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入学するとすぐに陸上部に入部、でも「自分はちっとも速くない」と愕然
――兵庫県の六甲学院から現役で見事東京大学理科1類に合格し、上京されました。関西の方は東京になじみにくいという方もいますが、いかがでしたか。
秋吉さん 実は出身は千葉県なんです。父親の実家が千葉にあり、幼稚園までは千葉在住で、関東にもよく来ていました。家でも父は関西弁じゃないので、そんなに違和感はなかったですね。
東京大学に入学し陸上部に入部することを視野に勉強してきたので、入学すると部活やサークルの新歓のテントがたくさん出ているのをかき分けて、まっすぐに陸上部に行って入部しました。高校の先輩はラクロスやアメフトをやっていたので部のテントにいたはずですが、素通りでした(笑)。今思えばもう少しは話を聞いて視野を広げてもよかったかもしれません。

――東大の陸上部では、駅伝出場の可能性はすぐつかめましたか?
秋吉さん 東大陸上部は、集合の練習は週3回、それ以外は各自で練習をします。六甲学院でも部活は週3でしたし、その時間だけ練習すればいいと思っていたのですが、それは大間違いで、大学陸上ではぜんぜん通用しませんでした。ほかの選手と比べても僕は速くない、かすりもしません。実力のなさと知識のなさを見せつけられ、周囲の人たちの自主練習を見て、自分ももっと練習しないと、と痛感しました。そして、夏以降2倍の練習量にしたんです。すると、タイムも一気に伸びました。
大学1年生の終わり頃には東大OBのランナー近藤秀一さんが実業団を引退して東大のコーチに就任。いっちょ前にコーチに「箱根駅伝、走りたいです!」と訴え、近藤さんの指導も受けながらさらに練習しました。すると箱根にようやく少し近づいてきました。

秋吉さん そんなわけなので、1年生のときは箱根駅伝に出るなんて、レベル違いで無理でした。
毎日20~25km走り込み、箱根駅伝に2年連続出場
――1~2年のときは駒場キャンパスから三鷹の住まいまで、ジョギングで通っていたそうですね。
秋吉さん 集合のグランド練習のときは強度の高い練習をしますが、それ以外の時間も走る時間を確保しないと。それで10㎞の通学路をジョグをすることもありました。2年の後半からは授業を受けるキャンパスが本郷キャンパスに変わり、住まいも引っ越しましたが、道は変わっても同じような習慣で走っています。1日20~25㎞と決めて、その距離を毎日淡々と走るようにしています。
――やはり走ることが基本ですか? 毎回優勝候補になる青山学院は、潤沢に器具をそろえ、恵まれた環境で筋力トレーニングなどにも力を入れているようです。東大はどうですか?
秋吉さん 青山学院はたしかにテレビとかで見るといろんな器具を使ってトレーニングしているな、という印象ですが、東大はトレーナーさんもいないですし、僕がやっているのは簡単な体幹トレーニングと軽い筋トレです。でも、青山をうらやましいとは思っていません。自分にはこの環境が合っていると思います。陸上の楽しさを制約なしに純粋に味わえる環境です。

秋吉さん 自分は走ること自体が好きなんです。そして競い合ったり自己ベスト更新をしたりするのが楽しい。幸いにもずっと自己ベストは更新されてきているので、楽しさもずっと続いていますね。陸上をやめたくなったことはないです。とにかく自分が成長していくのが楽しいんです。
――どんどんタイムを更新していった2年生のときは箱根駅伝に関東学生連合チームは出られなかったのですよね。東大は単独でチームを組めないところがつらい……。
秋吉さん 2024年は記念大会だったために関東学生連合チームは組まれなかったんです。その後学生連合廃止の動きもあったけれど、同じ東大の大学院生・古川大晃さんが働きかけてくださって、存続できたという経緯があります。

秋吉さん 関東学生連合※チームは、大学として駅伝に出られない選手にとっては箱根駅伝出場の足がかりです。ひとりの選手としての実力を認めてもらえれば出場できるわけで、そういう選手がそろう価値のあるチームだとも思っています。僕ももし学生連合がなかったら大学で陸上を続けていたかわからない。部内の後輩たちも、僕が走ったから自分も、という選手が多くなって、いい影響があります。学生連合があったからこそ、箱根駅伝を2年続けて走ることができましたし、本当によかったです。
※関東学生連合チームは、箱根駅伝の出場チームのひとつ。前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校の計20校のほかに、各大学から選抜された選手が集められチームとなります。オープン参加であり、順位はつかず、チーム・個人ともに参考記録となりますが、優秀な選手には注目が集まり、実業団などに引き抜かれることもあります。
箱根は終わったけれど、陸上も研究も限界まで挑戦したい
――学業のほうではどんなことを学んでいるのですか……?
秋吉さん 理科1類に入学し、教養課程を終えて2年の後半からは工学部機械情報工学科に進みました。ロボット制御に関わることがしたいと考えて、義足アスリートの人の動きをロボティクス的に解析してシミュレーションに落とし込んでいくことを今後大学院でも研究していくつもりです。卒論も義足アスリートの人の運動解析がテーマでした。義足は作るのもはくのも大変ですが、シミュレーションできれば負担が減ります。また、今ある義足の形にとらわれずパフォーマンスの上がる形を追求していくことも研究課題にしたいです。

――4月以降は大学院の修士課程で研究すると同時に、MABPマーヴェリックで実業団ランナーとして5000、1万メートルで活躍されると聞きました。ここは元青山学院大学の神野大地さんが監督兼選手で、近藤秀一さんもコーチになったのですね。
秋吉さん 4月からは実業団で走るので、箱根駅伝を大学院生として走るのはもうできないですね。でも、まだ自分の限界は来ていないと思うので、次は新たな環境で限界を追い求めていきます。まだまだ記録を伸ばしていきたいです。
――記録ってそんなに伸び続けるものですか? 限界を感じたら、そのときはどうしますか?
秋吉さん あまり深刻には考えていません。自分の限界みたいなところを見たいなっていうのもモチベーションとしてあります。限界と思うときには、「やりきったな」という達成感を感じるということでしょうし。先々を思い描くのは得意なほうではないので、どんな状態になってもうまくいくところを探していくと思います。熱中すればうまくいくというものではないけれど、もしうまくいかなくてもその景色から次に進んでいきます。
努力しないと夢はつかめない
――2026年1月の駅伝では、その前に肺炎を患うと言うアクシデントがありながらメンバーに選ばれ、区間記録4位相当の結果を出されました。箱根駅伝がご自身に与えてくれたものはなんだと思いますか?
秋吉さん 箱根に向けて大学生の間はずっと一生懸命練習を継続してきました。努力すれば必ずなし遂げられるということはないですが、努力しないと舞台には立てません。環境などを言い訳にせずにしっかり継続して練習していれば、強豪校と区間順位ではりあえると確信できる結果も出せました。そこが大きな収穫でした。
夢は自分で近づいていき、叶えるものだと思います。そして、叶えたなと思ったら、それを標準にして、次の目標を掲げていきます。
「やりなさい」をそのまま受け止めず「自分がやりたいからやる」に変換する
――最後に、読者の保護者や、小学生にメッセージを。
秋吉さん そうですね、何事も楽しんで取り組んでほしいなって思います。ものごとは「やらされている」と思った時点でうまくいかなくなると思います。

――保護者はつい、「こうしなさい」「ああしなさい」と言いがちですが。
秋吉さん 子どもは命令とか「ダメ」って言われ続けると反抗したくなるものです。自分でやりたいと思えることが大事です。自分は両親にあまり禁止されてきませんでした。母親に注意されることはあっても、それはちょっとした態度などで、やりたいことは応援してもらいましたし、その前提として「自分の選択に責任を持つ」という基本を教えてもらいました。だからこそ「自分がやりたいことをやり抜こう」と強く思えたのだと思います。
また、自分の性格上、人に「やりなさい」って命令されてやっていることも、自分の中で「やる」と変換して自発的にやったと思い込むようにしてきました。
やらされた感を持たない。何事も自分がやりたい、やるべきだと思って自分に落とし込むことが、モチベーションを落とさず前に進む機動力になると思います。
前編では中学受験不合格から東大現役合格までの軌跡をお伺いしました
お話を聞いたのは
2003年生まれ。兵庫県出身、六甲学院中学校・高等学校出身、東京大学工学部4年生。高校時代は1500mで県大会出場。大学から長距離に主戦を移し、5000m、1万mで記録を伸ばす。大学3、4年生で箱根駅伝に関東学生連合チームの一員として出場。2026年4月からは東京大学大学院の研究室に入り義足のロボティクス研究をし、同時にMABPマーヴェリックで5000m、1万mの実業団ランナーとして活躍の予定。
取材・文/三輪泉 撮影/五十嵐美弥