【中川翔子さん】不妊治療と2度の流産を乗り越えて…40歳のときに授かった2つの尊い命

しょこたんの愛称で親しまれる、タレントの中川翔子さんは、2025年9月30日に元気な双子の男の子を出産しました。中川さんは37歳で一般男性と結婚しましたが、パートナーと出会う前から「子どもがほしい!」という思いが強く、卵子凍結にチャレンジ。結婚後は、「赤ちゃんを授かった!」と喜んだのも束の間、2度の稽留流産をする辛い経験も。中川翔子さんに、双子の男の子を授かるまでのことをうかがいました。インタビューの前編です。

子どもはほしいけどパートナーがいなくて、卵子凍結を決意

――パートナーと出会われる前から卵子凍結をされていたそうですね。

中川翔子さん 「いつか子どもがほしいな」とは思っていたのですが、パートナーもいないし、現実的には難しくて、どうしようとずっと悩んでいたんです。

33歳ぐらいのときに「卵子凍結をしよう」と考えるようになり、カウンセリングを受けに行ったのですが、当時は自治体の助成制度もなくて、1回あたり初期費用が50~60万円もかかると言われてびっくりして……。

また、卵子凍結をするためには、通院して決まった時間に自己注射を打ったり、薬の服用も必要で、仕事をしながらだとかなり難しく、途中で断念しました。

再び卵子凍結を試みるも、1個しか卵子が採取できなかった

――その後、卵子凍結はしなかったのでしょうか。

中川翔子さん 断念してから2~3年後、子どもがほしいという気持ちは変わらないものの、パートナーのいない現状に焦り始め、自分でもどうしたらいいのかわからなくなってしまって。“気持ちの保険”として、卵子凍結はしておこうと決意して、もう一度チャレンジしました。

しかし検査をすると、卵胞の成熟に時間がかかり、排卵しにくい多嚢胞性卵巣症候群や、卵巣に生じる子宮内膜症のチョコレート嚢胞、子宮頸がんの前段階である子宮頸部異形成とわかり、治療が必要でした。お医師さんからは「自然妊娠は難しい」と言われて、ショックで落ち込みましたね。

出産前は、大好きな仕事中心の生活でした(Instagramより)

いざ卵子を採取してもらうと、20個ぐらい採れる予定が、1個しか採れなくて…。お医者さんから「1個だと難しいから、来月、もう1回チャレンジしましょう」と言われたのですが「自己注射したり、薬を服用したり、仕事を調整したりして、あんなに頑張ったのに1個しか採れないなんて…」と心が折れてしまい、再び卵子凍結を断念しました。

ただ、「子どもがほしい!」という気持ちは変わらず、どうしたらいいんだろう…とずっとモヤモヤしていました。

結婚して夫婦で話し合い、不妊治療クリニックへ

――結婚されたのは、37歳とのこと。ご夫婦間では、子どものことをどのように話し合いましたか。

中川翔子さん 奇跡的にパートナーと出会い、37歳の終わりに結婚しました。夫も同年代です。子どものことは、もう少しゆっくりしてからという思いもあったのですが、卵子凍結の経験があったので、夫婦で話し合い、不妊治療クリニックに行きました。

ハワイでの挙式の様子(Instagramより)

受精卵を凍結して体外受精にチャレンジしたのですが、決まった時間に自己注射を打ったり、点鼻薬をしたりと、タイムスケジュールが厳密で! お医者さんから「タイミングを間違えると全部失敗になるから」と言われて、仕事との両立が本当に大変でした。

結果、受精卵が6個凍結できたのですが、「今回は、頑張れ~」と祈るような気持ちでした。

――卵子凍結や不妊治療に迷いや抵抗はなかったのでしょうか。

中川翔子さん 不妊治療の現場で闘う人たちを描いたマンガ『胚培養士ミズイロ』を読んでいたので、迷いや抵抗はありませんでした。マンガを通して、不妊治療の技術に驚いたりもしました。

何より、人生は1度きりだから、後悔しない選択をしたいという思いのほうが強かったです。

『胚培養士ミズイロ/おかざき 真里』(小学館)

2回稽留流産を経験。あのときの悲しみは、一生忘れない

――不妊治療クリニックに通って、すぐに双子を授かれたのでしょうか。

中川翔子さん 実は、私は妊娠初期に2回稽留流産をしています。稽留流産とは、出血や腹痛などの流産のサインはないけれど、エコー検査で赤ちゃんが亡くなっていると診断されるものです。

最初に妊娠がわかったとき、私が「やった~!」とすごく喜んだら、お医者さんから「あまり喜ばないで。ここからだから」と言われてしまって…。

後日、エコー検査をしたら「育ってない。ダメでした…」と言われ、頭が真っ白になりました。うれしくて、親しい人たちにも妊娠を報告した後だったので「どうしよう…」「なんて言おう…」と悩みました。

その日は、YouTubeの撮影で熱海に行くことになっていたのですが、温泉に入っていたら涙が止まらなくなってしまって…。もう1回エコー検査をしたら「赤ちゃん元気ですよ!」って言ってくれないかな? と考えたり、お医者さんには「仕事は続けていいよ」と言われたけれど、「仕事をセーブして、ゆっくり休んだほうがよかったのかも…」と考えたりして、自分を責めて泣きました。

悲しい気持ちの中YouTubeの企画で一人熱海へ(Xより)

お医者さんから「妊娠初期の流産は、染色体異常が主な原因で母体のせいじゃないよ」と言われたり、夫からも「今はゆっくり休んで、また次頑張ろう」と励まされたりして、少しずつ心の傷が癒えていった感じです。

でも2回目の稽留流産がわかったときは、本当にへこみました。あのときのショックは、一生忘れることができません。

2回ダメだったから、2人で一緒に来てくれたのかも…

――双子を授かったとわかったときのことを教えてください。

中川翔子さん 稽留流産が続き、不育症の検査をしたところ、ギリギリだけど不育症ではないという結果でした。そこで次は、受精卵を2個、子宮に戻すことになりました。

後日、エコー検査をしたところ、お医者さんから「1個胎嚢が確認できました」と言われたのですが、不思議なことに私はなんとなく「双子かも…」と思っていたんです。

1個胎嚢が確認できた後、結婚前に卵子凍結をした病院から連絡があり、「凍結の期限が来ていますが、どうしますか?」と聞かれて、継続の手続きのためにその病院に行ったんです。そこでエコー検査をしたら「双子ですね」と言われて、びっくりしたものの「やっぱりな…」と思って。2回ダメだったから、2人で一緒に来てくれたのかも…と、考えたりもしました。

喜びも束の間、後日エコー検査をしたら「赤ちゃんを包む部屋(胎嚢)が、1つはすごく小さいから難しいかもしれない」と言われて、ずっと不安な気持ちが拭えませんでした。

40歳で双子のママになり「これが私のタイミング」と思えるように

――双子を授かるまでの道のりを振り返って、今、どのようなことを感じますか。

中川翔子さん 私が双子を出産したのは40歳。本当は30代で妊娠・出産するのが夢だったのですが、理想とは違う現実に焦ったり、不安になったり、周りの人と比べて落ち込んだりしたこともありました。

でも双子のママになって、「これが私のタイミングだったんだ!」と素直に受け入れられるようになりました。

インタビューの後編は、妊娠や出産、双子の子育てのリアルについてうかがいます。

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お話を聞いたのは

中川翔子 歌手

1985年生まれ。2002年に芸能界デビューし、「しょこたん」の愛称で親しまれる。歌手・タレント・声優・俳優・イラストレーターとして多方面で活躍中。猫好きとしても知られ、10年以上にわたり動物愛護団体やボランティアと連携し、猫の保護活動や里親探しを継続中。2023年に結婚。双子の男の子のママ。

取材・文/麻生珠恵

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