前編では3つ子たちが中学受験に挑戦した経緯、全落ちするまでのお話を伺いました

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中学受験が終わるとあんなにいやがっていた勉強を……
――「おさえの学校を作らず行きたい中学のみ受ける」中学受験を、3つ子のみなさんが挑戦し、全部不合格、公立中学に行くことになりました。3人とも精神的に大丈夫でしたか?
島谷さん:落ちた当初は落ち込んでいましたし、塾の祝勝会にも欠席しましたが、公立中学にも野球部の仲間がいたり、保育園時代の友達がいたりで、3人ともすぐに「楽しい!」って言うようになりました。子どもは柔軟性がありますね。いつまでも落ち込んでいないです。大人は引きずる人が多いかもしれませんが、子どもって場を与えられたら、ちゃんとなじんでいくものです。
それに、小学校時代は勉強に対してあんなにいいかげんだったのに、3人とも中学になると少しずつ変わっていったんです。中学受験はやっぱり親が主導になるじゃないですか。どこか「やらされていた」という感じがあったのかもしれません。でも、中学になると自覚というか、「自分はこの先どうしていきたいか」を考えるようになりました。
また、小学校時代は単純に「野球が強い中学ならいい」と、3人同じ学校を受けたのですが、高校受験となると、子どもたちも自分で情報を集めたり、深く考えるようになったりするので、それぞれに行きたい学校にも違いが出てきました。そして、目標が定まったら、中学時代とは変わり、勉強にも真剣になってきました。

――保護者の立場からすると、「それなら、中学受験をしないで、高校受験から始めてもよかった」などと思ったりしませんでしたか?
島谷さん:いえ、それはなかったです。子どもたちも「中学受験はしたほうがよかった」と言っていました。宿題への取り組みはいいかげんだったけれど、4年生からとりあえず勉強時間はしっかりとったわけじゃないですか。勉強した「貯金」がありました。たとえば、塾の社会の先生はパズルで県の形を覚えさせたのですが、パズルのピースを裏返しをしてもその県だとわかるまで帰らせてくれませんでした。当時は文句を言っていましたが、結局それで地理が得意になっていったんです。長男はその後国立大学を受けるときに地理選択にしていました。
「高校でも野球を」は3人とも同じ。でも志望校はバラバラ
――3人はそれぞれどんな勉強のしかたをし、高校はどう志望されたのですか?
島谷さん:長男が一番勉強していて、成績もよかったんです。彼は「早稲田か慶應で野球をやりたい」を目標にしていて、塾の勉強をひたすら集中してやっていました。塾でもトップだったんです。ただ、学校の勉強をあまりしなかったので内申点がとれません。都立高校は捨てて、内申点が関係ない早稲田と慶應の附属高校をたくさん受け、おさえも私立を受けることになりました。
次男は慎重で準備をきちんとする子。中学では学級委員もやったし外ヅラがよく、学校の先生からも評判がよかったんです。だから、内申点をもらって都立の上位校に行こう、ということになりました。
三男はガキ大将で、3人の中でも野球大好き。でも早稲田・慶應の附属校は狙えない感じで、「都立を受ければいかな、大学は東大で野球をやりたい」みたいな。夢が大きすぎ(笑)ですが、そんな感じでした。

またハードルの高い受験!でも、親の意見はグッとこらえる
島谷さん:三人三様ちょっと「上狙い」で、また高校入試で崖から落ちるんじゃないかと、親としては心配でした。私は子どもたちが小学校2年生のときから「親業」という学びを実践していて、「子どもにはできるだけ意見を言わない、自分で転んで気づかせる」を実践してきたので、グッとこらえて自分たちが思うようにやらせてきましたが……。情報だけは伝え、自分としての感想やメッセージはできるだけ冷静に伝えるようにしていて、ひそかにやきもきしていました。
都立高に行くと言っていた次男が早稲田大学附属高校へ。長男三男は…………
――高校受験の結果はどうだったのですか?
島谷さん:都立に行くといっていた次男が早稲田大学附属高校にまず受かってしまったんです。
中学受験に続き高校受験も不合格の長男
島谷さん:けれど、あんなに早稲田か慶應に行きたいといっていた長男はたくさんの附属校を受けたにもかかわらず、今回も全落ち……。高校受験は全部落ちると浪人になってしまうので、「頼むからどこかに入って」と神に祈って、私立の高校に入れていただきました。都立は内申点が低すぎて受けるのが難しくて。だから学校の勉強もしっかりやっていればよかったのに、と思いましたけれどね。
三男は都立高校が第一志望でしたが、私はもう長男の全落ちでネガティブになっていて。「都立は落ちるかもね」などと次男にこぼしていたら、「そんなこと言うなよ、あいつがやる気なくすだろう、母親には応援してもらいたいもんだよ?」とたしなめられました。親子逆転でした。
三男もまた第一志望は不合格…
島谷さん:結果、第一希望の都立高校は不合格……。三男は沈みきっていました。都立の発表の時には、すでに三男は長男が受かった学校とK高校に合格していたのは幸いでしたが、その日にどちらの学校に行くか決めて手続きをする必要がありました。が、本人は都立高校に落ちたことがショックで、「どっちの高校でもいいよ!」と投げやりです。実際、どちらにしたらいいか決めかねていたのです。
私は、「できたら、長男と同じ学校に行ってほしいな」という気持ちがありました。3人別々の高校に行くとなると大変な日常になるのは目に見えています。でも親の都合は優先じゃない。グッとこらえて「どちらの学校にするか、あなたが決めてね」と言いました。

島谷さん:手続き締め切りまでのリミットは、あと4時間。親としてはジリジリします。でも言えるのはこれだけ。「あなたが納得する学校を選んでほしい。そのためなら、今できることは何でも手伝うよ」。
結局、二つの学校にそれぞれ電話をして聞きたいことを聞いてみようということになりました。彼は自分で野球部の活動や進学状況について聞いていました。そして、最終的に三男は、長男とは違う「K高校にする」と意思を言葉にしたのです。
高校で野球をあきらめる。その先に見えていたものは
――三人三様の高校受験でしたね。その後は順調でしたか?
島谷さん:その後もいろいろありました。
長男は2浪の末に医学部に合格!
島谷さん:長男は高校で野球部に入ったら朝4時半に朝練、帰りは23時というような感じで、入学した当初は成績の順位が一ケタだったのにどんどん落ちて行きました。さすがにマズイと思ったのか、大学受験が近づくと気持ちを切り替えて、「野球より勉強だ、次男が早稲田ならオレは東大か医学部だ」と言って勉強を始めました。でも、3年生でも下位クラスで……。1年目は国立を受けて不合格、浪人後は医学部に絞って医学部専門予備校に通って勉強漬けの日々になりました。

島谷さん:そして浪人2年目に私立の医学部の合格を決めたときには、本当に感動しました。長男もよくがんばったと思います。
次男は早稲田の最高峰を目指す、三男は不登校に…
島谷さん:次男は早稲田大学附属高校でいそいそと野球を始めたのですが、早稲田はスポーツ推薦で高校に入ってくる子もいて、もう歯が立たないんです。ハナからレベルが違いすぎて、「オレも勉強するしかないわ」と言い始めました。そして、将来の就職先に商社を想定し、「それなら早稲田大学の中でも偏差値が最高と言われる政治経済学部に入る」と決めて、なんとか政治経済学部に入れていただきました。

島谷さん:三男は小さく産まれて身長も低いのですが、リーダーシップはあって、中学時代はキャプテンをやっていたんです。三男が入学したK高校は野球をやりたい子がたくさんいて、それも身長180㎝超え。差を感じすぎて自信をなくし、野球部に入ることをあきらめました。
1カ月たつと顔つきも変わってしまい、別人のように自信なさげになって…。学校にも行ったり行かなかったり、不登校気味になってしまいました。
三男、不登校を乗り越えてアメリカの大学に留学
――それは心配ですね。
島谷さん:あるとき午後から学校に行こうと家を出たときに、斜め向かいにインドの方が住んでいて、ばったり会ったようなんです。その人、保育園のときの同級生のお父さんで、日本語もペラペラなんです。でも「久しぶりだね、大学どこに行くんだ?」と聞かれても、高校ですら先が見えないのに、「大学のことはまだ決めていません」としか言えなかったみたいで……。
不登校の三男の人生を変えた「神の声」
島谷さん:そうしたら「なんで日本人は、みんな日本の学校行くんだ?」って言われたんですって。それが「神の言葉」に聞こえたって。「あ、べつにこの日本の社会だけが自分の居場所じゃないんだ」とストンと落ちて、「僕、アメリカの大学に行く!」って言ったんですね。夫は「日本の学校にもきちんと通っていないのに」と大反対でしたが、私は「パパを説得できるのは、あなたしかいないんだよ」と言って応援しました。そして、カンザス州立大学に留学し、卒業後は日本に帰ってきて外資系コンサルティングファームに就職しています。
――3人ともすごいドラマです!
島谷さん:思えば、中学受験に全落ちして13年。その後も本当にいろいろありましたが、人は成長するものです。今では親のほうが彼らに頼る場面もたくさんあります。
これからも彼らは悩んだり苦しんだりすることもあるでしょうけれど、中学受験のあの体験が決してマイナスにはなりません。あの体験があったからこそ、今があるんですね。
――今、中学受験を終えて思い通りの方、第一志望に合格せずがっかりしている方、悲喜こもごもでしょう。でも、中学受験の合否がその先の人生の成否を決めるわけではないと、島谷さんが力強く語ってくれます。合格しても不合格だったとしても、「いい体験をした」と思えるように、保護者のみなさんもお子さんも、前を向いて歩いていきたいですね!
前編では中学受験全落ちの体験をお伺いしました

お話を伺ったのは

現在25歳になる男子3人の母親。短大卒業後、6年間商社に勤務した後、結婚退職し、すぐに3つ子を出産。元気に育った子どもたちを中学受験させるも、チャレンジ受験だったこともあり、3人とも全落ち。その顛末はブログ「みつご事件簿」に詳しく掲載。やがて3つ子はそれぞれ医学部合格、総合商社入社、米国大学留学後に外資系コンサルティングファーム入社と見事なリベンジを果たす。アメリカ発祥の心理学「親業」をベースに2017年、自らの子育て経験から編み出した独自の言葉がけプログラムを開発。「三つ子のま、いっか母ちゃん しまやるみのママの学校」をオープン。
著書に『モンスター三つ子男子の母ちゃんが見つけた 子どもに伝わる魔法の「ほめ方」「叱り方」(講談社 1,540円税込)がある。
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取材・文/三輪泉 撮影/五十嵐美弥