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子どもはほしいけどパートナーがいなくて、卵子凍結を決意
――パートナーと出会われる前から卵子凍結をされていたそうですね。
中川翔子さん 「いつか子どもがほしいな」とは思っていたのですが、パートナーもいないし、現実的には難しくて、どうしようとずっと悩んでいたんです。
33歳ぐらいのときに「卵子凍結をしよう」と考えるようになり、カウンセリングを受けに行ったのですが、当時は自治体の助成制度もなくて、1回あたり初期費用が50~60万円もかかると言われてびっくりして……。
また、卵子凍結をするためには、通院して決まった時間に自己注射を打ったり、薬の服用も必要で、仕事をしながらだとかなり難しく、途中で断念しました。
再び卵子凍結を試みるも、1個しか卵子が採取できなかった
――その後、卵子凍結はしなかったのでしょうか。
中川翔子さん 断念してから2~3年後、子どもがほしいという気持ちは変わらないものの、パートナーのいない現状に焦り始め、自分でもどうしたらいいのかわからなくなってしまって。“気持ちの保険”として、卵子凍結はしておこうと決意して、もう一度チャレンジしました。
しかし検査をすると、卵胞の成熟に時間がかかり、排卵しにくい多嚢胞性卵巣症候群や、卵巣に生じる子宮内膜症のチョコレート嚢胞、子宮頸がんの前段階である子宮頸部異形成とわかり、治療が必要でした。お医師さんからは「自然妊娠は難しい」と言われて、ショックで落ち込みましたね。

いざ卵子を採取してもらうと、20個ぐらい採れる予定が、1個しか採れなくて…。お医者さんから「1個だと難しいから、来月、もう1回チャレンジしましょう」と言われたのですが「自己注射したり、薬を服用したり、仕事を調整したりして、あんなに頑張ったのに1個しか採れないなんて…」と心が折れてしまい、再び卵子凍結を断念しました。
ただ、「子どもがほしい!」という気持ちは変わらず、どうしたらいいんだろう…とずっとモヤモヤしていました。
結婚して夫婦で話し合い、不妊治療クリニックへ
――結婚されたのは、37歳とのこと。ご夫婦間では、子どものことをどのように話し合いましたか。
中川翔子さん 奇跡的にパートナーと出会い、37歳の終わりに結婚しました。夫も同年代です。子どものことは、もう少しゆっくりしてからという思いもあったのですが、卵子凍結の経験があったので、夫婦で話し合い、不妊治療クリニックに行きました。

受精卵を凍結して体外受精にチャレンジしたのですが、決まった時間に自己注射を打ったり、点鼻薬をしたりと、タイムスケジュールが厳密で! お医者さんから「タイミングを間違えると全部失敗になるから」と言われて、仕事との両立が本当に大変でした。
結果、受精卵が6個凍結できたのですが、「今回は、頑張れ~」と祈るような気持ちでした。
――卵子凍結や不妊治療に迷いや抵抗はなかったのでしょうか。
中川翔子さん 不妊治療の現場で闘う人たちを描いたマンガ『胚培養士ミズイロ』を読んでいたので、迷いや抵抗はありませんでした。マンガを通して、不妊治療の技術に驚いたりもしました。
何より、人生は1度きりだから、後悔しない選択をしたいという思いのほうが強かったです。

2回稽留流産を経験。あのときの悲しみは、一生忘れない
――不妊治療クリニックに通って、すぐに双子を授かれたのでしょうか。
中川翔子さん 実は、私は妊娠初期に2回稽留流産をしています。稽留流産とは、出血や腹痛などの流産のサインはないけれど、エコー検査で赤ちゃんが亡くなっていると診断されるものです。
最初に妊娠がわかったとき、私が「やった~!」とすごく喜んだら、お医者さんから「あまり喜ばないで。ここからだから」と言われてしまって…。
後日、エコー検査をしたら「育ってない。ダメでした…」と言われ、頭が真っ白になりました。うれしくて、親しい人たちにも妊娠を報告した後だったので「どうしよう…」「なんて言おう…」と悩みました。
その日は、YouTubeの撮影で熱海に行くことになっていたのですが、温泉に入っていたら涙が止まらなくなってしまって…。もう1回エコー検査をしたら「赤ちゃん元気ですよ!」って言ってくれないかな? と考えたり、お医者さんには「仕事は続けていいよ」と言われたけれど、「仕事をセーブして、ゆっくり休んだほうがよかったのかも…」と考えたりして、自分を責めて泣きました。

お医者さんから「妊娠初期の流産は、染色体異常が主な原因で母体のせいじゃないよ」と言われたり、夫からも「今はゆっくり休んで、また次頑張ろう」と励まされたりして、少しずつ心の傷が癒えていった感じです。
でも2回目の稽留流産がわかったときは、本当にへこみました。あのときのショックは、一生忘れることができません。
2回ダメだったから、2人で一緒に来てくれたのかも…
――双子を授かったとわかったときのことを教えてください。
中川翔子さん 稽留流産が続き、不育症の検査をしたところ、ギリギリだけど不育症ではないという結果でした。そこで次は、受精卵を2個、子宮に戻すことになりました。
後日、エコー検査をしたところ、お医者さんから「1個胎嚢が確認できました」と言われたのですが、不思議なことに私はなんとなく「双子かも…」と思っていたんです。
1個胎嚢が確認できた後、結婚前に卵子凍結をした病院から連絡があり、「凍結の期限が来ていますが、どうしますか?」と聞かれて、継続の手続きのためにその病院に行ったんです。そこでエコー検査をしたら「双子ですね」と言われて、びっくりしたものの「やっぱりな…」と思って。2回ダメだったから、2人で一緒に来てくれたのかも…と、考えたりもしました。
喜びも束の間、後日エコー検査をしたら「赤ちゃんを包む部屋(胎嚢)が、1つはすごく小さいから難しいかもしれない」と言われて、ずっと不安な気持ちが拭えませんでした。
40歳で双子のママになり「これが私のタイミング」と思えるように
――双子を授かるまでの道のりを振り返って、今、どのようなことを感じますか。
中川翔子さん 私が双子を出産したのは40歳。本当は30代で妊娠・出産するのが夢だったのですが、理想とは違う現実に焦ったり、不安になったり、周りの人と比べて落ち込んだりしたこともありました。
でも双子のママになって、「これが私のタイミングだったんだ!」と素直に受け入れられるようになりました。
インタビューの後編は、妊娠や出産、双子の子育てのリアルについてうかがいます。
取材・文/麻生珠恵