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思考力を鍛える塾で学ぶ。小さい頃から問題を解けるまで解く粘り強い性格
――子どもの頃から足は速かったですか? 小学生だと50メートル走、100メートル走の記録を争うことが多いですよね。
秋吉さん 短距離はあまり得意じゃなかったですね。幼稚園からサッカーをやっていて、サッカークラブにはいっていたのですが、それも実力としては真ん中くらい。「足が速い」「運動が得意」という実感はありませんでした。
小学校3年生のときに初めてマラソン大会があったんですよ。1.5㎞くらい走るのですが、練習して臨んだら学年3番になって、長距離なら得意かもしれないと思った記憶はあります。
――勉強は得意なほうでしたか? 中学受験は考えましたか?
秋吉さん 公立の小学校に通っていて、4年生くらいまでは特に塾にも行かず、授業をまじめに聴いて宿題をするだけ、という感じでした。5年生になってからは、母のすすめで学校の勉強に加えて塾に通い始めました。1年間通ったのち、6年生になったタイミングで塾の先生に中学受験を提案されて受験をすることに決めました。受験をする子の多くは浜学園のような入試対策をしっかりする大手塾に行くのでしょうけれど、僕が通っていたのは「思考力を鍛える」ことで知られる灘学習院という塾でした。
その塾は、たとえば算数の授業だったら、最初に数問あるプリントが配られて、解いてできたら手を挙げるんです。間違えていた問題があればどこが間違えているか自分で考えてまた解いて手を挙げる。それも間違えていたらまた考える……。解答は配られないので、ずっと考え続けて1問も解けずに授業が終わることもあります。

秋吉さん 問題をパターン化して解法を暗記する勉強法が多い中、初めて見た問題でも答を導き出せる力が鍛えられました。そういうのが苦手な人もいると思いますけれど、自分はひとつのことをわかるまで考えたいタイプで、陸上でも負けず嫌いというか、やり始めたことはとことんやりたくなる。だから、「答え見たら負け」みたいな勉強方法が合っていたし、モチベーションが上がったんだと思います。
憧れの中学には受からなかった。でも悔しさを前向きさに変えた
――中学受験の志望校は。
秋吉さん 憧れは甲陽学院でした。まさに思考力を問うような受験問題でしたね。自分の中では東大の入試より受かるのが大変かも、という感覚でした。塾の先生は「いけるよ!」と、言ってくれていましたが、模試の判定はあまりよくなくて。「絶対受かる」とは一度も思えませんでした。
甲陽学院の中学入試は2日間あるんです。毎年共通テストと同じ日程の土日です。2日間受けて月曜日に落ちたのがわかって。それで火曜日に六甲学院のB日程というのを受けて合格しました。
――ずっと行きたかった学校に受かっていないことがわかって翌日試験を受けるのはキツかったのではないですか?
秋吉さん 性格的に1回ベソかいて寝たら忘れるような単純なタイプで…。六甲学院の試験前には気持ちが切り替わっていました。試験の帰りに手袋をポンポン投げながら帰っていたら、母親に「緊張感なさすぎ」って怒られました(笑)。
兵庫県の中学受験では社会科がなくて国語・算数・理科の3教科のことが多いです。六甲学院のB日程は国語・算数・作文(現在は作文の代わりにアンケート)でした。自分はどれかひとつの教科が突出して強いというのではなくて、どれもまんべんなくできるかなって感じで、そういう意味では受験科目が多い東大受験に向いていたと思います。

秋吉さん 同じ小学校の子で灘や甲陽に受かっている子がいたので、ちょっと悔しい思いはありましたけれど、「どの環境でも楽しくやろう」って思うポジティブな性格なので、そこは引きずることはなく、六甲に入ったときからずっと楽しかった思い出しかないです。
行事がたくさんありましたし、グラウンドが人工芝で、長い休み時間にはそこで遊ぶのが楽しくて。中休みの時間にグラウンドを走ったりしていましたね。六甲は伝統的に体育祭でも上半身裸で人文字みたいなのを作ったり、裸足で走ったり、男子校ならではの文化もありました(笑)。厳しい面もありましたけれど、決められたルールの中でどう楽しむか、というところが、自分にとても合っていたと思います。
高校生がいつも優勝する30㎞走で、中2でトップに。長距離に目覚めた
――陸上に目覚めたのは?
秋吉さん 六甲学院では、「強歩会」という伝統的な行事があるんです。中1から高2までの5学年が、武庫川河川敷を30km走るのですが、中学2年生のときに優勝したんです。中2で優勝は珍しかったそうで、自分でも「長距離の才能があるんじゃないか」と思いました。
入学当時はサッカー部に入っていました。県大会に出たいと思ってがんばっていたけれど、神戸市の大会で勝ち上がることもできなくて…。六甲学院は部活動は週3回という決まりがあり、ほかより練習量も少なかったので、なかなか強豪校にはなれませんでした。
サッカー部にも思い入れは強かったのですが、高校1年で陸上部に入部しました。サッカーでは成し遂げられなかった「県大会出場」を目標にして、「高2くらいで出られたらいいな」と思っていたら、高1のときに1500m走と5000m走に出場して、あっさり行けてしまったんです。以後はどんどん自己ベストタイムがのびておもしろくなって。「もしかしてあの箱根駅伝に出られるレベルになれるかな?」と思ったんですね。

秋吉さん 自分は当時、「箱根駅伝に出られるレベル」がどういうものなのか詳しくわかっていたわけではないんです。でも、とにかく「関東の大学に入らないと出られない」のは明白です。
六甲学院では京都大学や大阪大学を目指す生徒が多いのですが、自分はもともと「東大に行きたい」という思いがありました。中学受験で第一志望に入れなかったとき、母が僕を慰めるために「大学で東大に入れば(リベンジできて)いいじゃない」って言ったんです。その言葉も心に残っていました。
楽観的な性格がポジティブに働き、現役で東大に合格
――陸上部を引退し、高3の7月から1日10時間勉強され、現役で東京大学理科一類に合格したのですよね? さすがです!
秋吉さん 六甲学院では、3年生になるとみんなすごい勉強するんです。まわりからの刺激も受けました。自分は、中学の頃から宿題や課題をしっかりやってきたので、その土台もあって最後までがんばることができました。とはいえ、勉強期間中にまったく走れないのはつらいので、3時間勉強して少し走る、という方法で乗り越えました。

秋吉さん いきなり「東大受験」だけで大丈夫かな、という心配も少しはありましたが、僕はメンタルが強いというより計画性や見通しが甘いといいますか(笑)。現実をシビアに見すぎてしまうタイプだったり、少しでも理想とずれると前に進めなくなる人だったら、同じ道は選べなかったかもしれませんが、自分は見通しが甘いからこそ、踏み出せたところもあります。あれこれ考えすぎずにポジティブな気持ちで「何とかなるでしょう」と思って進んでいくんですよね。
勉強自体も、綿密に計画を立てるのではなくて、やってできたら次に行く、うまくできなければ後戻りする、というざっくりしたやり方ですすめていました。
――「東大に行けばいいじゃない」と言ってくださったお母様も、少しは心配されたでしょうか。
秋吉さん 母親は割と、自分が楽観的すぎるときに現実に戻してくれるタイプ。でも、可能性を否定することはなく、好きなようにやらせてくれる中で「ここは」という自分の抜けているところを補完してくれていました。父親はいつも基本的に背中を押してくれていて、よくできたときには両親ともすごくほめてくれました。ただ、自分はそこで満足しないというか、一回できたことを標準にして次にどんどん挑戦していくのが好きです。
僕は割と自己肯定感が高いほうですが、それは自分が恵まれた環境で育ってきたからだと思います。学校の先生や友達もあまり否定する人がいなかった。それが負けず嫌いの性格と重なって、今があるのかなと思います。
――お母様はちょっと心配なところだけ釘を刺す。お父様は基本応援する。そしてできたらしっかりほめる。ほめられても慢心せずにご自身は次を目指す――。ご両親の教育とご本人の負けず嫌いで前向きな性格が相乗効果となって、秋吉さんの実力をますます高めていったのでしょう。次回は東大に入学後、箱根駅伝に挑戦していくその道筋をたどります。夢を叶える人の叶え方が、よくわかりますよ!
後編はこちらから
お話を聞いたのは
2003年生まれ。兵庫県出身、六甲学院中学校・高等学校出身、東京大学工学部4年生。高校時代は1500mで県大会出場。大学から長距離に主戦を移し、5000m、1万mで記録を伸ばす。大学3、4年生で箱根駅伝に関東学生連合チームの一員として出場。2026年4月からは東京大学大学院の研究室に入り義足のロボティクス研究をし、同時にMABPマーヴェリックで5000m、1万mの実業団ランナーとして活躍の予定。
取材・文/三輪泉 撮影/五十嵐美弥