毎年3月10日は、東京大学の合格発表の日。毎年約3000人が合格する東大では、今年も、私立開成高等学校、筑波大学付属駒場高等学校、私立桜蔭高等学校、私立灘高等学校など、中高一貫の最難関校から数多くの合格者が出ました。小学生から進学塾に通い、中学受験で難関校を突破してきた小さい頃から優秀な子たちばかり。
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進学校出身者でない東大生も
難関校出身者が多い東大に、2017年の年末、『東大フロンティア・ランナーズ(UTFR)』というサークルが発足しました。このサークル、誰でも入れるわけではなく、東大を目指す生徒がほとんどいない高校の出身者だけが所属できるという団体。東大において極少数派が集まったサークルなのです。
高校時代は同級生から、ときには先生からも「東大? 冗談だろ?」と言われながらも、彼らは、その意志を曲げることなく、まわりに流されることなく努力を重ね、東大合格を果たしました。
小学生の頃はもちろん、中学生に入ってすぐは、東大を目指せる成績をとっていたわけではなく、東大にいくなんて思っていなかった子ばかり。そんな子たちが、きっかけはいろいろあれど、「東大にいきたい」と一念発起するのです。
昨年の夏、このサークルとの出会いをきっかけに、『非進学校出身東大生が高校時代にしてたこと』を上梓した太田あやさんが、再度彼らに取材し、高校時代だけでなく、HugKum世代にとって関心のある小・中学校時代の彼らがどんな子どもだったのか、東大合格の原点を探ります。
「学びの楽しさ」へとつながった読書経験
一人目は、前述したUTFRの創設者であり、初代代表を務めた教養学部学際科学科4年の大野康晴さんです。彼は、私立上宮太子中学校特進コース(大阪府)に通っていた中1の冬、「毎日2時間勉強する」と決めました。それ以降、学年トップの成績を安定して取り続け、中2で東大受験を決意。一日2時間の勉強を続けることで、高2の模擬試験では、校内偏差値114(国語・英語・世界史)という成績をマークし、東大に現役合格を果たしました。高校からは7年ぶりの合格となりました。
一人っ子で言葉の遅かった幼年時代
「今のおしゃべりな僕からは信じられないとよく言われるんですけど(笑)、言葉が遅くて、3歳ではまだちゃんとコミュニケーションが取れなかったんです。だから、幼稚園は年中から通いました」
自分自身を語るときはいつも豊富な語彙で理路整然と話してくれる大野さんからは想像のつかない幼少期ですが、幼稚園に通った年中から、彼の知的な世界は少しずつ広がっていきました。
大野さんは、一人っ子。友人と遊ぶとなれば戦いごっこをするなど男の子らしい一面を見せますが、家にいるときは一人黙々と遊ぶことが多かったと言います。そんなときのお供が本だったそうです。
一人遊びの延長としての読書
「母がテレビを見る習慣があまりなかったので、娯楽というと本しかありませんでした。絵本の読み聞かせをしてもらった記憶もあまりないのですが、一人になるとよく本を読んでいました。本棚には、母が用意した本が置いてあり、なかでも、『えほん百科 ぎょうじのゆらい』(講談社)という本は、暇さえあれば食い入るように眺めていたのを覚えています」
小学生になると、読書熱はどんどん高まり、原ゆたか『かけつゾロリ』シリーズ(ポプラ社)から始まり、小3以降は、宗田理『ぼくらの七日間戦争』、中沢啓治『はだしのゲン』、江戸川乱歩の少年探偵シリーズを読んだあとは、さらに、東野圭吾のガリレオシリーズにも手を伸ばしましたそうです。また、歴史漫画もよく読んだと言います。
読む本のジャンルはさまざま
また、小2の頃から始めた、通信教材「進研ゼミ」のオプション教材、『かがく組』という毎月届く科学雑誌にも夢中になりました。次号が届くまで何度も何度も読み込んだおかげで、蚊の針をヒントに開発された痛くない注射針や先カンブリア時代の動植物の話など、今でも覚えている話題はいくつもあると言います。
図鑑に小説、漫画と多読だった大野さんに対し、お母さまも惜しみなく本を買い与えてくれたそうです。
読書が大好きで、興味があることはどんどん吸収する。大野さんは、小学生時代の自分を「容量の大きいハードディスクのような子」だったと振り返ります。
「今まで知らなかったことを知る、理解するということに喜びを感じていました。未開な土地を切り開いていくような感覚がありましたね。また、物語も読んでいて、その情景が映像として浮かび、ドラマとして展開されていく、それが好きでした」
ゲームと勉強の両立で中学受験
大野さんは、本の虫である一方で、無類のゲーム好きでもありました。小1になり念願のゲーム機を買ってもらってからは、毎日30分や1時間など制限を決めつつも、「あともう少し」と延長するのが常でした。
時間があれば読書にゲームにとのめり込む一方で、学校の成績はどうだったのでしょうか?
「通っていた公立小学校では良い方だったと思いますが、僕が育った地域は、大阪の南部の方。そんなに学習意欲が高いほうではなかったので、相対的によかったというだけでしたし、僕自身、勉強へのモチベーションは高くありませんでした」
そんな大野さんが、中学受験を考えたのは、「公立中学へいきたくない」という切実な思いからです。荒れた地域だったため、とにかく先輩が怖かった。小学生の頃は、鉄パイプで殴られそうになった経験もあり、中学校の怖い噂も耳に入ってくる。そのため、小4から塾へ通います。いわゆる進学塾ではなく、補習塾。進学塾に通う予定だったのですが、入塾面談で「放課後は毎日、お弁当持参で塾に缶詰になります。学校の授業は寝てもらって結構です」と言われたことに対してお母さまが疑問を持ったそうです。学校の授業が最優先であるべきだと。また、小学生からそんなハードに勉強をさせるのはしのびないと。「勉強しなさい」と強要されることのない、実力に合った中学にいけばいいという受験でした。
さんざんやってゲームも飽きてしまい…
小5までは、模擬試験の見直しも面倒臭いとあまり勉強に身が入りませんでした。ところが、小6になると、少しずつ計画的に勉強を始めるようになります。小学生最高学年となり帰宅時間が遅くなった上に、週3で塾に通うことに。物理的に時間がなくなる状況に、内的変化もあったと言います。放課後、友人たちと遊ぶよりも家にいたいと思うようになり、それに伴い、ゲームにも興味がなくなったそう。
「ゲームソフトはたくさんもっていたんですが、いろいろやり込むと、だいたいどのゲームもできるようになりました。そうすると“もういいかな”と飽きてしまったんです。放課後に友人と遊ばなくなったことも影響していと思います」
この頃から、自分なりに考え、勉強に取り組むようになりました。勉強はできるだけ塾で終わらせたい。そこで、週3の塾でしっかり学び、出された課題を家でやる。あとは、30分だけと決めて、自主勉強を始めました。理科の知識をノートにまとめたり、わからない問題を解き直したりという時間にあてたそうです。自分のペースで、自分で決めた範囲で無理なく続けた勉強。当時の偏差値は、国算理社の4教科で50台。私立上宮太子中学校特進コースに2位の成績で特待生として合格しました。
中学生になって一念発起の「1日2時間」学習
中学に入り最初にテストで一位に。あまり勉強せず好成績をとったことで「俺、天才なんじゃない?」と過信してしまい、しばらくは再びゲームに明け暮れる日々を送ることに。ところが中1の冬。「今の僕から勉強ととったら何が残るのだろう」と我に返ったそうです。
「僕は、運動神経がよくありません。また、外見は、細いメガネをかけた天パのぽっちゃり体型。典型的な地味キャラでした。こんな僕がゲーム漬けの毎日を送っていたら、一生陽の当たらない人生を送ることになると思い、ここから1日2時間の勉強を始めることにしました」
1日2時間の継続が基礎に
それ以降、高2の冬から本格的な受験勉強をスタートさせるまで、クラスメイトからいじめにあったり、アイドルの追っかけにはまったり、初恋の相手からふられたりといろんなことがありながらも、大野さんは、1日2時間の勉強を続けました。それが東大合格を可能にする基礎学力を養ったのです。
受験勉強の原点となったもの
最難関校出身の東大生に比べたら余裕のある小学生時代ですが、この時期に受験勉強の原点となるものがあると話します。
「読書をしてきたこと、そして、親が見守りながら自然と学びのほうへ導いてくれたことだと思います」と大野さんは言います。
幼少期から多くの本を読んできたことで、知見を広げることは喜びであるということを体感してきました。興味がある、知りたいから本を読む。その地続きに勉強があり、常に「知りたい」ということが意欲のベースとしてあったと言います。
知識と知識が結びつく
「高校生になり、東大を目指すには、世界史や日本史は先取りしなくてはいけないと独学で進めたのですが、その際も知識と知識が結びつくことで、見える世界が変わっていくことに達成感を感じました。それは小さい頃の読書体験と共通していたように感じます」
そして、もう1つ。親御さんの見守るスタンスが良かったと話します。大野さんの興味がありそうな本をさりげなく家に置いておいてくれたり、買ってくれたり。また、大野さんの興味を否定するのではく、満足いくまでやらせてくれた。それは、ゲームに対してもそうです。ゲームは、小学生のときも、中学生のときもとことんやったからこそ「もういいや」と思えるようになったのではないかと振り返ります。
口を出さないと言って放任ではない。押さえるところは押さえ、興味を広げることが喜びにつながることを経験させながら、見守ってくれる。そのことが、自分で決めたことはやり通すという力になりました。
獲得した知識がさらに「知りたい」テーマを広げる
「今、コロナの影響で家にこもって勉強していることが多いです。専門分野に関する本を読み、知識を獲得し、またそこからさらに新たなテーマに広がり読んでみたい本が出てくる。小学生の頃の自分を思い出すんです。自分の興味に立脚した学びの習慣。それが受験だけではなく、今の自分の学びの原型になっているんだなと感じています」
小学生の頃と同じように、未開の地を耕すように、大野さんは今も自身の知見を耕し続けています。
構成・文/太田あや
1976年、石川県生まれ。ベネッセコーポレーションで進研ゼミの編集に携わった後、フリーランスライターに。教育分野を中心に執筆・講演活動を行っている。『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)などの「東大シリーズ」のほか、『超(スーパー)小学生』(小学館)、『東大合格生が小学生だったときのノート/ノートが書きたくなる6つの約束』(講談社)などの著書がある。
有名進学校からの合格者が極端に多い東京大学。そんな東大に「東大非進学校」から合格した現役東大生11名にインタビュー。 高校の授業のカリキュラムや指導ノウハウが整っておらず、周囲に競い合う仲間やライバルもいない環境で、彼らはどのように東大合格を果たしたのか。 「模試で校内偏差値は114なのに東大はC判定」「東大受験を担任に反対された」などのエピソードを取り混ぜながら、 それぞれの勉強法や役に立った参考書や問題集、予備校の活用法、勉強に適した環境づくりなどの情報も網羅しています。