47年間で200 人以上の子どもと暮らした治療的里親・土井高徳さん「愛着障害をもった15歳の少年、浩太とは7年かけて家族になった」

子どもは親に対して「自分を認めてほしい」という根源的な欲求があります。たとえ親がどんなに理不尽な要求をしたとしても、子どもは親に認めてもらおうと頑張るのです。土井高徳さんは、さまざまな事情で家族と絆を結べない子どもたちを引き取って養育する里親として、半世紀近くそんな子どもの姿を目の当たりにしてきました。

心に大きな痛手を抱えた子どもたちに家族として寄り添う。わが家は「里親家族」

福岡県北九州市で里親をやっているわが家には、思春期の多感な子どもたちが次々とやってきます。この47年間に200 人以上の少年少女がわが家でともに暮らし、自立していきました。
わが家にやってくる子どもたちは心に大きな痛手を抱えてきます。その痛手を癒し、元気を取り戻すために必要なのが、食事と睡眠、そしてにぎやかな会話という「何げない毎日の暮らし」です。
子どもたちはわが家の門をくぐる以前、親子団らんという当たり前の生活をうばわれてきたからです。

心に深い傷を持った子どもの場合、専門家と手を取り合い、特別な治療と教育が必要となります。子どもたちに家族として寄り添い、養育を通じて自立を促し、社会に送り出す。わが家の取り組みは、海外では「治療的里親」と呼ばれています。

本来守ってくれるはずの親から受けた過酷な経験が原因で、深刻な心の傷を負った子どもたち。しかし、たとえどんなにひどい親であっても、子どもは親を切ないほど慕い、見捨てられることを悲しいほど恐れます。子どもたちに家族として寄り添い、日々養育をするなかで、私は親子の絆や家族のありようについて、何度も考えさせられました。

「心のスイッチ」を切る15歳の浩太

当時15歳の浩太(仮名)がわが家にやってきた当初、浩太は食事やおやつを十分に食べたにもかかわらず、すぐに菓子類を持ち出しては、部屋に隠しました。虐待された子ども特有の行動です。タンスの引き出しにアイスクリームやポテトチップスを隠すので、そのたびに衣類を洗濯しなければなりませんでした。
叱ると、浩太には意識が遠のく様子が見えました。つらい場面に直面すると、心のスイッチを切る解離性障害の可能性を私は感じました。

やがて浩太は「気がついたら知らないところに立っていた」と迎えを求めたり、包丁を持ってジッと眺めていたり、「目が見えない」と訴え、突然歩けなくなったり、野獣のようになったり、さまざまな症状を見せはじめました。

大学病院に入院させた私は両親に連絡をとりました。
「明日にでもさっそく行きます」
「ご両親が見舞いに来るそうだよ」
私がそう告げると、浩太の顔はパッと輝き、かつてないほどの笑顔を見せました。しかし、残念ながら約束は守られませんでした。

それがわかったとき、浩太は半狂乱になり、息を止め、医師をあわてさせました。
病室では荒れる浩太も、私たち夫婦が姿を見せると不思議と落ち着くと看護師が語ってくれました。

青く晴れわたった夏の空に秋の気配が漂いはじめ、やがて季節はめぐり、道行く人々がコートの襟を立てて歩きはじめたころ、私は主治医に呼ばれました。
「浩太さんを引き取る意思はありますか」
「もちろん、引き取ります」
医師の顔に安堵が浮かびました。
「そうですか。医学的にはこれ以上処置することはありません。浩太さんには家庭が何より必要です」

浩太を待ち続け、7年かけて家族になった私たち

3年の歳月が過ぎ、浩太は成人式を迎えました。背広をそろえ、小遣いを持たせ、見送りに出ると、浩太が遠慮がちに聞いてきました。
「お母さんにあいさつに行っていいですか」
駅前で会っても無視をするような母親への思慕。
「行ってこい」
私たちは笑顔で見送りました。しかしその夜、浩太は憔悴して帰宅しました。母親は「眠たい」と言って、玄関口にも出てくれなかったそうです。

「つらかったなぁ」
私はそう声をかけたものの、浩太はうつむいたままでした。冷たい北風が一晩中、窓を揺らしていました。
成人式から8か月後、浩太は突然わが家から姿を消しました。年が変わっても連絡がありません。親代わりになろうと重ねた努力、親になったという確信が崩れ、私たち夫婦の会話も失意に途絶えがちになりました。浩太に寄り添い支えた日々を思い起こし、切れかかった、かすかな絆を信じて待ち続けました。

そして2年目の夏、一通の手紙が届きました。
「玄関まで来たけれど、チャイムを鳴らせなかった」
読みながら、胸が熱くなりました。すぐに私は連絡をとりました。
「帰ってきなさい、わが家だろう」
ほかの子どもたちへのたくさんのお土産を抱え、浩太は1年3か月ぶりにわが家に帰ってきました。

土木作業員として日々働いていたようで、顔は真っ黒に焼け、二の腕はたくましくなっていました。夜が更けるまで語らい、笑いが広がりました。
「ただいま」
「おかえり」
7年の歳月をかけて、私たちはやっと家族になれたのです。

「あるがままの自分を受け止め、認めてほしい」という子どもの思い

一般に、「虐待」という言葉から連想するのは、殴ったり蹴ったりといった暴力行為ではないでしょうか。しかし虐待とは、暴力行為だけではなく、子どもが「心身の安全感」を感じることができない状態に置かれることを指すのです。また、自分自身の感情やニーズに対して、親から適切に応答してもらえず、自己肯定感と自立性の感覚を育むことができない状態も広義の虐待です。

たとえば、親が果たせなかった夢を子どもに託すことは、子どもが親の自己愛の充足の手段にすぎないということです。親のコミュニケーション能力の欠如や激しい家族内葛藤によって、子どもが自然な感情を表すことができない状態も、子どもの健やかな発達を阻害する要因となります。

子どもには「あるがままの自分を受け止め、認めてほしい」という親に対する根源的な承認欲求があります。たとえどんなにひどい親であろうとも、子どもは親の要求に応えようとがんばるのです。子どもは親を切ないほど慕い、悲しいほど親を求めています。親の存在を忘れたかのように振る舞う子どもの内面に、ヒリヒリするほど熱い親への思慕があることを、私は47年間の里親生活で繰り返し痛感させられてきました。

思い出してください。初めてわが子に対面したときを

子どもによりよく成長してほしいと願うのは、親ならば当たり前の感情です。しかし子どもに要求する前に、まずは私たち親が、子どもの自然な欲求を受け止めてあげているのか、振り返ってみる必要があるのです。
その昔、出産の瞬間に、初めて対面したわが子にみなさんが感じたことは何だったでしょうか?
「生まれてきてくれて、ありがとう」
そんなシンプルな感謝と安堵ではなかったでしょうか。もしも今、みなさんが子どもに求めている願望があるのならば、そのときの原点に立ち返ってみてください。あなたの抱えている願望が、かえって子どもの成長を阻害していないか、じっくり考えてみてください。
「今あるあなたを、等身大のあなたを愛しているよ」
子どもたちがあなたに求めているのは、ただひとつ。あなたからのそんなメッセージです。

 

土井高徳さん|一般社団法人おかえり基金(土井ホーム)理事長
里親。学術博士。保護司。医師や臨床心理士などと連携して、国内では唯一の「治療的里親」として子どもたちのケアに当たっている。福岡県北九州市で心に傷を抱えた子どもを養育する「土井ホーム」を運営。2008年11月、ソロプチミスト日本財団から社会ボランティア賞を受賞。著書に『思春期の子に、本当に手を焼いたときの処方箋33』『怒鳴り親 止まらない怒りの原因としずめ方』(共に小学館新書)などがある。

写真/繁延あづさ

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