月20万人が利用する「やさしい字幕」つき無料ICT教材「eboard」。不登校や発達特性、経済格差などを抱える「どんな子も取り残さない学び」への想いとは

誰もが無料で学べるオンライン教材「eboard(イーボード)」には、すべての動画に「やさしい字幕」がついています。ビジネスとしての採算確保が極めて難しいとされるなか、NPO法人のeboard代表の中村孝一さんは、耳が聞こえない子、外国籍や感覚過敏で文字を読むのが難しい子のために、1,000人ものボランティアの手を借りて2,000本の動画に字幕をつけました。「私も学校が合わなかった」と語る中村さんに、eboardへの想いや、実際に利用したお子さんの反響、そして学びの選択肢がほしいと悩む保護者へのメッセージをお聞きしました。

傷ついた子どもの自己肯定感を取り戻したい

―eboard(イーボード)の立ち上げ当時、どのような現場の課題や子どもたちの姿があったのでしょうか。

中村さん:大学時代に塾の講師として働いていました。その中で私が胸を痛めていたのは、学校の勉強についていけず、完全に置いてきぼりにされていた子どもたちの姿でした。定期テストで一桁の点数だったり、良くても30点未満だったりする子が何人もいたんです。その点数では、学校の授業を聴いても内容が何一つ分からない状態ですよね。

でも、本当に深刻なのは点数の低さそのものではありませんでした。本人の話によると、「見捨てられている気がする」と言うのです。授業中にその子が机に突っ伏して寝ていても、先生から注意もされないし、声もかけられない。

それは、その子にとっては、学校が「誰からも期待されていない」場所だったということを意味します。彼らの口から、ぽつりと「どうせやっても……」「自分なんて無理だから」という言葉がこぼれ落ちるのを聞いたとき、何とも言えない憤りを感じました。

NPO法人eboard 代表理事の中村孝一さん。

―「どうせやっても」という言葉からは、子どもが深く傷つき、諦めてしまった様子がひしひしと伝わりますね。その姿を見て、中村さんはどう動かれたのですか。

中村さん:私は、勉強の点数が悪いことや、学習に困難を抱えていること自体は、社会に出る上であまり大きな問題ではないと思っているんです。

勉強以外に得意なことがあるかもしれないし、そうでなくても、困ったときに頼れる人が周りにいればいい。学校のテストがすべて100点である必要なんて、どこにもない。でも、勉強というのは、良くも悪くもすべての子どもたちが学校という公的な場所で直面する「評価の場」になってしまっていますよね。

周りの誰からも期待をかけられず、放置されてしまう環境の中にいると、子どもの自己肯定感は根底から破壊されてしまいます。「自分もやったらできた」という成功体験を、傷ついた子どもたちに届けられれば、彼らの崩れかけた自己肯定感を取り戻すきっかけになるかもしれない。「どんな子も取り残さない学び」 を提供したい。それが、eboardを立ちあげる一番の原動力になりました。

講師として働いていた頃。

「私も学校が合いませんでした」

―中村さんご自身も子どもの頃、学校が苦手で通うのがつらい時期があったそうですね。そのご経験が、いまの「どんな子も取り残さない学び」への熱意にどのようにつながっているのでしょうか。

中村さん:それはありますね。私の場合は少し特殊かもしれませんが、授業の内容を先に理解してしまうがゆえに、学校に適応できなくなったタイプでした。

教科書を読めば分かるのに、一斉指導の中では、周りのペースに合わせてじっと座っていなければならない。贅沢な悩みに見えるかもしれませんが、当時の私にとっては「なぜこの時間を耐えなければいけないんだろう」と、本当に苦痛で仕方がなかったんです。

さらに、体育の組体操でピラミッドを作るような、「全員で同じときに、同じことをやらなければならない義務」の同調圧力にも、意味を見出せなくなってしまって。5年生の終わり頃には心が折れて、学校への「行き渋り」が始まりました。

―ご自身も孤独で苦しい時間を過ごされたのですね。そこからどのようにして、学びの楽しさを取り戻されたのでしょうか。

中村さん:私を心配した親が個人の小さな学習塾を見つけてきて、週に1回だけ、私を通わせてくれたんです。そこでの体験が、私の人生を大きく変える分岐点になりました。

その塾は、先生が前に立って教えるスタイルではなく、生徒が自分でテキストを読み進め、どうしても分からない部分だけを先生に質問しに行くという「自立学習」のスタイルを取っていました。

学校では「教科書より先に進んではいけない」と制約されていたのに、その塾では自分のペースでどんどん先へ進んでもいいのです。そのときに、「優れた教材さえ手元にあれば、人間は自分の力でいくらでも学べるんだ」と思いました。

つまずいたときにだけ、そっと隣で伴走して、ヒントをくれる大人がいればいい。学びは誰かから与えられるものではなく、自分自身の手で掴み取るものだ。この経験があるからこそ、eboardは先生の解説を受動的に聞き続ける形ではなく、子どもが自分の力で進められる「自律学習のためのデザイン」に徹底的にこだわっているんです。

eboardの教材。内容に集中できるよう講師の顔が見えないスタイルですが、解説は親しみやすい口調が特徴。 

スピード感を重視するため「無料」に

―eboardは、なぜ「無料公開」にこだわったのでしょうか。

中村さん:まず、私たちは不登校や発達特性だけでなく、経済的困窮などさまざまな理由によって「学びをあきらめない社会」をミッションとして掲げていることが挙げられます。

また、学校が導入する場合にも、有料だと提案から導入までに時間がかかることが多いんです。場合によっては数年の入札期間がかかる場合も。でも、不登校や勉強に苦しむ目の前の子どもたちに、そんな時間は待てません。だからすべてのコストをカットし、いますぐつながる無償の教材が必要でした。

コロナ禍を経て学校のデジタル環境が整ったいま、面白いのは、広がり方が教育の枠を超えたことです。学校の先生だけでなく、スクールカウンセラーやソーシャルワーカー、さらには小児科の医師が発達障害などで学びにくさを抱える子への教材として紹介してくださるケースが急増しています。

コロナ禍に届いた字幕へのリクエスト

―eboardの大きな特徴として、すべての学習動画に「字幕」がついている点が挙げられます。一般的にオンライン教材で全動画に字幕をつけるのは、膨大なコストや手間の面から難しいとされていますが、あえてそこにこだわり抜いた理由は何だったのでしょうか。

中村さん:実は、最初からすべての動画に字幕をつけていたわけではないんです。きっかけは、2020年春のコロナ禍でした。最初の緊急事態宣言が出て、全国のすべての学校が一斉に休校になったとき、私たちもそうですが、多くの民間教材会社が、子どもたちの学びを止めないために一斉に教材を無償公開しました。

その中で、私たちの元に、ろう学校の先生方や、聴覚障害を持つ当事者の高校生、そしてその保護者の方々から「動画に字幕をつけてほしい」という切実なお願いが届いたんです。

ろう学校の先生からのメール。

―学校が閉鎖され、自宅学習を強いられる中で、耳の聞こえない子どもたちが完全に孤立してしまったのですね。

中村さん:そうなんです。世の中にオンライン学習の波が押し寄せたものの、出回っている学習動画には一部の教育番組などに字幕がついているくらいで、単元ごとに自分のペースで勉強できる解説動画はありませんでした。

おそらく、多くの企業がこのニーズに気づいていたとは思います。ただ、一般的な経済合理性から見れば、学習動画の1本1本に文字起こしをして字幕を組み込むのはコストがかかりすぎます。ビジネスとして利益を出すのが非常に難しい領域だからこそ、参入する企業がなかったのだと思います。

もちろん、私たちの財政も当時は決して余裕があったわけではありません。それでも、これは絶対に誰かがやらなければいけない仕事だという、強い覚悟を持って字幕プロジェクトを始めました

たった2人で「やさしい字幕」プロジェクト始動

―全動画への字幕対応を実現するのは大変だったのでは? 当時、スタッフの方々も非常に少ない人数だったと伺っています。

中村さん:決断したものの、当時のeboardの体制は、私を含めてフルタイムのスタッフがわずか2人、パートタイムを合わせても4、5人の小さな組織でした。一方で、字幕をつけなければならない動画はすでに約2,000本あったんです。

まずは、元日本語教師だったチームのスタッフと私で1本目を作ってみようと、中学校の社会や理科の動画に、話した内容をそのまま文字起こしして字幕を打ち込みました。動画の長さは平均してわずか8分程度なのですが、実際に作業してみると、1本の動画に字幕を付けるのに6時間かかってしまいました。

やさしい字幕。ふりがなもあり、分かりやすい表現が使われている。 

―8分の動画で、6時間ですか!? 想像を絶する労力ですね……。

中村さん:そうなんです。さらには完成した最初の動画を、お問い合わせをいただいていた、ろう学校の中等部で子どもたちに見てもらったとき、内容がうまく伝わらなかったんです。

聴覚に障害のある子どもたちや、外国にルーツを持って日本語を学んでいる子どもたちは、耳からの情報が制限されている分、どうしても年齢相当の語彙力や日本語の文章表現に遅れが生じやすい。話している言葉の通りに字幕を入れても意味や表現が伝わりづらいんですね。

ですから、単なる文字起こしではなく、意味を保ったまま言葉や文章表現が伝わりやすい、「やさしい」字幕にしなければならないのだと気づきました。

―その頃がいちばん大変だったのではないですか?

中村さん:気の遠くなるような総作業時間を計算したとき、スタッフ一同「これは生きている間に終わるのだろうか」と、一瞬目の前が真っ暗になりました(笑)。

でも、NPO法人を立ちあげてからの数年間を思えば、当時は翌年の資金繰りをどうするか、毎年頭を抱えていましたから。いま振り返ると、ちょっと思い出したくないくらい過酷な時期でもありました。

―その気が遠くなるような状況から、最終的に1,000人ものボランティアが協力する一大プロジェクトへと発展した背景には、何があったのでしょうか。

中村さん:資金調達に動く中で、意外な社会的ニーズとのマッチングがありました。当時はコロナ禍で多くの企業がリモートワークへ移行し、従来の対面ボランティアができなくなった結果、企業が「在宅でできる社会貢献」を強く求めていた時期だったんです。

「これだ」と思った私たちは、8分の動画に字幕をつける作業工程を、すべて細かく洗い出しました。専門知識がなくてもマニュアルに沿って取り組める「4時間分」をボランティアの皆さんにお願いし、最後の仕上げの「2時間分」を私たちが担うシステムを構築しました。

必死で体制を整えた結果、1年3ヶ月の間に1,000人を超える方々が集まってくださいました。「画面の向こうにいる子どもたちに言葉を届けたい」という皆さんの熱意が連鎖し、約2,000本すべての動画にやさしい字幕をつけることができました

国内の映像授業教材として初めて字幕による学習機会の保障を実現し、第5回 ジャパンSDGsアワードにおいて、SDGs推進副本部長(内閣官房長官)賞を受賞。

想定していなかった「感覚過敏」の子どもたちからの反響

―「やさしい字幕」が完成したことで、実際に利用している子どもたちや学校現場には、どのような反応がありましたか。

中村さん:これが本当に驚くべきことで、私たちの当初の想定を遥かに超えた、うれしい「誤算」がいくつも現場から報告されました。当初は聴覚障害のある子や外国ルーツの子のために作った字幕だったのですが、学校現場にいた、全く別の学びにくさを抱える子どもたちの決定的な救いになっていたようです。

特に印象深いのは、「感覚過敏」の特性を持つお子さんのエピソードです。その子は学校の教室のざわざわした騒音に耐えかねて不登校になってしまい、家でタブレット学習を始めようとしたのですが、イヤホンから流れてくる「動画の音声」そのものすら、脳の過敏さから「音がしんどくて聴いていられない」という状態でした。

しかし、eboardの動画を開いたその子は、パソコンのボリュームを完全に「ゼロ(消音)」にして、画面に流れる「やさしい字幕」を静かに読み進めることで、一切の音ストレスなく、教科の学習を遅れることなく進めることができるようになったんです。

「音がダメなら、視覚だけで学ぶ」。この使い方は、開発した私たちですら全く想定していなかったので、現場の子どもから逆に教えられました。

子どもの手が届くところに選択肢を

―「学校の勉強が合わないかもしれない」と感じている保護者も少なくありません。学びの選択肢を探している保護者へのメッセージをお願いします。

中村さん:私個人の本音を言えば、「本人が望まない限り、無理に勉強をやらせても仕方ない」と思っています。学校で傷ついてエネルギーが切れているお子さんが、ゆっくり休んでエネルギーを回復させて、「やってみようかな」と思えるタイミングが来るまで、どうか焦らずに待ってあげてください。

もし合わなければいつでもやめていい。「本人がその気になればいつでも手を伸ばせる選択肢を置いておこう」。そんな軽い気持ちで、私たちのeboardも選択肢の一つとして置いておいてもらえたらうれしいですね。

学ぶこと自体は本来、楽しいものです。子どもたちが再び自分の足で歩みだすための最大の支えになれたら、これほどうれしいことはありません。

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お話を聞いたのは

中村孝一 NPO法人eboard 代表理事

1986年、兵庫県生まれ。大学在学時、学習塾や学習支援現場での経験から、子どもたちの学習課題を痛感。外資系コンサルティング会社勤務を経て、2011年eboardを設立し、2013年にNPO法人化。3児の父。第5回「ジャパンSDGsアワード」(主催:SDGs推進本部、本部長:内閣総理大臣)において、SDGs推進副本部長(内閣官房長官)賞を受賞。

この記事を書いたのは

黒澤真紀 ライター

愛媛県出身。大学時代まで自然豊かな愛媛で過ごし、都内の学習塾に勤務した後、2011年よりフリーライターへ。教育分野を中心に、医療やライフスタイルなどのテーマで執筆しています。息子たちが小学生の時に大学院を受験し、2019年、お茶の水女子大学大学院修士課程修了(社会科学修士)。子育てもひと段落。最近、俳句を始めました。

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