「おじいちゃんじゃなくてパパ?!」子どもが成人の時には76歳。保育園では祖父と間違えられ、年齢制限で学資保険にも加入できず…それでも楽しいシニア子育て

56歳ではじめて父になった中本裕己さん。喜びもつかの間、45歳の妻が妊娠中におたふく風邪のウイルスが心臓に飛んで心不全に……。ようやく出産し、妻もなんとか回復し、怒濤の退院に至りました。が、家に帰れば高齢子育ての現実が目の前に。56歳のパパと45歳のママはどんな子育てを?お金と体力はどのようにカバーしているの? 現在61歳の4歳児パパ・中本裕己さんからリアルに語ってもらいました。

オンライン会議のときに膝で子どもをあやす日々

――生後7カ月で小さく産まれたお子さんはすくすく育ち、心不全から回復したママも仕事に戻り、お子さんがいる生活が始まりました。どんな毎日でしたか?

1203gだった息子は生後3カ月で退院するときには、2800gになっていました。通常の新生児より少し小さいくらいですが、おかげさまで元気で退院ができました。

家に帰った途端、待ったなしの世話が待っていました。妻は心不全にもなったことですし、無理は禁物です。妻と半々に近い形で育児をする必要がありました。

――とはいえ中本さんは当時産経新聞社・夕刊フジの編集長でしたよね? 役職に就かれ、超多忙だったのでは?

コロナ禍だったので、自宅での仕事が多く、助かった部分が大きかったです。オムツ替えなどは病院で習っていましたし、粉ミルクの授乳も問題なくこなしました。会議もほぼオンラインでしたので、画面では見えない膝の上でひそかに息子をあやしている、ということも日常でした。

授乳しながらリモートワークをする中本さん(中本さんご提供)

少したって体調が回復してくると、妻は日曜日に働くなど、僕とうまく育児を分担できるような形で働き始めました。そうなると日曜日はまったくワンオペです。彼にとっては当然妻のほうが近しい存在ですから寂しいんですが、あきらめたかのように僕になついてママに向ける顔と同じ顔で甘えてくるようになりました。

パパではなくおじいちゃんだと間違えられることも

――どんどんかわいくなってきますね。でも、周囲からはどのように……。

保育園の送り迎えはほとんど妻に任せていたのですが、たまにいくときもあるんですよ。ある日迎えに行ったら、クラスの子に「なんでおじいちゃんが来ているの?」って言われて、「この…!」って思いましたが、まあ、言われてもしょうがないですね(笑)。

――保育園でも運動会がありますよね。そういうのは疲れませんか?

3~4歳児の運動会から親が参加するんですけれど、父親は子どもと『SASUKE』 もどきで平均台とか障害物競走みたいなのを一緒にやるんですよ。もうヘトヘトです。パパと一緒にダンスを踊る、それもヘトヘト。

保護者会では懇談や育児相談をした後に園庭で子どもと一緒に遊ぶ時間を長くとっているんですよ。若いパパはサッカーなんかやって走り回っているんですが、「とてもできねぇ!」って思いますね。一緒に滑り台をすべるのがやっとです。まあそのへんは子どももわかってくれていまして、合わせてくれるのがありがたいです(笑)。

心配なのはお金。年齢制限があって学資保険に入れなかった!

 ――ところで前編で、中本さんはお子さんが生まれた年から役職定年になり、給料が下がるとおっしゃっていました。56歳でお子さんが0歳、成人式で中本さんは76歳ですが、収入面などで何か考えることはありますか?

57歳の秋から、収入はガクンと減りました。そして65歳までの雇用延長はありますが、60歳で一度定年を迎えます。とにかく働けるうちは働くのですが、その後の仕事も収入も不定です。妻は都内のふたつの専門学校で週4日程度、映像の授業を持っていました。はじめは保育園探しに苦労して、産後1年3カ月で認可外の保育施設のお世話になり、妻も社会復帰。翌年ようやく区立の認可保育園に入れることができました。

そしてそのうち、僕と妻の収入は逆転するかもしれないなぁと思っています。そうなる前にまずは子どもに学資保険をかけようと思ったのですが、これが衝撃でした。年齢制限があって加入できなかったんです。親としての年齢、というものを深く考えさせられました。

医療保険や生命保険をひたすら見直す

まず、夫婦がそれぞれ加入していた医療保険や生命保険の掛け金を大幅に見直しました。日本には高額療養費制度というのがあり、年齢や所得に応じて、高い医療費を払ったら自己負担限度額を答えた分は払い戻してくれます。事実、妻と息子は3カ月も入院していましたが、この制度のおかげで限度額以上の分の負担はありませんでした。

現在61歳の5歳児パパ・中本裕己さん
現在61歳の4歳児のパパ・中本裕己さん

だから、そんなにたくさん生命保険に入っている必要がないと考えて、貯蓄型のものを残して、掛け金が損にならない形で大幅に減額しました。そしてファイナンシャルプランナーが提案してくれた「リスクの少ない外貨型の投資で学資保険に相当する分の積み立て」を始めることにしました

子どもが成人する時には76歳 教育費はどうする?

子どもが成人する76歳まで働くのがミッションですが、現実的には65歳から年金もらって足りない分働くとなると、塾とか習い事とか、どの程度やらせてあげられるのか。東京ではもはや中学受験はあたりまえ、僕は仕事柄、中学受験の取材もしているのでお金がどれくらいかかるのかもわかっています。

できるだけ高校まで公立までいかせようと思いますね。負け惜しみじゃないですけれど、これからの世の中はたくましく生きていかないといけない。もちろん、息子がよく勉強ができて「医学部に行きたい」と言い出したらかなえてあげたいから、なんとかお金を捻出できる方法を考えようと思います

文京区から足立区に転居。家賃も安いし公園も多く子育てにやさしい

 収入面では「今まで通り」とならないのは明白なので、文京区からもっと家賃の安い足立区に引っ越しました。文京区に住んでいたのは、ふたりとも仕事が忙しく飲み歩くのも好きだったので、飲んでも歩いて帰れる場所がよかった、ということなんです。子どもができて人と飲む機会が激減しましたし、住んでいた近辺は道幅が狭くアップダウンも多くてベビーカーで歩くのは大変だったんです。

足立区の今僕が住んでいるあたりは公園は多いし、ある程度都心に近いし。地価の値上がりも期待できます。東京都は子育て支援が充実しているじゃないですか。その恩恵も得られる。穴場だと思いました

――子育て支援とは、どんな内容でしょうか?

 まず、保育園代と医療費が無料。東京都では、申請すると子育て世代に月5000円の補助が出ています。 収入的な制限がそこまでない仕組みでとても助かっています。また、ついこの間決まったようですが、足立区では2026年4月に新1年生となる全児童・生徒を対象に、小学校や中学校入学時に必要な購入物品に係る経費を補助するため、一人あたり10万円の入学準備金が支給されることになりました。さらに中学3年の修学旅行費などにも補助があるそうです。とりあえず今は保育園の給食代だけを払っている状態です。東京都で足立区に住んでいるという恩恵で、「ずるい」と思われるんですが、住んでいるほうとしては大変にありがたいですね。

*誕生の年月によっても支援内容に差があります

60歳を過ぎてデジタル部門に配属。若手に仕事を教えてもらう

――夕刊フジが休刊になりました。その後のお仕事は……

休刊についてはその半年くらい前に知ってショックでした。これまでの人生の半分を捧げてきて、すごく思い入れがありました。

また仕事に関して言うと、「クビにはならない」と聞いてはいましたが、実際60歳を過ぎていて、退職金をもらい、再雇用の身です。加えて、入社以来ずっと夕刊フジの編集の仕事をやっていたんです。1年契約で更新して65歳までは働けるといっても、休刊でなんとなく居づらくなるのではないかと思い、退職することも考えました。

入社から一貫して夕刊フジの編集をしてきた中本さん(産経ニュースYouTubeより)
入社から一貫して夕刊フジの編集をしてきた中本さん(産経ニュースYouTubeより)

しかし、系列会社の産経デジタルで、芸能担当の仕事がありそうだ、と。僕はずっと芸能畑でやってきたので、「来ないか」と言ってくれたんですね。今もその部門で働いています。

デジタル部門では最年長 若者が仕事を教えてくれる

このデジタル部門では自分が一番年上です。配属の2カ月前からデジタルのスキルを教えてもらいましたが、年くっている分、覚えるのが大変でした。でも、今の若い人たちはすばらしい。僕よりはるかに年下の人に同じことを何回も聞いて申し訳ないと思いながら教わっていましたが、「何回でも聞いてください」って、快く教えてくれる。

僕らの世代は、原稿の書き方ひとつとっても誰も教えてくれず、「先輩の背中を見て覚えろ」でした。取材のネタ元も教えてくれない。自分で開拓しろ、と。それとは大違いです。「シェアする文化」ですね。ただ、マネタイズに関しては厳しい。昔は経費使って飲みに行って情報を仕入れていましたが、そういう文化はないです。

子育てをする中本さん(中本さんご提供)

でも、本当によかった、ありがたいと思っています。今の文化がわかっていないと、65歳から先も働くとなるとどうしようもない。今後生成AIを扱うことも避けて通れないし、記事さえ書いていればいい時代ではないです。デジタルに抵抗がなくなるということが、働く基本になりますよね。

76歳まで働くためには「健康第一」。飲む機会もめっきり減った

――65歳以降のお仕事は。

先のことはわからないですが、とにかく仕事先をみつけてやっていくということですよね。そのためには、第一に健康だと思っています。自分の体調管理ですよね。もっとやせないといけないです。痛風なんです。発作は出ていないですが、尿酸値は高い。ぜんそくも持っています。

ただ、飲みの機会はめっきり減りました。以前は毎晩飲み歩いていましたが、今は子育てが趣味みたいなものなので、子どものお風呂の時間までには帰りたいんです。だから長時間飲むこともないですね。健康のために何かしているかというと、特にはしていないですが、週末は子どもと公園で遊んでいますので、それが運動になっていますかね。

息子をお風呂に入れる中本さん(中本さんご提供)

「息子がすごくかわいい」今の状況を楽しみたい

――おいしいものもたくさん召し上がってきた世代だと思いますが……。

たしかに、うまいもの、いっぱい食いました。お誘いを受けて1年先までとれない店で普段ならなかなか食べられないものをいただいたり。でもね、そういうのって何回か経験したら「わかりました」ってなります。授業料をたくさん払いましたが、今は吉野家で食べてもおいしい(笑)。

旅行なんかも、高級ホテルにも泊まりましたが、そんなところでなくても、子どもと一緒なら楽しいですよね。足立区では林間学校の施設を、使わないときに区民に格安で開放してくれるんです。1泊2食5000円もかからなくて、料理も何品も出てきてお酒も注文できる。夏に泊まって、とてもよかったのでまた利用しようと思っています。

今ある状況を楽しむって大事ですよね。とにかく今は子どもがすごくかわいくて。今4歳なんですが、4歳のかわいさを満喫し、ベタベタしていたい(笑)。子育てって、そのときそのときのかわいい思い出があるからやっていけるんですよね。思い出をつくるためにも、溺愛していこうと思います(笑)。

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お話を伺ったのは

中本裕己(なかもとひろみ)

産経デジタルのエンタメサイト「zakⅡ編集部」副編集長。1963年東京都生まれ。『夕刊フジ』を長く担当し、編集長に。芸能、健康関連の仕事に従事。48歳で再婚し、56歳ではじめて父になる。局次長を務め、57歳で役職定年、夕刊フジ編集長を経て、産経デジタルで勤務。シニア子育ての様子を綴った著書『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました』(ワニ・プラス)を出版。
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産経新聞WEBで連載中の『還暦パパの異次元子育て』は>>こちらから

取材・文/三輪泉 写真提供/中本裕己

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