高校生の頃にドローンレース大会の日本代表に選ばれ、ドバイでの世界大会に出場したことで話題になった髙梨智樹さん。その様子はTBSの人気番組「情熱大陸」でも放送されました。21歳になった現在はお父様と一緒にドローン撮影会社「スカイジョブ」を立ち上げ、ドローン撮影の仕事や講演活動などをしています。
智樹さんには学習障害(LD)のひとつである「識字障害(ディスレクシア)」があり、子どもの頃から文字を読んだり書いたりが困難だったそうです。また、幼少期には周期性嘔吐症という病気もあり、小学校はほとんど行けず、中学は特別支援学校に通っています。そんな彼がドローンで起業するまでには、どんなことがあったのでしょうか?智樹さんのお母様の髙梨朱実さんに伺いました。
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2歳で周期性嘔吐症を発症。週の半分も登校できなかった小学生時代
智樹は2歳で周期性嘔吐症と診断されました。自家中毒とも呼ばれる病気で、血中にケトン体が増えて嘔吐してしまう病気です。感染症ではないので人にうつすことはないのですが、吐くことが続くと脱水になるので、病院で点滴を受けなければならず、自ずと学校は休みがちでした。小学生の頃は、週の半分も学校に行けなかったので、学力は明らかに低下していました。そのために勉強についていけないのだと思っていました。
漢字はほとんど読めないけれど、読み上げれば理解できる
小学校高学年のときに、担任の先生から、「智樹くんは漢字にルビをふると読みやすいようです」と言われました。後でわかったことですが、その担任の先生は小学校高学年になっても文字が読みにくい、漢字はほとんど読めない。だけど読み上げてあげれば理解はできるという智樹の様子から、学習障害のひとつである「識字障害」かもしれないと思い、対策を考えてくださったのです。しかし、そのことを学校側から親に伝えることができる時代ではありませんでした。当時は発達障害や学習障害などに関する情報が少なく、智樹が字を読めないことが「識字障害」という生まれつきの障害であることに、私たちは気づいてあげられませんでした。
文字の読み書きができるように、学校の先生とは相談を重ねました。文字を書きたいと思う意欲を育てるために「交換日記をつけよう」との提案もいただきました。クリスマスには「サンタさんにお手紙を書かないとプレゼントをもらえないわよ」と言いました。プレゼントを楽しみにしていた智樹は、鏡文字や誤字だらけでしたが、一生懸命に手紙を書きました。智樹がサンタクロース宛に書いた手紙は今も大事にとってあります。障害のことを知らなかったとはいえ、どれだけ大変な思いで書いたのだろう。なんてひどいことをしたのだろうと悔やんでいます。
具合がいいときには、大好きなヘリコプターを追いかけて家族でイベントに参加
智樹は具合が悪くて友達と遊ぶことがあまりできなかったので、週末には、いろいろなところへ連れて行きました。小さい頃から乗り物や特殊車両などが好きだったので、自治体や自衛隊などが主催する防災訓練があるとわかると出かけました。特にヘリコプターは大好きで、機体のこともすごく詳しく、家にいても空を飛ぶヘリコプターの音が聞こえると、「あ、○○が飛んでいる」と音だけで判断できるほど。だから、実機を見るときには、目をキラキラさせていたのを覚えています。その点は主人も同じ考えで、智樹に見せてあげたいものがあれば、遠いところでも家族で一緒に出かけました。
観光地などで乗れるヘリコプターの遊覧飛行は、決して安いものではありません。でも、智樹が好きなことなので、体調がよくて乗れる日であれば、一番長いコースを飛んで楽しみました。空を飛ぶことは、主人も大好きで、家族で楽しめたのもよかったです。友達と遊ぶ時間があまりなかったからこそ、私たち家族が、智樹が楽しめることを一緒にやりたいと思っていました。
小学生からPCに馴染み、読み上げソフトを活用して情報を収集
学校に行けず、家で過ごすことが多かった智樹は、父や兄の影響もあり、小さい頃からプラモデルやラジコンを楽しんでいました。道具が家にたくさんあったこともあるのでしょうが、誰に教わったわけでもなくカメラ付き戦車を作り、自分の部屋にいながら、家中を撮影したりして遊んでいました。おもちゃを買ってあげてもなんでも分解してしまうのには参りましたが、物の仕組みを知りたかったのでしょう。
パソコンも小学生の頃から使い始め、動画などで知りたい情報を得ていたようです。文字が読めなくても動画なら見てわかります。また「棒読みちゃん」という読み上げソフトも使いこなして、テキストデータを読み上げて聞いて理解していました。海外のサイトは英語を一度翻訳ソフトにかけ、さらにそれを読み上げて、知りたい情報を得ていました。智樹は自分で工夫して何かを作りだせる力が当時からあったと思います。
智樹が中学入学する春、乳ガンに
智樹は小学校の先生方のすすめもあり、中学から特別支援学校へ進むことになりました。その後の進路や就職はどうなるのか?など、葛藤はありましたが、当の本人が地元の公立中学より特別支援学校への進学を望んだので、受け入れました。
私が病気になってどうするの!?
小学校の卒業式が終わったあとの3月31日に、私は乳がんだと告知されました。エイプリルフールには1日早い日。悪い冗談だと受け入れることができませんでした。ガンだと告知されたとき、真っ先に思ったのは、「そんなわけはない!」という根拠のない自信でした。子どもが病気なのに、私が病気をするわけがない。私は倒れるわけにいかないのに、神様はなんて意地悪なの?と天を恨みました。ドクターにも「私は病気している暇はありません。病院に来るのは子どものことだけで精一杯です」と言いました。でも「あなたご自身を治さないと、お子さんを見ることもできなくなりますよ」と言われました。私の根拠のない自信は、みごとに打ち壊されたのです。
母の病気がきっかけで家族みんなが「これから」を考えた
家のことも、智樹を病院に連れて行くことも、これからどうしたらいいのだろう? と、途方にくれましたが、私のガンをきっかけに、家族が良い方向へと動き出しました。摘出手術を受け、通院で抗がん剤治療を受けている間は、将来のことを不安に思い、泣きながらウィッグをつける時期もありました。そんな私を見て、主人は人生についていろいろ考えたのでしょう。
智樹も中学1年生という多感な時に、母はいつ死ぬのだろう?と不安だったと思います。その頃から、主人がすすんで家のことをやってくれるようになりました。智樹の6歳年上の兄の一樹は、智樹が中学進学するタイミングで大学に進学しましたが、いったん大学を休学し、私と智樹を病院に連れて行くことや迎えに行く役目をかって出てくれました。
中学1年で始めたドローン作り。アマチュア無線の免許も取得
中学生になってまもない頃、智樹がドローンを作るための機材や部品を購入したいと言い出しました。当時の日本ではドローンをやっている人はほとんどいなくて、情報もほとんどありません。智樹は小学生の頃から海外の動画サイトを見ていたので、そこでドローンで撮影された映像や、ドローンの作り方などの情報を得ていました。しかし、その材料は海外にしかなく、海外のサイトに申し込んで個人輸入をしないといけなかったので、親の承諾が必要だったのです。
智樹は海外のサイトが信頼できるものなのか、日本でドローンを飛ばすことに違法性はないのかなどもきちんとリサーチしていて、私たちを説得しました。やりたいことが見つかると、とことんのめり込むタイプなのです。
文字は読めなくても暗記は大得意。2回目の試験でアマチュア無線免許を取得
届いた部品でドローンを自作し、空を飛ばしはじめたのは中学2年の頃です。当時はドローンにスマホをセットして空撮をしたりして楽しんでいました。ちょうどこの頃、首相官邸にドローンが墜落するなどの事件が相次ぎ、ドローンの規制の法整備が進みました。その結果、ドローンを飛ばすためにはアマチュア無線の資格が必要となりました。
文字が読めない智樹が試験を受けるのは大変でしたが、過去問題を読み上げ機能で読み上げて、ほぼ丸暗記でのぞみ、2度目の受験で合格。智樹の脳はまるで外付けハードディスクのように記憶容量が多くて、耳で聞いたことを覚えることができるのです。読み書きは苦手だけど、その分、神様が授けてくださった力なのかもしれません。
中学3年で診断された「識字障害」。すぐには受け入れられなくて・・・
周期性嘔吐症で普通校への通学が困難だからと入学した特別支援学校でしたが、そこで担任の先生から「智樹くんは識字障害があると思う」と言われました。そして、中学3年のころに先生のすすめで診断を受けることになりました。
「識字障害」の診断を受けた際は、にわかには受け止めることができませんでした。障害というものに対して、世間がというより、私自身のなかに、まだ偏見があったのかもしれません。成長したら改善するかもしれないし、本人が気づかないまま就職、結婚できれば、それでいいんじゃないのか。実際、私たちの世代には、「識字障害」と気づかずに大人になり生活している人も多いのだから、あえてレッテルを貼らなくても…、とずいぶん悩みました。
後編に続く
お話しを伺ったのは
髙梨朱実さん
『文字の読めないパイロット
〜識字障害の僕がドローンと出会って飛び立つまで』
髙梨智樹/著
1300円(税抜)イーストプレス
構成/江頭恵子