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ピアノを始めたきっかけは父が買ってきた電子ピアノ
――おふたりは2歳のときからピアノを始めたそうですが、連弾で大きなコンクールで優勝、アメリカのカーネギーホールやドイツに招かれて演奏もされたんですね。音楽家のご家庭に生まれたのですか?
【山下順一朗さん、以下順一朗】いえ、父は会社員、母も僕らの弟が生まれるまでは会社員でした。僕らは記憶がないのですが、父が電子ピアノを買ってきたのが始まりのようです。
【お父様、以下父】 秋葉原の楽器屋さんに入ったときに、ふと88鍵の電子ピアノを見てひかれ、抱えて帰ったんです。もともと音楽は好きですし、なんとなく買いました。リビングにピアノを置いたのですが、せっかくだからと夫婦で相談し、ふたりにピアノを習わせようかということになりました。最初は絶対音感を養うレッスン、4歳からピアノを弾くレッスンを始めました。やがて電子ピアノが2台になり、最終的にはグランドピアノが2台になりました。

――おふたりの名前は順一朗さんと宗一郎さん。ふたりとも「一」がついていますね。
順一朗 僕のほうが少し先に生まれてきたから一応兄なのですが、ふたりともそろって一番を目指してほしいという思いで、ふたりに「一」をつけたそうです。
【山下宗一郎さん、以下宗一郎】 ただ、順一朗は「朗」で、僕は宗一郎で「郎」と文字が違います。字画などを考えてそこは違いがあるように名付けたようですね。
毎日練習を重ね、技術も向上した幼稚園〜小学校時代

――最初から連弾だったのでしょうか?
父 いえ、最初はそれぞれソロでレッスンをしていました。ふたりとも保育園の年長くらいからは1日に2~3時間の練習もコンスタントにできるようになってきたので、ピティナ・ピアノコンペティション(1977年から続く日本最大規模のピアノコンクール)の全国大会を目指し、毎年、ふたりがそれぞれ参加するようになりました。小学2年生のときには、順一朗が本選を通過して全国大会に出場しました。宗一郎は一歩手前の優秀賞でした。
――順一朗さんだけ全国大会へ、というのは宗一郎さんとしてはどんな気持ちでしょうか。
宗一郎 山下家初の全国大会出場だったので、悔しいうんぬんより、「おまえすごいな!」って順一朗に言ったのが記憶に残っています。「全国大会でかましてこいよ!」みたいな。
順一朗 そういうところが宗一郎は冷静だよね。僕は性格上、宗一郎が全国大会に行けて僕が行けないのは悔しいな、と思うほうかもしれない。
父 父親としては、なんとか次は宗一郎に行ってほしいと思っていたら、翌年、小学3年生で宗一郎が全国大会に行くことになったので、うれしかったですね。続けていれば結果が出るんだということを、ふたりで体感してくれたと思います。実際、ふたりの技術も上がってきたし、レベルも高い水準でそろってきました。せっかく双子なので、小学4年生から連弾にも挑戦しようということになりました。息の合ったふたりの連弾は、コンクールなどで強みになるとも思いました。

――おふたりとも、ピアノに向かう時間が多かったと聞きました。小学生になると1日5時間、コンクールの前の週末は1日12時間ということもあったそうですね。コンクールに出るとなると、みなさんそれくらい練習されるのかもしれませんが。
順一朗 そうですね。納得するまでとなると練習は必要です。小さい頃は練習が長くて飽きちゃうときもありましたね。
宗一郎 コンクールに向けて仕上げる時期だと、小学校から帰ってきたらずっとピアノの練習で、大変だと思うこともありました。でも、コンクールでいい賞を受賞できたときや、リサイタルに来たお客さんに喜んでもらえたときはうれしい。
順一朗 その繰り返しでやってきたよね。
連弾はバドミントンのダブルスのようなもの

――連弾って個人で弾くのとはぜんぜん違いますよね?
順一朗 バドミントンでいうところでシングルスかダブルスか、みたいな感じです。ふたりの協力プレイなので片方だけできていてもだめだし。ふたりで音楽を作り上げる感じですね。ふたりでああだこうだ言い合うのも楽しい。チームでやっているみたいな感覚です。
宗一郎 意見が合わなくてケンカもするけれどね。連弾をするようになってピティナ・ピアノコンペティションの全国大会にも8年連続出場、高校1年生のときに大阪国際音楽コンクール連弾部門で優勝しました。ドイツやアメリカ・カーネギーホールの演奏会にも招聘されるようになって、ピアノを弾くおもしろさ、楽しさはどんどん増してきました。
ピアノと並行した中学受験「勉強も新鮮で楽しい!」

――連弾を始める頃に中学受験もされたんですよね? コンクールに出るのと中学受験の両立は、大変だったのでは?
順一朗 中学受験は両親からすすめられたのですが、自分たちも「したい」と思って勉強していました。
宗一郎 そうだね。ピアノと並行して違うことをするっていうのも新鮮でした。
順一朗 僕は算数と理科が得意で好きだったし、ずっとピアノだけだったところから、「新しいものをやるんだ!」という感覚でした。塾に行ったりすることも楽しかった。
父 私も妻も中高一貫校出身なのですが、それが「よかった」と思えていたんです。公立だと高校受験のあと3年でまた大学受験がありますが、中高一貫校だと6年間の中でゆるめる部分もあれば締める部分もある。私生活やピアノの面でもやりやすいんじゃないかなと思いました。
宗一郎 ふたりともそれぞれいろんな学校を受験しました。小学校のときの成績も似ていて、同じ学校のほうが何かとよいのでは? ということで、それぞれが受かった学校の中から同じところを選ぼうということになり、最終的には自分たちの意思で本郷中学校・高等学校に進学しました。
――中高でもピアノは続けたのですよね?
順一朗 はい。中学受験の間は少しお休みしていましたが、春からまた再開しました。中学の頃はピアノを頑張っていて、勉強はあまりやっていなかったかなぁ。中間テスト・期末テストのためだけに勉強していましたね。高校生になったら医学部の受験勉強が入ってくるので、そこは両立が難しかったけれど、隙間時間を活用しようと考えて、この時間はピアノ、この合間に勉強って決めてそれどおりやっていました。
宗一郎 そうだね。僕も同じです。
ピアノへの手応えや喜びを実感できたのは、ふたりでやり続けたから

――おふたりとも、中高ではなぜピアノ中心になってきたのでしょうか。また、そんな中、医学部受験とは……?
順一朗 中高でもさまざまなピアノの賞をいただいたり、学校の文化祭で連弾を披露して拍手を浴びたり、ピアノそのもののおもしろさが実感できるようになったんですよね。
振り返ってみると、ひとつのことをやり続けることは大事って本当に思えるし、そこは両親にとても感謝しています。今つらくても、深く追求してやり続ければ、それだけ将来が充実して楽しくなります。これから何か始めようと思うお子さんは、あきらめずに頑張ってほしいな、と思いますね。
宗一郎 順一朗と同じで、ひとつのことを追求することの喜びや手応えが、中高のときにようやくわかってきたんだと思います。小学生の頃、ピアノの練習がうまくいかず弱音を吐いても、両親は「頑張り続ければきっといいことがあるから」と何度も言ってくれました。当時は実感がなかったけれど、だんだんその言葉の意味がわかってきて、そうしたらピアノも学校生活も楽しくなってきたんです。
順一朗 それに、僕たちには、ピアノを続け、医学部を目指す理由があったんです。
――幼い頃からピアノの練習を徹底的にやったことで、見えてきた景色があるのですね。それには、両親のゆるぎない姿勢や、あたたかい励ましがあったのでしょう。しかし、それが医学部受験にも結びついているとは……? 心が熱くなるその理由は後編でお伝えします!
後編を読む
お話を聞いたのは

山下順一朗・山下宗一郎 の連弾ピアノユニット。難病で重症心身障がい児の弟の影響から医師を目指し、2025年3 月に2人そろって医学部現役合格。現在医大生ピアニストとして活動している。 2歳から絶対音感トレーニングを経て4歳よりクラシックピアノを本格的に開始。大阪国際音楽コンクール連弾部門優勝、ピティナ・ピアノコンペティション10部門で全国決勝大会に出場し、銀賞・銅賞など 多数受賞。ショパンコンクール・インアジアにてアジア大会ファイナリスト、全日本学生音楽コンクールピアノ中学生部門東京大会入選などの成績を残す。小学生の頃より病院や児童発達支援センター、療育センター、保育園などでのボランティア演奏活動を実施しており、コンクール成績と合わせ東京都教育 委員会児童・生徒等表彰に2年連続選出された他、一般財団法人東京私立中学高等学校協会、東京都高等学 校文化連盟より表彰される。2023年度ソニー音楽財団子ども音楽基金の採択団体に選出され、医療的ケアのある重症心身障がいをもつ子どもたちとそのご家族、約1,700人にピアノの生演奏を届けた。2023年ドイツハンブルク近郊のレリンゲンMay Festivalにて、2024年にはアメリカのカーネギーホールにて招聘演奏を行い、スタンディングオベーションを受け大盛況となった。 2024年MBSお天気部夏のテーマ曲「空」を担当。 7月1日に初の著書『夢を奏でる ピアニストと医師の二刀流を目指す双子の物語』が発売予定。YouTubeフォロワー1.2万人、インスタフォロワー10万人(プロフィール写真撮影:田頭真理子)
兄ーズ出演のコンサート情報
兄ーズ PIANO MAGICAL LAND
2025年 8月2日(土)大和高田さざんかホール・小ホール(奈良・大和高田) 8月3日(日)住友生命いずみホール(大阪) 8月7日(木)札幌コンサートホールKitara 小ホール(北海道) 8月9日(土)浜離宮朝日ホール(東京)
お問い合わせ:ローチケ
取材・文/三輪 泉