弟は今10歳、妹は5歳です。それで僕らふたりは兄なので「兄ーズ」というピアノユニット名になっています。
【山下宗一郎さん、以下宗一郎】弟は僕らが小学3年生のときに生まれました。生まれてからずっと入院していたので1年間会えなかったんです。窓越しでの面会でした。
【お父様 以下父】 生まれてすぐ、呼吸がうまくできず呼吸器につながれ、新生児の集中治療室にずっと入っていました。生後2カ月でより専門性の高い病院に転院し、そこからいろいろな薬を試し、原因を探りましたが、寝たきりの状態は変わりませんでした。医療機器について学び、退院して在宅介護ができる、というところまできたため環境を整え、呼吸器などをつけて家に戻ってきたのが、1歳になる直前でした。いわゆる医療的ケア児です。
生まれてから1年一緒に暮らせなかった弟を家に迎えて

――弟さんが呼吸器などをつけていることはショックではなかったですか?
順一朗 ショックではなかったです。ずっと家に帰ってこられなかった弟が、1歳になって帰ってきたときは、うれしい! それしか思っていなかったです。やったー! みたいな感じで世話しましたね。お風呂に入れるのを手伝うのも楽しかった。
父 ふたりのことをすごいなって思うのは、医療的ケア児だとかそういうことは関係なくて、弟が単純にかわいいって思っていることで。呼吸器につながれていても「抱っこしていいの?」って。うれしそうに抱っこしているのを見て、親のほうが救われました。
宗一郎 僕も同じ。うわぁ、鼻がちっちゃい、かわいい! って。当時僕らは小学生だったので、医療的な行為は子どもがやってミスをしてしまうと大変だからと、さすがに親がしていました。でも、中学校に入ってからは手伝いから始めて、今は気管吸引もできますし、胃ろうからご飯を入れたり薬を入れたりも。この体験は、僕らがのちのち医師になるためにもいい経験になっていると思いますね。
小学生の頃から続けてきたボランティア演奏会

――おふたりは、小学生の頃から病院や児童発達支援センター、療育センター、保育園などでボランティアでの演奏活動をされているんですよね。
父 そうですね。医療ケアがあったり、息子と同じように重い障がいがあるなどの、なかなか出かけられないお子さんや親御さんが、少しでも癒しを感じていただけたらと考えています。また、2023年度ソニー音楽財団子ども音楽基金の採択団体に選出されまして、医療的ケアの必要な重症心身障がいをもつ子どもたちとそのご家族、約1,700人にピアノの生演奏を届けることができました。
――三男さんのことをきっかけにそうしたピアノの演奏会を始められたのですね。そして医師になろうと思ったのも……。
順一朗 弟を見て、「絶対治してやりたい」って思ったし、もっとたくさんの「病気の人を治したい」って思うようになりました。
宗一郎 僕もです。医学部に行きたいという相談はふたりの間ではぜんぜんしていなくて、高校に入学するときに大学受験のために塾に行くってなったときに、お互いに医学部に行きたいんだということを知りました。べつにビックリすることもなかったです。「まぁ、そうだよな」みたいな。
ギリギリの高校3年生の夏まで演奏会をやりながら、5000時間の受験勉強も

――おふたりは高校生になって医学部を目指していながらも海外に招かれての演奏会などもされ、相変わらず1日数時間の練習もこなし、精力的にピアノに取り組んでいます。どうやって両立させたのですか?
宗一郎 まず、ピアノの演奏会は受験ギリギリまでやり続けたかった。音楽を届けることにやりがいを感じていたし、ピアノそのものの魅力も感じていたから。けれど、受験勉強もしっかりしないと医学部には受かりません。高校の間に5000時間勉強したら医学部に受かるって聞いていたので、それを守ろう、と。
高1で受験勉強を始めたときは学校での時間を除いて週20時間、高2では週30時間、高3は週40時間以上勉強していました。僕の場合はバドミントン部の練習も高3まで週3であって。演奏会の楽屋で勉強したり、ちょっとした空き時間に問題集を広げたり。高3の夏休み後半からはさすがにピアノはお休みして勉強に専念しましたけれど、それまではなんとか時間をやりくりしてピアノの練習や演奏会を続けていましたね。
順一朗 僕はもう少しピアノと受験勉強に力を入れたくて、部活動に関しては気軽に活動できる軽音部に所属しました。そのぶん、宗一郎より勉強をしてましたね。
宗一郎 だから、順一朗のほうが高校時代は成績がよかったよね。でも、そんなに焦った記憶はなくて、「順一朗、すごいなぁ!」って思ってました。僕はまわりをあまり気にしないほうです。
順一朗 そこが宗一郎のすごいとこだよね。僕はまわりが気になるし、自分が一番になりたいほう。
宗一郎 僕は他人と比較することってなかった。よく「100メートル走で隣の人を見ると遅くなる」って言うじゃないですか。まわりを気にせずに自己ベストを更新していきたいです。僕らは双子ですけれど、こんなふうに性格はかなり違います。
――ケンカはするんですか?
順一朗 しょっちゅうですよ。「靴下を洗濯機に入れてないのはどっちだ!」って母に怒鳴られて、オレだお前だって犯人を押しつけ合ってモメたり、唐揚げの個数でモメたり。
宗一郎 連弾しているときもたまにケンカするよね。オレはこうしたいけれど順一朗はこうしたいって言い合いになる。ただ、ずっと言い合っていると、順一朗が「それでいいよ」って言ってくれたりして。強いところとやわらかいところ、お互いをその時々で補っている部分がありますね。
ピアニストと医大生の二刀流! 今夏もライブ演奏を

――今後はピアニストと医大生の二刀流になりますね。
宗一郎 先輩から「医学部の勉強は受験勉強よりキツイ」と聞いています。でも「ピアノもやろう」っていう気持ちはふたりそろって持っています。
順一朗 何よりコンサートでたくさんの人に楽しんでいただきたいです。さっそく8月にはツアーがありますし、7月にも障がいのある方や介助者の方に来ていただきやすいインクルーシブコンサートにゲスト出演します。
――ピアノでも成果を出し、医学部にも合格。こんなすごいことを成し遂げられた秘訣があれば教えていただけないでしょうか?
父 「続ける力」だったと思います。ふたりとも、ピアノの練習も受験勉強もあきらめずに継続してきました。
――習い事などは、子どもが「やめたい」と言ったときに親は躊躇しますよね。でもご両親は「続けていればいい景色が見られる」と励まし続けた。やはり続けることは大事でしょうか。
父 その習い事との相性もありますが「これは続けられる」と思ったら、とことんやることは大事かもしれませんね。僕自身は水泳をやりたいとか英語を習いたいとかフルートやりたいとか、あっちこっち行っていて、思い出だけが残っています(笑)。最初から今を想定していたわけではないですが、ひとつの習い事を続けたのが結果としてよかったのかな、と思いますね。
順一朗 そうですね、続けさせてくれてホント今では感謝しています。
宗一郎 親のサポートはとても大事ですよね。自分も、叱咤激励しながら続けさせてくれた両親に感謝していますね。
前編を読む
お話を聞いたのは

山下順一朗・山下宗一郎 の連弾ピアノユニット。難病で重症心身障がい児の弟の影響から医師を目指し、2025年3 月に2人そろって医学部現役合格。現在医大生ピアニストとして活動している。 2歳から絶対音感トレーニングを経て4歳よりクラシックピアノを本格的に開始。大阪国際音楽コンクール連弾部門優勝、ピティナ・ピアノコンペティション10部門で全国決勝大会に出場し、銀賞・銅賞など 多数受賞。ショパンコンクール・インアジアにてアジア大会ファイナリスト、全日本学生音楽コンクールピアノ中学生部門東京大会入選などの成績を残す。小学生の頃より病院や児童発達支援センター、療育センター、保育園などでのボランティア演奏活動を実施しており、コンクール成績と合わせ東京都教育 委員会児童・生徒等表彰に2年連続選出された他、一般財団法人東京私立中学高等学校協会、東京都高等学 校文化連盟より表彰される。2023年度ソニー音楽財団子ども音楽基金の採択団体に選出され、医療的ケアのある重症心身障がいをもつ子どもたちとそのご家族、約1,700人にピアノの生演奏を届けた。2023年ドイツハンブルク近郊のレリンゲンMay Festivalにて、2024年にはアメリカのカーネギーホールにて招聘演奏を行い、スタンディングオベーションを受け大盛況となった。 2024年MBSお天気部夏のテーマ曲「空」を担当。 7月1日に初の著書『夢を奏でる ピアニストと医師の二刀流を目指す双子の物語』が発売予定。 YouTubeフォロワー1.2万人、インスタフォロワー10万人(プロフィール写真撮影:田頭真理子)
兄ーズ出演のコンサート情報
兄ーズ PIANO MAGICAL LAND
2025年 8月2日(土)大和高田さざんかホール・小ホール(奈良・大和高田) 8月3日(日)住友生命いずみホール(大阪) 8月7日(木)札幌コンサートホールKitara 小ホール(北海道) 8月9日(土)浜離宮朝日ホール(東京)
お問い合わせ:ローチケ
取材・文/三輪 泉