ギラン・バレー症候群で生死の境をさまよった俳優・小堀正博さん。極限状態のときに決心したことは?「役者の仕事は無理でも、オンライン授業ができれば幸せ」

関西学院中学部から高等部、大学と進んだ小堀正博さん。教育関連会社に内定をもらったものの、辞退して所属芸能事務所に残り、卒業後も俳優を続けることを決心しました。しかし、仕事が順調に回っていた2024年、生死の境をさまようことに……。2回目のインタビューでは、いきなり希少疾患を患った小堀さんが、なぜ職業を維持できたのかを伺います。お子さんの将来を考えるときにも役立つお話、ぜひ聞いてください。

内定を辞退して俳優+家庭教師で生きていく決心を

――企業の内定を辞退した小堀さん。当時、映画にも多数出演、NHK連続テレビ小説に続けて出られていました。所属事務所で引き続き俳優として生きていく決心をされたのですね。

小堀さん 最初は自分も「せっかく内定したのだから…」という気持ちはありました。でも、就職するより役者、塾講師、家庭教師として生きていく方が生涯獲得賃金で考えたら間違いなく稼げると自信があったんです。それに、僕は俳優の仕事も塾講師や家庭教師の仕事も大好きで、叶うなら全てを一生続けたいと思っていました。

――2010年当時、周囲の人たちは驚いたのでは?

小堀さん 一番反対したのは、友人たちでした。彼らはそれぞれに就職が決まっていましたし、それが大学卒業後の人生としてあたりまえだと思っていた。「正社員として就職せず、不安定な仕事に就くなんて、しかも家庭教師もやる?」と。「内定もらったのになんで蹴るんだ、就職しろ。2個も3個も仕事をするんじゃなくて、どれか1個に集中しろ」と。もちろん僕の将来を心配してのことです。さらに、「俳優でいくなら、東京で活躍しなければ意味がない」とも言われました。

でも、僕は塾講師や家庭教師で教え子を引き継ぎたかった。急に辞められたら、子どもたちも不安になります。だからこそ、関西にいたい。従って役者の仕事も関西在住者としてやっていく、と決めたのです。「どれもこれも中途半端になるぞ!」という忠告はわかるけれど、そうではない、という気持ちもありました。

東京で俳優をやろうと思ったら、モンスター級にすごい俳優さんがうじゃうじゃいます。関西というホームグラウンドで二刀流をしたほうが安全だという思いもありました。事務所も関西で、仕事をいただける地盤がすでにあります。事務所のメンバーのひとりとして、事務所を盛り上げていきたいという気持ちも強かった。

家庭教師は「副業」じゃない。俳優も教える仕事も同じ熱量でやる

小堀さんもうひとつ、誤解されているなと思ったのは、みなさん「俳優として稼げないときのために、副業として家庭教師や塾講師をやるんでしょ」って。それも違うし、そう思われるのもすごくいやでした。

大学時代から始めた家庭教師や塾講師の仕事は、教え子たちの将来を応援するかけがえのない仕事。それだけに真摯に全力で関わっていくことが大事です。やりがいもとても大きい。

2018年1月9日、生徒たちのために合格祈願鉛筆をいただきに大阪天満宮へ

小堀さん僕は俳優という仕事も一生かけてやりたいし、子どもたちに勉強を教えて将来を応援する仕事もやりたい。「安定が大事」と言われる日本では、俳優とか家庭教師の仕事は不安定だと思われている。でも、両方とも同じ熱量でやっていくつもりでしたし、今も同じです。僕はこれが一番いい形だと信じてきました。

――コロナ禍を経た今になると、いくつもの仕事をパラレルにする人はたくさんいます。俳優+子どもを教える仕事というのはユニークな組み合わせかもしれませんが、それでも、昔ほど抵抗はなくなっているかもしれません。

小堀さんそうなんです。コロナ禍になって友人たちも気づいてくれて、「あのとき、強く言ってごめん」って言われました(笑)。

両親は内定を辞退して俳優+教える仕事で生きることに反対しなかった

――ご両親はどのように受け止めていましたか?

小堀さん「内定、辞退した」と言ったら、その日の夜は驚いて「なんでやめたの!? 就職するんじゃないの!?」と。でも、自分の思いや将来設計を伝えたら、次の日から一切言いませんでした。うちの親はすごい。そこが尊敬しているところでもあります。

もしあのとき、親が「そんなの、やめときなさい」「就職しないと許しません」って言ったら、僕も就職を選ぶしかなかったと思います。信頼してくれていたのか、あきらめたのか(笑)。でもとにかく本当にありがたかったです。

塾や家庭教師の仕事関係の方も、とても協力的でした。塾では一緒に組んでくれていた先生が、俳優で忙しいときに授業を代わってくれました。家庭教師のほうは最初から親御さんに事情をお話ししてご理解をいただいていました。「がんばってください、ドラマ楽しみにしています」と言っていただいて、俳優の仕事が入ったときに授業時間を変更していただくこともありました。本当に周囲の方々に支えられたと思っています。

2016年、NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」出演の頃

突然襲ったギラン・バレー症候群。「命も危ない」

――その後15年近く、俳優と家庭教師(塾講師はコロナ禍で辞職)を両立されてきた小堀さんですが、突然病気になったんですよね、それもギラン・バレー症候群という希少疾患です。

ギラン・バレー症候群は、末梢神経の障害によって、力が入らない、感覚がわかりにくい、しびれるなどの症状を起こす病気です。多くの場合、発症1カ月以内に感染症の症状(先行感染)がみられます。日本での発症率は年間10万人あたり1~2人、小児から高齢者まで、あらゆる年齢層で発症する可能性があります。10~20%くらいの人になんらかの後遺症が残ると言われています。

小堀さん2024年の2月末頃、2週間ほど花粉症っぽい症状が出ていたのですが、仕事にはそれほど支障はなく、そのまま続けていました。しかし、3月9日の夜、対面の家庭教師中にペンが握りにくくなって「あれ?」と思ったんです。翌朝起きたら熱が38度後半、昼にはペットボトルが開けられないほど握力がなくなっていました。

「熱があるから昼寝しよう」と思って寝て、夕方起きようと思ったら起き上がれない。トイレに這って行ったけれど、便座に手をかけても力が入らない。もう体全体が動かなくなって、救急車を呼びました。

救急車の中で「とある病院が受け入れてくれるが、そこは入院ができない」と言われたので、虫の知らせがして「入院できる別の病院を探してほしい」と伝えました。新たに見つけてくれた病院に搬送されましたが、「感染症からくる脱力でしょう」と。インフルエンザやコロナの検査をしたものの陰性、「点滴もしたし、このまま帰ってもいいですよ」と言われました。でももし何かあったら怖いと思って、入院させてもらいました。ただそのときは点滴もしたし安心して翌朝には帰れると思っていました。

息が苦しすぎて気管切開をして寝たきり・車椅子に…

小堀さん夜になるにつれますます力が入らなくなり、もしかしたら朝に帰るのは難しいかもと思い、力を振り絞ってSNSに文章を投稿しました。その週の家庭教師先すべてに連絡は送れなそうなので、SNSだけでもと思って。

体はとてもつらいのに、周囲の人を気遣い、心配させないようにという思いがあふれたSNSでの文面

夜中にはナースコールも押せなくなりました。翌朝には呼吸もうまくできなくなっていました。緊急でICUに入ることになりました。

その直前に「ICUに入るみたいやけど大丈夫やから」と家族に電話をした記憶はあるのですが、その後は意識を失っていました。次に目が覚めたときには全身管だらけ、口からは呼吸のためのホースのような管が挿管されていました。そして、体がまったく動かせない。

退院後、自らABEMAニュースに出演し、病気について語った

小堀さん瞬きと首がわずかに動くくらいなので、ひらがなを書いた文字盤を指さしてもらって、文字が合っていればまぶたを下げるのが唯一の意思表示です。自律神経がおかしくなっていて部屋の温度が18℃でも寒かったりしたのですが、「さ」「む」「い」を文字盤でわかってもらうだけでものすごく時間がかかり、そして疲れる…。

口から挿管されると口をあけっぱなしで、自分の痰で溺れそうになるんです。苦しさが増すばかりなので、10日目には気管を切開しました。その間、何度も「オレは死ぬのか」と思っていました。

――気管を切開するなんて、本当に苦しかったのですね。ギラン・バレー症候群になっても、比較的軽い方もいるようですが…。

小堀さん僕の場合は1から10までランクがあったとして10、最重度だと言われました。実際、亡くなる人もいます。僕の場合も、死んでもおかしくないレベルだったかもしれません。だから、気管を切開してもらってからはほんの少しだけ楽になったものの「このままだったら一生寝たきり、よくても車椅子」と言われました。

転んでもただでは起きない、自分の姿を発信しよう

――極限状態のときに、小堀さんはどんなことを思ったのですか?

小堀さん 役者として生きていくのも家庭教師ももう無理だ、と思いました。それならギラン・バレーになった経験を人に伝えることにしよう、と。役者の仕事も家庭教師も人に伝える仕事、それなら「病気になった自分を伝えるべきと、神様が言っている」とICUの中で思ったんですね。その次の日に、家族に「クラウドファンディングして、本とか出して、この体験を人に伝えたい」って言ったんです。

自分はマイナスなことが起こってもプラスに変える生き方をしたいとずっと思ってきたし、家庭教師や塾講師としても、いつも生徒に「試験などでマイナスがあっても、どうプラスにかえるかが大事だよ」っていつも言っていたんです。

そこからは前向きに治療に向かいました。「死ぬんじゃないか」などと思うより、「死んだら伝えることができない、どんな体になっても生きるしかない」と思おうと。そして、「ここまでひどくなった自分が完全回復したらすごいんちゃう!?」って思うようにしました。

一方で、病気のことはあえて調べないようにしていました。よくない情報が入ってくると、生きていくモチベーションが下がるかなって。「ギラン・バレーがどんなんかわからん、でも治るものだ」と信じて日々前向きに生きようと。

病院でオンライン家庭教師を再開。「この仕事があってよかった」

――強いですね。

小堀さん 強いのか、弱いからそう思いたいのか(笑)。昔からそんな感じでしたね。役者のオーディションでいいところまでいって落ちたときも、「ここで運よく受かっても実力に見合わない演技を求められて、逆に仕事がなくなるかもしれない。『もっと鍛錬しろ』っていうことで落とされたんだな」などと転換して考えるようにしていました。

2024年8月、退院して2週間ほど。たくさんの鶴を折ってくれた方に感謝する

小堀さん 目が半開き、口も閉じられない状態では、『表情命』の役者の仕事は無理。でも、がんばって車椅子に1時間すわることができればオンラインの授業ができる、それなら僕は幸せな人生を送ることができる。

好きな仕事をやってきて、よかったと思いました。車椅子になっても好きな仕事ができる。ありがたいことだなと思ったんです。

――もしも小堀さんが周囲の言いなりになって就職をしていたら、車椅子に座りながら「やっぱり好きなことをすればよかった」と思ったでしょう。自分の心の声をしっかりと聴いて、本当に自分がやりたいことをやることの大切さを、小堀さんは教えてくれます。

その後、リハビリに懸命になり、2024年7月26日に退院。歩行もでき、俳優の仕事もできるようになり、今はまた、俳優と中学受験を中心とした家庭教師の二刀流を続けている小堀さん。次回のインタビューでは、教師としての立場から、中学受験を語っていただきます。

中学受験の家庭教師と俳優の二刀流、小堀正博さんが力説! 「中学受験、合格してもしなくても『よくがんばった!』と、結果ではなく過程を称えよう」
退院後の初仕事はCM出演。病気で体が動かない自分を待ってくれた ――重いギラン・バレー症候群にかかり、命の危険を感じつつ3カ月以上も...

関西学院中学部の受験や家庭教師との二刀流を決めた経緯をお話いただいた前編はこちら

【俳優で家庭教師、小堀正博さんの中学受験】10 年間思い切り野球がしたいから 関西学院中学部へ! 中学受験に導いた、アメリカ帰りの両親の教育方針とは?
アメリカ生まれで両親は子どもを型にはめない教育を ――小堀さんは関西学院中学部を中学受験し、合格されました。私立大学の附属校で、人気...

お話を聞いたのは

小堀正博さん 俳優・家庭教師

1988年生まれ。関西学院中学部・高等部・大学出身。高校生の頃から俳優業を始め、NHK連続テレビ小説「マッサン」「べっぴんさん」「舞いあがれ!」など数々の作品に出演。大学時代から始めていた塾講師・家庭教師としても活動(塾講師は2023年に退職)し、現在俳優+家庭教師の二刀流。20244月、突然ギラン・バレー症候群で手足が動かなくなり息ができなくなる。7月に復帰、2025年には俳優として宮下玄覇監督「長篠」武田勝頼役、米本累人監督「Valsalva」辻本涼役を務める。家庭教師としてはオンラインを中心に45人を受け持つ。高校公民科教職免許、司書教諭、漢検2級、英検2級、珠算3級

 

取材・文/三輪泉

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