目次
- 「書けない」ことは、体力がないのに100m走でタイムを競わされるようなもの
- 4歳から本の虫。保育園では昼寝もせずに、本をむさぼり読む日々
- 何時間かけて覚えても、翌日には忘れてしまう。漢字学習が大嫌いになった
- 黒板から書き写すことができず、3年生で授業についていけなくなり…
- 自分は他の子たちとは違う。劣等感のかたまりになり、自傷行為から自殺未遂へ
- 校内フリースクールという居場所を見つけたけど、友達はいなかった
- KIKUTAプログラムとの出合いから、書き障害の診断に
- ICTによる合理的配慮で「書く」喜びを得て、劣等感も減少
- デジタル機器と書字障害に因果関係はなし。ICTを使う合理的配慮への理解を広げたい
- 両親は対話を大切にして、好奇心を育んでくれた
「書けない」ことは、体力がないのに100m走でタイムを競わされるようなもの
-「字が書けない」という状態について、本の中で詳細に解説されていますが、「書けない」ことがどれほど苦しいことなのか、読者にわかりやすく説明していただけますか?
そうですね、「書くのが困難」という状態は、例えて言うと体力がないのに走ろうとするため、手足を動かすのに必死で、100m走のタイムを競えないようなものだと思います。
例えば、何か文章を書き写すとしても、一字一字書き写すのに必死だから、文章として頭に入ってこないし、文字をきれいに書こうとする余裕もなく、ものすごく疲れてしまうんです。本を読んで、よい文章に出合うと書き記したいとも思うのですが、手書きだと思うようにいかず、歯がゆい思いをします。
4歳から本の虫。保育園では昼寝もせずに、本をむさぼり読む日々

-一方で「読む」ことは幼い頃からお好きだったのですよね。本の虫だったとか。
はい、4歳のころから絵本をひとりで読んでいましたね。保育園にある本を全て読み切ってしまって、毎日、本を持参して通うほどでした。年長クラスの頃には小学校高学年向けの本を愛読していて、今振り返るとものすごくませた子どもでしたね。
園庭で遊ぶ時間も、昼寝の時間も、ずっと本を読んでいた記憶があります。本を読むうちに、当然漢字もたくさん覚えるので、小学校入学時の読字能力は相当高かったと思います。
-小学校に入ってからの生活はどうでしたか?
小学校に入ったら、保育園時代とは違って、「本を読む」自由がありませんでした。授業中に好きな本を読めない。小学一年生の教科書は、あんまり面白くないわけです。
そして、授業で「書く」学習が始まって少しして、自分が「書く」ことに関して、まわりの子に比べて能力が劣っていることに気づきました。クラスの子に下手な字をからかわれるような気がしてコンプレックスを感じるようになりました。
何時間かけて覚えても、翌日には忘れてしまう。漢字学習が大嫌いになった

-漢字の書き取りがいちばんつらかったそうですね。
漢字の書き取りには、本当に苦労しましたね。読めるけど、思い出して書くことができない。小1の頃は周りもみんな、ひらがなもカタカナも漢字も下手くそだったので、それほど差を感じませんでしたが、小2の頃には、子どもながらに他の子との明確な差を感じていました。
小2になると、覚えなければならない漢字が、小1の頃よりずっと増えるわけです。読めるのに書けない。かなりのストレスでした。漢字を書けないことが、自己肯定感を下げていると母も感じていたようで、何とか覚えられるようにと、いろいろ工夫をしてくれました。習う漢字ごとに,思い出せるようなヒントや語呂合わせを考えて、それを手作りでフラッシュカードにしたり。でも、何時間かけて勉強しても、翌日には忘れてしまうんです。
-漢字を覚えるために、お母様と一緒に大変長い時間を費やしていたとのことですが。
母は、私が読書好きなこともあり、知識があって記憶力もよいから「やればできるはず」と思っていたようです。けれども、私に言わせれば、知識を記憶することと漢字を記憶することはまったく違います。知識はいろんな説明の仕方があり、言い換えもできます。しかし、漢字は正確性が求められますし、要約することもできません。求められる答えはひとつです。
母の期待に応えようと私も頑張るわけですが、努力しても成果が上がらず自己肯定感は下がるばかりでしたね。それでも、帰宅してからの毎日の漢字学習は、4年生まで続きました。母は、どんなに頑張っても私は「書けない」のだと悟ったらしく、漢字を覚えて書くことに関してはあきらめてくれました。
黒板から書き写すことができず、3年生で授業についていけなくなり…
-学習面で遅れを取るということも出てきたのですか?
授業に参加する気持ちが失せていきましたね。本が読みたくて、2年生の頃は教室を離れて、校長室のソファーで本をむさぼり読んでいたなんてことも。このときの女性の校長先生は、優しくて、おとなしく本を読んでいる分にはおとがめなしでした。私が3年生になるときに定年退職で学校を去りましたが、どうも発達障害に理解があったようで、自由にさせてくれていたみたいです。
その後は、図書室に入り浸っていた記憶もあります。つまり授業を受けていない時間が多く、さらに授業に参加しても黒板に書かれていることをノートに書き写すという作業ができなくて、授業についていけなくなりました。
-先生の支援はなかったのでしょうか。
実は、書き写すことができないのもそうなんですが、ひらがなばかりのノートがコンプレックスでノートをとらなかったということもあります。学年が上がるにつれ、他の子たちは漢字を交えてノートをとっていましたから、クラスメイトにからかわれるんじゃないかとかなり気にしていましたね。
あと、どの教科でも、配られたプリントに文章を書き入れて提出する機会が多く、それもできないから提出しないことになる。そうなるともちろん評価がつかないし、授業態度も悪かったので、成績が悪かったですね。昔から承認欲求が強い子どもだったので、いくら頑張っても否定的な評価をされて、学習意欲をすっかり喪失してしまいました。
自分は他の子たちとは違う。劣等感のかたまりになり、自傷行為から自殺未遂へ
-おそらく、知識が豊富であることがわかるだけに、「書けない」ことが授業放棄の原因だとは、先生方も理解できなかったのでしょうね。
学校生活で「書く」行為がないのは、給食のときと朝礼と休み時間ぐらいだと思います。それ以外の時間の方が長いわけで、なおかつ授業以外の活動でも、例えば行事の際のグループ活動などでも、書く必要があるときに書かないでいると、クラスメートにはサボっていると思われてしまう。
他のことはできるから、書けないからだとは思われない。年度の初めに、今年の目標とか書かされたりするじゃないですか。でもって、教室に掲示される。あれも、自分の文字を見られるのが嫌だからあまり出さないでいましたね。そんなことが続いて、自分は他の子たちより劣っているという思いがどんどん強くなり、クラスに対する帰属意識も薄れていったのか、行事にも参加しないようになりました。
自分は人に迷惑ばかりかけている。4年生でピークになった劣等感
-自傷行為が出るなどの二次障害もあったそうですね。
学年が上がるにつれ劣等感を強く感じるようになりましたね。4年生の頃がピークだったと思います。学校では先生に叱られることが増え、家では漢字の書き取り練習。ストレスはマックスで、自己肯定感もその頃が最低だった気がします。
学校で先生に叱られると、「自分は人に迷惑ばかりかけている」と自責の念に駆られ、自分に罰を与えるかのごとく壁や電柱に頭をぶつけたりしていました。ついには「自分なんていなくなった方がいい」と思い詰め、何度か衝動的に高所から飛び降りようとしたことも。たまたま居合わせた人に制止されていなかったら、こうしてインタビューを受けることはおろか、本を書くなんてこともなかったでしょうね。
スクールカウンセラーに相談するも、「読み書き障害」とは疑われず
そんな状態の私のことを心配して、母はスクールカウンセラーに相談もしていたようですが、「病院で薬を処方してもらうように」と言われるぐらいで、的確なアドバイスは得られなかったようです。ましてや、読み書き障害に関しては、一度も話題に上がることはなかったそうです。もちろん、親身になって相談に乗ってくれるカウンセラーの方もいらっしゃるようなので、現状ではそこはご縁としか言えませんが。
校内フリースクールという居場所を見つけたけど、友達はいなかった
-漢字の学習をやめられてから、何か生活は変わりましたか?
今まで、漢字の勉強に費やしてきた放課後の時間を、ピアノや読書などの好きなことに費やすようになりました。4年生の夏休み明けには、新しく開設された校内フリースクールに通うようになり、大好きな工作に没頭したり、境遇の似た友達ができて一体感や連帯感を感じられたりもしました。
学校を休んで、母の出張に祖母と一緒に同行し、いろいろな土地で様々なものを見て回ったりもしましたね。多様な視点が持てたことは、それなりに有意義だったと思います。
-校内フリースクールに通うことで、劣等感は軽くなりましたか?
苦しい時間が楽しい時間に変わってストレスが軽減されて、ある意味、自由で幸せな状況でありましたが、劣等感は相変わらずで、むしろ強まっていたかもしれません。
クラスに帰属できない自分や、それをあきらめている自分が嫌だったんでしょうね。そういう自分を生じさせた学校も憎んでいたかもしれません。私は決して人との付き合いが嫌いなわけでなく、元来、人としゃべるのが好きな性格です。クラスに友達と呼べる存在がいないことは、マイナスなことだと思っていました。
KIKUTAプログラムとの出合いから、書き障害の診断に
-小学5年生で書き障害の診断がついたそうですね。学校でのICTを利用しての学習は、どういったことから始まったのでしょうか?
母が見つけてきた「一般社団法人 読み書き配慮」という読み書き障害者の支援団体のスクール「KIKUTA」に入塾したのが大きなきっかけです。KIKUTAは、ICT(Information and Communication Technology)を活用して読み書きをサポートし、学校側にICT機器を使用する合理的配慮を求め、必要な配慮を受けることで学習を円滑に進めることを目標としたプログラムです。
私の場合、合理的配慮を学校に申請し、それが認められたことが大きな突破口となりました。KIKUTAのレッスンでは、デジタル機器で文章を作るためのタイピングも習うのですが、私の場合、2年生の頃からタイピングゲームなどを通じてパソコンでのタイピングを覚え始めたので、そのあたりの苦労はありませんでした。
「一般社団法人 読み書き配慮」が提供するプログラムが「KIKUTA」。ディスレクシアなど学習障害(LD)を①知る②調べる③支援する活動を展開し、LDの人たちが活躍できる社会を目指している。子ども向けには「読み書きが苦手な子どものスクールKIKUTA」を開校。
診断がついたことで解決の糸口が見えた
学校で合理的配慮を受けるには、医師の診断書があった方がスムーズだということで、初めて読み書き障害に関する検査を受け、「ディスグラフィア/書き障害」だと診断がつきました。
診断がついて、障害名を告げられた際、今までモヤモヤとしていたものがハッキリと形を成して、ある意味スッキリしました。私自身、その障害を受容することにはまったく抵抗がありませんでした。それより、解決の糸口が見えたというか、暗闇に光明が差したというか、そういう気持ちになったんです。
ICTによる合理的配慮で「書く」喜びを得て、劣等感も減少

-5年生から宿題などでICT機器を使うようになったとのことですが、授業でも使用するようになってから、どんなふうに学校生活は変わっていきましたか?
6年生になってから、合理的配慮の一環で、学校にIT機器(iPad)を持ち込み、授業で活用するようになりました。本格的にICTを活用することで、学校生活の様々な場面で、私は「書く」ことができるようになったのです。今まで味わったことのない、「書ける」楽しさを感じるようになりました。
他の子たちが書くのと同じスピード、正確性で書けるようになると、手書きしていたときとは違って「書く内容」にまで注意が払えるようになったり、ということができるようになって、文章を書くことが楽しくなっていったわけです。
「書ける」ことで、学校行事にも参加できるように
「書ける」ことで授業の提出物を出せるようになったからか、気がついたら「書けない」ことによる劣等感は、徐々に減っていきましたね。クラスメートと同等に渡り合える自信が芽生えてきたからかもしれません。ほとんど毎日登校できるようになっただけでなく、これまでほとんど参加できなかった運動会のダンスにも参加することができました。
中学に進学してから、それほど親しかったわけでもない小学校時代の同級生から声をかけられ、自分の書いた文章を、「卒業文集の中でいちばんよかった。面白かった」と褒めてもらうという出来事がありました。文章を褒められたのはうれしかったですね。こうした経験を通して自己肯定感も高まり、「書けた」ことで自分が認められたという実感を持つことができました。
デジタル機器と書字障害に因果関係はなし。ICTを使う合理的配慮への理解を広げたい
-幸一さんは、ICTによる合理的配慮を受けられて今があるとのことですが、合理的配慮やディスグラフィアについて、読者に知ってほしいことはありますか?
すべての子どもの学ぶ権利を実現するためには、合理的配慮は不可欠なものだと思います。理想として、どの学校、どの地域でも格差なく、子どもたちが当然の権利として受けられるようになるべきでしょう。それは成績向上のためだけではなく、学校生活の充実や自己肯定感を育むために必要なものだと、多くの人に理解してもらいたいですね。
人によって学習効率が上がる方法は異なり、ノートに手書きでまとめると覚えやすいという人もいれば、タブレットなどのICT機器を使う方が向いている人もいます。それぞれがいちばん効率よく、気持ちよく学習できる方法を選べることが望ましいと思います。
-一人ひとりに合った「合理的配慮」が必要ということですね。
学びに自由度があるとよいですよね。ただし、自由と言っても、好きな教科だけを学べばよいということではありません。基本的な教科の勉強は、忍耐力や協調性といった、日本ならではともいえる、プラス面の国民性を育むことにもつながっているでしょうから、好きなことと必要なことをバランスよく学べるのが大切かと思います。
GIGAスクール構想が導入されて、一人1台、タブレットが支給されていますが、決まったアプリしか入れられないなど、学校現場でのICT機器活用への理解はまだまだだと思います。書き障害は、おそらく脳の機能に何らかの不具合があるために書くことができないわけで、手書きをしないことで障害が生じたというわけではありません。書字障害の原因が「デジタル機器の使用」にあるわけではないということは明言しておきましょう。
両親は対話を大切にして、好奇心を育んでくれた
-最後に、親の立場である読者に向けて、子どもの立場で伝えたいことはありますか?
そうですね、家庭内で会話しやすい雰囲気を大切にしていただきたいなと思います。
父は、私が尋ねたことにはしっかり答えてくれようとしますし、障害のことや私の特性についても積極的に理解しようとしてくれます。母は、私が何に興味があるのかをわかってくれて、好奇心を育んでくれますし、好きなことを、とことん追求させてくれるので、それはいつもありがたいなと思っています。親子の会話が多いからこそ、その時々の私の興味が、何にあるのかがわかるんだと思います。もちろん、やりすぎてしまう場合は、しっかり止められていますよ。
-「やりすぎ」た場合は、家庭ではどんな対応になるのですか?
実は、電子書籍のKindle端末を鍵付きの箱にしまわれてしまいました。あれは実際の本と違って、薄くて持ち運びが楽なので食卓にも持ち込みやすく、読書に熱中しすぎちゃうんですよね。再三注意されてもやめられなくて、ついには取り上げられました。
でも、取り上げられる理由をしっかり説明されたら、仕方ないなと私も納得できました。きちんと説明することって大事だと思います。あと、この子はこういう子、という決めつけはしないでほしいなと思います。私自身もそうでしたが、子どもは成長するにつれ変わっていきます。いつまでもずっと同じじゃないんですよね。
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読むことはできる。むしろ大好きだ。でも、漢字を習い始めて気づいてしまった。どうやら自分は「普通」ではないらしい…。苦しみぬいて、現実をあきらめた頃、恩人と出会い道が開けた、障害当事者の少年の経験談。まだ、一般にあまり知られていない「読み書き障害」への理解をうながすための好著。
お話を伺ったのは
2010年生まれ。東京都下に生まれ、幼少期から中学時代までを過ごす。漢字を学ぶ頃から、文字を手書きすることが苦しい「書き障害(ディスグラフィア)」に悩み、小学5年生のときに、障害と認定される。発達障害の症状があり、空気を読むこととうるさい環境が苦手。得意なことは読書と執筆。趣味はピアノとカメラ。2026年3月に初の著書『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』(新潮社)が刊行された。現在、高校1年生。
取材・構成/仲尾匡代 プロフィールイラスト/Ninomiya Yukiko