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泥団子をストッキングで磨くと光る! 夢中で磨いた幼稚園時代
――小さい頃から勉強がお好きなお子さんでしたか?
いえいえ、成績もなにもすべて普通な子どもでした。外で遊ぶのがすごく好きで、泥団子をたくさん作っていました。TV番組で「固く作った泥団子をストッキングで磨くとピカピカになる」とやっていたので、母親から破れたストッキングをもらって磨いては「地球みたいだー!」と喜んでいました。ポケモンも大好きで、将来はポケモン博士になりたいって言っていました。それも「ありがち」ですよね。
成績自体もちょうど真ん中くらいでした。幼稚園のときに、先生から「お名前をさかさまに読みますよ、呼ばれた人からカードを渡します」と言われて、「さまきあおしに」と言われても自分のことだとわからなくてすごく悔しくて悲しくて、泣いちゃったのを覚えています。ほかの子と比べたら秀でていたかというと、全然そんなことはないです。
世帯年収は300万、両親ともに高卒だったけど…
――中学受験をされたのですね。動機は……。
うちは裕福とはかけ離れた家で、世帯年収で300万円くらいだったんです。父は大工で下請けの下請け、みたいな感じだったから、年収は200万円ちょっと。母は早朝から深夜までいろいろなアルバイトを掛け持ちしていました。夜勤バイトもやっていて、当時の睡眠時間は3時間くらいだったのではないでしょうか。

母は幼少時代も経済的に恵まれていなくて、さらに祖母の介護もあったようで、大学受験を断念したんですよね。だから、「子どもには経済的に不自由なく学ばせてあげたい」という気持ちが強かったようです。両親とも高卒で、親族にも大学受験をした人はいませんでしたが、僕には「大学受験を」と強く思い、応援してくれました。
それには中学受験をしないと、と思い立ったのでしょうか、小学校6年生になると「中学受験をしよう」と言われました。僕は奈良在住だったので、奈良といえば奈良女子大の附属中学とか、東大寺学園などが有名進学校で、そのふたつがいい、ということになりました。
――奈良女子大学附属中等教育学校は国立で授業料はそう高くないですが、東大寺学園は私立ですね。
はい。でも国立私立に関わらず、僕が望むなら受けさせてあげたいと思ってくれていて。実際、学校見学に行ったらすごく楽しくて、「行きたいなあ」と思ったのですが、奈良女子大附属のほうも魅力的だったので、自然と奈良女子大附属のほうを受けることになりました。

――中学受験塾にも通ったのですか?
6年生から通いましたね。ますます母はパートに精を出して頑張ってくれました。勉強を始めたのが遅かったので、集中して頑張りました。学校が終わって16時半くらいから21時まで、1時間は自習するので帰るのは22時半くらい。その甲斐あってか、無事に奈良女子大附属に合格することができたんです。
中2のときに母親が大病を患い、高校ではアルバイトで生計を助けた
――中学生活はいかがでしたか?
楽しく通い始めたのですが、中2のときに母が大病になったんです。入院、手術とあって大変でした。当然母は仕事を一時ストップしましたし、保険にも入っていなかったので、うちの家計は火の車になり、父が会社からお金を借りてしのいでいました。
僕はテニスを習っていて奈良県の大会で個人準優勝、近畿ベスト16で、テニスでも大学に行けるくらいだったのですが、とりあえず学校の部活以外のプラスアルファのテニススクールをやめて、できるだけお金を使わないようにしました。高校生になるとアルバイトも始めて、なんとか家計を圧迫しないようにと頑張りました。

幸いにも母は健康を取り戻して、10年以上たった今も落ち着いているのですが、当時は相当キツかったです。
――国立でよかったですね、私立だったら学費などの支払いももっと多かったですね。
たしかにそうなんです。でも、国立でも附属校に通うような子の家庭はやっぱり裕福で。生活の差は感じていました。みんなでマクドナルドに行くときも、僕は小銭を集めて、という感じだったけれど、株主優待券を持ってきてバーガーと引き換える子もいるんですよ。生活の違いを見せつけられるようでした。
とにかく、中高時代は本当にいろいろと大変だったので、「自分の力で生きていけるようになろう」という気持ちを強く持つようになりました。アルバイトも掛け持ちをして、親にお小遣いをもらうようなこともなく、気がつけば生き抜く力がついていったように思います。当時はちょうど東日本大震災の頃で東北の方々はつらい思いをされていました。ですから自分だけが不幸なわけじゃない、もっと大変な方もいらっしゃるから一緒に頑張ろう、とも思えました。
大学受験のためにファミリーレストランで朝昼晩夜食を食べてずっと勉強
――大学受験は家計のためにということで、東大を目指したのですか?
大学にはテニスの実績を利用した推薦入試で行くつもりでした。早稲田か大阪教育大学か、と考えていまして。けれど、高3のインターハイの直前にケガをして予選で負けて、ほかの大会でもシングルもダブルスも団体も全部ダメで。もうテニスでは大学に行けない、勉強するしかないっていうのがきっかけでした。
高3の夏休みの1カ月間はめちゃくちゃ勉強しました。母はその頃には元気になっていたので、24時間あいているファミレスに朝、車で送ってもらって、朝ご飯を食べて13時くらいまで勉強して昼ご飯を食べて20時に夜ご飯を食べて、夜中の1時2時に夜食を食べる。 そこで迎えに来てねって頼むんです。財布は持っていかないというのを自分のルールにしていたので、母が迎えに来るまでお店から出ることができない。そうやって自分にしばりを作ってガンガン勉強していました。
あまりにもハードな毎日で体を壊しそうになったので1カ月でやめましたが、その間に学力がついたのはたしかです。

――そうした勉強で巻き返して東大に合格できるという目算はあったのですか?
高2の2月に受けた共通テストの同日模試では偏差値で30~40くらいでした。でも「やればできるだろう」と謎の自信を持っていました。ちょっとした数学の難しい問題は解けたので、対策をしていないから点数が取れないだけだ、と。
テニスの推薦で大学に行くつもりだったので学校の授業は聴かずに勝手に内職したりしていたので評点も低く、学校推薦でどこかの大学に行くなんてとうてい無理。そこはあきらめていました。
でも、めちゃくちゃ勉強したおかげで数学と英語が得意になり、夏の京大模試で志望する学部で2位になったんです。
0.8点足りなくて東大に落ちて大阪大学へ
――すごいですね! それで東大受験を?
はい、しました。現役のときは落ちてしまいました。理科ができなかったので高3で文転したんです。それがいけなかった。東大は文系だと社会が2科目あって、社会が苦手で追いつかなかったんです。そこがミスの始まりですね。
実際、手応えはあったので受かったかと思っていましたが、本番では0.8点足りずに不合格になったんですよ。
――国立は試験結果を送ってきますよね。0.8点は残念でしたね。
自分では自信のある数学でしたが、慢心していて見直しが足りなかった。図を書く問題があったのですが、書き方にミスがあってそれでマイナス5点でした。当時は後期試験のあった大阪大学の外国語学部を受験して合格したので、現役では阪大に行ったんです。

――大阪大学もすばらしい国立大学です。でも、満足せずに東大へ?
現役で阪大に2年行ったんですが、単位を取らなすぎて(笑)。外国語学部だけ特殊で、規定の進級ルールに合っていないと退学になってしまうということで、別の大学に行くしかないと思ったんです。それで受け直しました。
またすごく勉強したんですが、2年間大学で学んでそれなりに知識がついたのと、一度受験をしているので受験の様子がわかっていたのと両方あって、合格することができました。
――勉強の「瞬発力」がすごい西尾さんだからこその東大合格。でも、がむしゃらに勉強をしたわけではなく、かなり戦略的だったようです。ではその戦略とは? 後編でじっくり伺います!
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