目次 [hide]
「自覚症状はまったくなかった」27歳で卵巣がんに
――現在、長藤さんはがんの「寛解」という状態なのですね。
長藤さん:はい、そうです。私の場合は、治療が終わり、「がん細胞が体の中にいなくなりました」という状態から「寛解」というステータスになっていました。ただ、寛解の期間は再発のリスクなどが非常に高いため、5年間は様子を見ることになっているんです。そして、この5年間に再発がなければやっと「完治」という診断が出ます。私は現在寛解から4年が過ぎ、今年の春で完治を迎えるところです。
――卵巣がんがわかった経緯をお聞かせいただけますか。
長藤さん:卵巣がんがわかったのは会社員をしていた27歳の時でした。ゆくゆくは料理の仕事をしたいなという思いもあり、1人暮らしでも、朝ごはんに魚を焼いて、ご飯をしっかり食べるような生活をしていました。お昼もコンビニなどで済ませることはほとんどなくて、健康的な生活を送っていたと思います。会社での健康診断も毎年受けていましたし、婦人科系の検診に引っかかったこともありませんでした。生理不順も全くなく、生理痛の薬を飲んだこともありませんでした。
そんな中、ちょうど年末に温泉旅行を予約していた日と、生理がかぶってしまいそうだったので、温泉に入れないともったいないと思って、生理をずらすためにはじめてピルを使ってみることにしたんです。それで会社の目の前にあった小さななクリニックに薬をもらいに行った時に、内診で「卵巣が腫れている気がするから、気になるようだったら大きな病院で診てもらってもよいかもね」と言われたんです。排卵などのタイミングで卵巣が腫れることもあるため、それだけですぐに病気と診断されるわけではないそうです。
自分では自覚症状もなかったので、はじめは気にしていなかったのですが、大きな病院で大丈夫と言われれば安心できるだろうと、年明けに大学病院に行くことにしました。そうしたらその日のうちにあれよあれよという間に様々な検査に回されて、最終的に「卵巣がんの可能性が高い」という診断が下りました。
――まったく自覚症状がなかったのですね。
長藤さん:そうですね。卵巣がんの怖いところで自覚症状が出ないことがほとんどなのだそうです。お腹が痛くなることもなければ、生理が遅れるとか、出血があるとか、そういうこともほとんどなくて、無症状で進行することが多いと聞きました。
卵巣が腫れてどんどん大きくなると、がんだった場合は、卵巣がぶら下がってる細い管が卵巣の重みに耐えられなくなって、ねじれていってしまうそうです。そのねじれ(捻転)が進むと卵巣が破裂してしまうのだと…。卵巣の破裂による壮絶な痛みに気を失って、救急車で運ばれて卵巣がんに気づくというのが、発見のいちばん多いパターンだとも伺いました。私の場合は卵巣が15cm近くまで腫れていて、今この瞬間に破裂していてもおかしくないという状態だったんです。
がん発覚から1週間で卵巣の切除へ。妊娠の希望を残した手術を選択
――卵巣がんの手術はどのようなものだったのでしょうか。

長藤さん:がんの診断が下りてから、1週間で手術をすることになりました。私の場合、片方の卵巣だけに疾患が見つかったので、「片方の卵巣を取るんだな」と考えていたのですが、転移や再発の可能性を下げるためには両方の卵巣を全摘するのがスタンダードだという説明を受けたんです。片方を残すことによって、生存率は変わってきてしまうし、再発率もずっと上がってしまうと説明を受けました。
――「全摘するかどうか」という決断は悩まれたのではないでしょうか。
長藤さん:私は当時27歳で、未婚でしたが、いずれ子どもを持つだろうなと思っている中で、両方の卵巣を取るということは考えられませんでした。ですから、正直悩まなかったです。
子どもを持つ・持たないというのも、どんなに健康な女性にとっても奇跡みたいなものだと思ったんですね。不妊治療で大変な思いをされてる方たくさんいらっしゃいますし、そんな中、自分がリスクを残したとしても、がんが再発する可能性も、起こるか起こらないかわからないと思ったんですよね。それであれば、奇跡のほうを信じたいし、きっと自分は後悔しないっていう気持ちが強かったんです。ですから、悩まずに「片方を残してください」と伝えました。
ただ手術をする中で、もう片方の卵巣にも転移が見つかった場合は、左右全摘となってしまうので、手術後に医師から「片方をちゃんと残せました」と言っていただいた時は、何よりも嬉しかったですね。
――そして手術後、抗がん剤の治療をされたのですね。

長藤さん:がん細胞は卵巣の中にとどまっていたので、基本的には手術によって体の中にはない状態にはなったのですが、血液検査をするとがん細胞の数値が一向に下がらなかったんです。それに片方の卵巣を残すというリスクを取っているので、数値が下がりきるまでは薬を続ける必要があり、いつ終わるかわからないままに抗がん剤の治療が始まりました。
抗がん剤にもさまざまな種類があるのですが、私の場合はトップクラスで強い薬を使わなくてはならず、副作用は本当にきつかったです。抗がん剤の2クール目に、たった1日で、ほとんどの髪の毛が全部ぶわっと抜け落ちてしまいました。髪の毛が抜けることもショックでしたが、それよりもそんなに強い薬が体に入っているということも、背筋が凍るような怖さがありました。
治療を始める前から日常生活は送れなくなると言われていましたが、本当にその通りで、24時間強い吐き気があり、ベッドの柵をへし折るんじゃないかというほど握りしめて、ただただ時間が過ぎるのを耐えるしかありませんでした。朝なのか昼なのかもわからなくなり、本当に時間が経つのがすごく長かったです。
――その頃はコロナ禍でもあったんですよね。
長藤さん:そうですね。もちろん、孤独という部分では、精神的につらかった面もありましたが、でもそれは私にとっては良かったのかなと思うんです。誰にも自分の弱った姿を見せたくないっていう気持ちがあったので。
抗がん剤の影響で卵子がほとんどない状態から、自然妊娠、出産へ
――闘病を経て、ご結婚、そして妊娠、出産されたのですね。
長藤さん:当時27歳だった私は妊娠についての知識があまりなく、卵子は女性の体の中で作られると思っていたんです。でも違うんですよね。ご存じの方ももちろんいらっしゃると思うのですが、男性の精子は日常的に新しく作られているのですが、女性の卵子はそうではないんです。もともと持っている卵子の数がそれぞれにあって、それが排卵のたびに出ていくんです。
抗がん剤はがん細胞だけでなく正常な細胞にも影響があり、髪の毛や肌の細胞であれば薬を止めれば再生するのですが、卵子はなくなってしまったら、作り出すことができません。私は妊娠できる希望を残したくて、片方の卵巣を残したのですが、その中にある卵子がどれほど薬に耐えて生き残ってくれるかっていうのは未知数だったんです。
抗がん剤の治療が終わって、周りからは「治って本当によかったね」と言われ、仕事にも戻って、見た目もウィッグをかぶっていれば、わからないくらい元気な姿に戻りつつある中で、片方の卵巣に卵子がどれぐらい残ったのかという検査を受けたら、ほとんど残ってなかったんですね。
基本的に自然妊娠は難しいだろうし、不妊治療もできないという値でした。その結果を知った時が、がんがわかった時よりも、絶望というか、もう何よりもたくさん泣いた時間でしたね。子どもを持てる可能性が残されているから、希望があるから、辛い治療も乗り越えてきたのに…心の支えがポキンと折れてしまいました。
当時付き合っていたのが今の夫なのですが、今後を考える上でそのことは彼にも知っておいてもらわなくてはいけないと思ったので、きちんと話しました。彼が子どもを持つ人生を望んでいる人だったので、その時にはもう私の中ではお別れの覚悟ができた上で、決断をしてほしいと彼に伝えましたね。
彼も相当悩んだようですが、その上で、彼は「結婚しよう」っていう言葉で返してくれたんです。なので、私たちは子どもは諦めても、2人で楽しい人生を送っていこうという、覚悟がある中でのスタートでした。

ですが、そんな難しいと言われていた中で、たった1ヶ月で自然妊娠が分かりました。もうお互い、本当に嬉しいという気持ちより先にびっくりが大きかったですが、やっぱり嬉しかったですし、奇跡って本当に起こるんだなと感じました。諦めなくてよかった、あの時頑張って治療してよかったと思いましたね。
――今お子さんは3歳になられたんですね。お仕事と子育ての両立はいかがですか。
長藤さん:会社員と個人事業主、半分ずつくらいで働いています。子育てとの両立は「大変」とか「忙しい」というのはもちろんあります。でも、がんがまだ完治を迎えていない中で、常に「自分がこの先生きていられない可能性がある」という気持ちがあり、全てを後悔しないようにやりたいと思ってます。
私のインスタグラムは娘に宛てて発信してきたものなんです。現在は多くの方が今見てくださっているようになりましたが、スタートとしては、私にいつ何が起こって突然いなくなったとしても、どんな思いで、どんな景色を見て子育てを楽しんでたか、全力で子育てを満喫してたかを娘に残したいというところでした。今もその思いは変わらず発信しています。
――食に関わるお仕事をされる中で、お子さんの食についてはどのようにお考えですか?
長藤さん:食育アドバイザーの資格を持っていることもあり、食育については知識があるほうなのかなとは思うんですけれども、個人的には、食べることや食卓が楽しいと思うことが何よりも大事だと考えています。「バランス取れたものを食べさせなきゃ」とか「添加物入ってるものは絶対ダメ」「チョコはダメ」ということはないですし、本人が食べたいタイミングで食べればいいかなと思っています。

娘が3歳になり、子育ても少し落ち着いてきたなと感じてしまって、それがちょっと寂しいときもあります。
「こんな子になってほしい」という気持ちは正直本当になくて、本人がやりたいことをやればいいと思っています。ただ、自分の経験から、どんなにつらいことがあって絶望だと思っても、奇跡は起こるかもしれないということは伝えていきたいです。どんな生き方をしても絶対壁にぶつかるときはありますが、「奇跡が、あなただったよ」っていうことを思い出してほしいなと思っています。
ママの健康にも目を向けて、子育てを楽しもう!

――最後に、HugKum読者にメッセージをお願いします。
長藤さん:ママになると子どもや夫の健康に目が行きがちだと思うのですが、やっぱり自分が健康でないと、子育てができなくなる可能性もあるっていうことをお伝えしたいです。卵巣がんは30〜40代もボリューム層になってくるそうなのですが、その辺りの年代は子育てや仕事で忙しい時期で、症状もないのに病院にわざわざ行くというのは、なかなかできないですよね。乳がんや子宮頸がんに比べたら、検診に行こうという方もまだまだ少ないと思います。でも、少しでもおかしいなと思ったら検診に行ってほしいです。
そして、一緒に健康に子育てを満喫しましょう!
お話をうかがったのは

Instagram @yurika_nagafuji
こちらの記事もおすすめ

取材・文/平丸真梨子