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ハネムーンベイビーで3つ子! 妊娠20週から入院
――3つ子ベビーって、珍しいですね。なかなかお子さんが生まれなくてようやく……、ですか?
島谷さん:いえ、ハネムーンベイビーだったんです。商社で忙しく働き、26歳になって結婚。ハネムーンから帰ってきて、あれ?と思って検査に行ったら妊娠していました。不妊治療の影響なしに3つ子が生まれる可能性は、1万人に1人だそうです。
私はそれまで産婦人科に行ったことがなくて、はじめての受診もビックリしましたし、知識がまったくありませんでした。医師に「何か薬を飲んでいますか?」と言われ、排卵誘発剤など不妊治療に関係する薬のことを聞かれているともわからず、「ええと…、そうだ、下剤を飲みました」と答えてあきれられました(笑)。
夫は「多胎はふつうのお産より危険だ」と知っていて、とても心配していました。実際、腹囲はすぐに1mを超えました。「さまざまな事態を想定してNICUのある病院で産むのがマスト」ということになり、20週になるとずっと入院、安静にしながら3人を産みました。それぞれ1300g、1500g、1900gでした。
哺乳瓶24本! 3つ子の子育ては24時間ノンストップ
――出産も大変だったと思いますが、その後の3人同時の育児、さぞ大変だったでしょうね。
島谷さん:小さく産まれて母乳を吸う力が弱いので、授乳も時間がかかります。それに母乳の出所は2つしかないですから3人一緒には飲ませられないでしょう? 搾乳して哺乳瓶に入れたり、四苦八苦です。3人かわるがわる、24時間ずっと授乳をしてるような状態で、退院した日から3日間眠れませんでした。「これが一生続くの……?」と、絶望しましたね。哺乳瓶は20本買ったけれど足りなくて、あと4本買い足しました。

島谷さん:私の母が1年半一緒に住んでくれて世話をしてくれましたし、夫もいろいろ協力してくれたんですよ。ゲップをさせたり、仕事場から駆けつけてお風呂に入れたりもしてくれて…忙しければまた仕事場に戻る、というような感じ。離乳食も、夫は「作らなくていい、ビン詰めの出来合いを買ってこよう」と、休みのたびに車で大量の市販の離乳食を買ってきてくれました。それをまるで鶏の餌でもあげるように口の中に順番に入れていく……。毎日が怒濤のように過ぎていきました。
野球好きの3人が「野球の強い学校に行きたい」と中学受験
――そんなご苦労の中で3人のお子さんはスクスク育ったのですよね。
島谷さん:はい。小学校にあがると3人ともやんちゃになりまして、学校の先生にもずいぶん迷惑をかけたんじゃないかと思います。また3人とも野球が大好きで、近所のクラブチームに入って競うように練習して。「中学は甲子園に出られるような学校に入りたい」と言い始めました。

――そこで、中学受験を。
島谷さん:主人も積極的でした。主人は地方出身で国立附属の中学校に入学し、一浪して国立大学に行きました。地元には大手塾がなく、ほとんど自主勉強で、苦労をしたんですね。大学に入ってから周囲の人たちに聞いてみると、都会の子どもたちは塾に行ってとてもすごい成果を出していると。そこで、「うちの子たちには中学受験を」と言ったんです。
小学4年生から中学受験塾に通うことに
保育園時代の同級生や、野球をしている子たちの中にも、中学受験をする子が結構いて、子どもたちもその気になったんですね。4年生から四谷大塚に行くことにしました。
家から歩いて行けるところに四谷大塚の教室があるからラクでいいやって。でも、そこはすごくレベルが高い子だけが行くような教室で、入塾テストをしてみると、3人ともぜんぜん届かず、塾生最下位レベル。結局バスで通う別の教室に入れていただくことになりました。
――塾は宿題がたくさん出ますし、勉強が大変ですよね。ちゃんと宿題は終わるのですか?
島谷さん:私自身、「すごい量!」と驚くくらい宿題が出ました。子どもたちは野球も続けていたので、時間がないんですよ。月水金に塾の授業、土曜日に週ごとのテストがあるんですが、あきらかに消化できない形で毎週が過ぎていきました。
「勉強より野球」の3人。夫は怒るけれど……
島谷さん:周囲を見てみると、本人たちもよく勉強するけれど、お母さんが一生懸命なんですよね。塾のプリントをそろえたり、間違えた問題を集めて答えを貼って復習ノートを作ってあげたり。私は3つ子のご飯を作ったり洗濯をしたりするのも大変で、手が回らない。「まずい、もっと関わらなきゃ」と焦りました。
だけどそのうち、「そんなに躍起になって勉強しなくてもいいんじゃないか」という気持ちにもなってきました。
塾に行くのは友達作り、宿題は丸写しの3つ子たち
――それはなぜですか?
島谷さん:3人とも、ぜんぜん勉強に興味がないんですよ。塾に行くのは「新しい友達ができてうれしい」から。宿題は解答を見て全部写して持っていって、それで平気な子たちでした。当初は、「なんでうちの子たちはそろいもそろってこんなに勉強にアドレナリンが出ないんだろう」ってため息をつきましたが、やっぱり3人とも、勉強より野球に一生懸命なんですよね。野球にアドレナリンを使い果たすんです。
主人は怒るわけですよ。私にも「なんで勉強をやらせないんだ!」と怒りの矛先を向けました。「じゃ、あなたが勉強をさせてみたら?」と言うと、自分で子どもたちに教え始めたのですが、ちょうど反抗期にさしかかっていた子どもたちは「うるさい!」って言い始め、家庭の雰囲気がとても悪くなってきたんです。

島谷さんの育児方針は「自分で考えさせる、答を出さない」
島谷さん:私は子どもが2年生の頃から、「親業」というのを学んでいました。海外の臨床心理学者が教えてくれる「親としてのありかた」は、「自分で考えさせる、答を出さない」というスタンスでした。子どもは転びながら経験していくもの。その姿に寄り添っていけば、必ず自分で人生を切り開くことができる――。そんな教えです。だから、受かるために親が率先してあれこれやるのは違うんじゃないかと思っていたんですね。
それに、私はどちらかというと野球のほうが勉強より学ぶことが多いと感じていました。家の中では親に「うるせぇ」なんて言ってダラダラしている子たちも、コーチや先輩たちに「ちゃんと挨拶しろ!」と言われるとシャキッとする。模試の結果が悪くても平気な子たちが、先輩に「そんな球も捕れねぇのかよ!」と言われると、「すみませんっ」って言いながら真剣に練習に取り組む。スポーツで培ったメンタルは机上の勉強に勝るものがあるって思えたんです。
受験はうまくいかなくても人生での学びはあるはず
島谷さん:「私が大事にしているのは勉強よりも先輩から学ぶ姿勢、そして、親子関係。子どもたちが合格よりもパパともめている姿をみるのがいやだ」と私の本当の想いを率直に伝えたら、主人もわかってくれるようになり、やがて主人も親業を学び始めたんです。それで少し落ち着いて夫婦で3人を見守る姿勢ができたんですね。受験が近づく頃にはもう受験はうまくいかなくてもいい、そのほうが人生を学べるかもしれないって思っていました。
野球が強くて勉強もがんばる中学が、チャレンジ校すぎる……
――受験校はどのように選んだんですか?
島谷さん:子どもたちは「中高で野球をやりたい」が第一なので、まず野球が強く、そして学力面でもなかなかすばらしいK中学を選びました。子どもたちにとってはかなりのチャレンジ校です。3回受験のチャンスがあるところだったので、「全部受ける」と。そして、双子や3つ子の研究もしている東大附属(東京大学教育学部附属中等教育学校)も受けました。
その2校に絞って挑みたいと言ったら、塾の先生はしばらく無言でした。「もう少し合格が近く思える学校もありますよ」と提案してくれたのですが、子どもたちも私も、「一度決めたのだからチャレンジ校だけでいい」と主張しました。落ちたら地元の公立に行けばいい。中学受験はその点、少し気がラクな部分もありますよね。
結果は……、2月1日、見事に3人ともK中不合格。2日目もK校を3人とも受け、3人とも不合格。2月3日は東大附属を受けましたが、これも3人そろって不合格。そして最後の砦、2月5日のK校も見事3人で不合格となり、3人とも全落ちしました。見事すぎますよね……。さすがに私も子どもも落ち込みました。
――「確実に入れるおさえの学校」を受けない、チャレンジングな中学受験で全落ち。ひとりの受験でも挫折感があるのに、3人分の挫折を味わった島谷さん……。その後の子どもたちはどのようになっていったのでしょうか。続きは後編で!
【後編】公立中学入学から、医学部合格、五大商社勤務、外資コンサルになるまでの道のりを伺いました

お話を伺ったのは

現在25歳になる男子3人の母親。短大卒業後、6年間商社に勤務した後、結婚退職し、すぐに3つ子を出産。元気に育った子どもたちを中学受験させるも、チャレンジ受験だったこともあり、3人とも全落ち。その顛末はブログ「みつご事件簿」に詳しく掲載。やがて3つ子はそれぞれ医学部合格、総合商社入社、米国大学留学後に外資系コンサルティング会社入社と見事なリベンジを果たす。アメリカ発祥の心理学「親業」をベースに2017年、自らの子育て経験から編み出した独自の言葉がけプログラムを開発。「三つ子のま、いっか母ちゃん しまやるみのママの学校」をオープン。
著書に『モンスター三つ子男子の母ちゃんが見つけた 子どもに伝わる魔法の「ほめ方」「叱り方」(講談社 1,540円税込)がある。
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取材・文/三輪泉 撮影/五十嵐美弥