【前回までの流れ】
●本番の試験に向けて「慣れること」は本当に大切だった。緊張しやすい自分にとって、プレ模試の経験が試験本番での落ち着きにつながった。
●受験勉強中に病気で10日間休んだことで、「時間の大切さ」を初めて痛感した。与えられた時間は有限だということを、身をもって知った。
●第一志望に落ちたことで、自分の努力がすべて否定されたように感じて涙が止まらなかった。でも、その悔しさが次への原動力になった。失敗から立ち直る気持ちが大事だとわかった。
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【偏差値33からの逆転中学受験】「緊張して頭が真っ白」「不合格って、こんなに痛いんだ」…第一志望校の入試で味わった12歳のリアルな気持ちと再出発の朝
第一志望校の不合格がわかった翌朝。目が覚めたのは、まだ外が真っ暗な朝5時だった。起きた瞬間、胸の奥にじんわりと重たいものが広がって、「ああ、やっぱり昨日のことは夢じゃなかったんだ」と思った。
悔しい。情けない。何も考えたくない―けれど、布団の中にじっとしていられなかった。
「二度とこんな思いはしたくない」と思い、鉛筆を握りしめて、苦手な算数に取り組んだ。
「今までやって来たことが無駄になってしまう。このままじゃ、終われない」。それが、その朝の僕の、正直な気持ちだった。だから、起きてすぐに机に向かったんだ。
このとき、僕の気持ちにやる気というスイッチが入ったのかもしれない。

合格がほしい――とにかく、どこかに受かりたい
第一志望校の不合格が決まった後、お母さんと源先生が相談をして、別の全寮制の学校の受験を申し込んでいた。その裏には、第1志望がダメでも全寮制に入れたいというお母さんの思いと、合格することで自信をつけさせたいという源先生の思いがあったそうだ。
受けることになった学校について、僕は何も知らなかった。見学にも行っていない。きっかけは、お母さんが「寮のある学校合同相談会」で目星をつけていたことだった。
「他の学校も受けるの?」と僕が聞くと、「このまま何もしないで受かる気がする? 自信をなくしているんじゃない? 練習だと思って受けてみなさい」とお母さんは言った。
お母さんが見せてくれたパンフレットによると、その学校には、「東大コース」と「難関大コース」があり、成績優秀者には入学金や寮費が免除される特待制度もあるという。専願で受ければ、専願点も加点されるらしい。
「この学校は偏差値いくつなの?」と聞くと、「大体50くらいあれば、合格できるみたいよ」とお母さんはこたえた。「それでも僕の偏差値じゃあ足りないから、専願にしたほうがいいんじゃない?」と僕は言った。すると、お母さんは、「何言っているの、翔太に自信をつけさせるための受験なのに。翔太が目指しているのは第一志望校でしょ。そこを目指してたんじゃないの?」と返された。
僕は、何も言い返せなかった。試験に落ちたことで、僕の心の底に負け犬みたいな逃げようとする気持ちがあることがあらためてわかった。「このままじゃ、ダメだ」と強く思った。
残された時間は、約1週間
第一志望の不合格がわかったのは、12月8日。すべり止めの入試は12月16日。受験までは、わずか1週間ほどしか残されていなかった。
「この1週間は、すべり止め校の対策に集中しましょう」
源先生は、そう宣言した。特別な参考書やテクニックは一切使わなかった。
「やるのは、過去問をひたすら解くだけです」
お母さんが合同相談会でもらってきた3年分の過去問を、1日1年分ずつ、全力で取り組んだ。間違えた問題には印をつけて、時間を置いてもう一度解き直す―それを地道に繰り返した。
この1週間、僕は食事が終わった後ごろりと横になったり、休憩と称してテレビを見たり、気分転換といってお母さんのスマホを触ってゲームをしたりするような気を抜くようなことは一切しなかった。ちょっとの休憩時間すら惜しんで、勉強に取り組んだ。
「絶対に受かりたい」、それだけを支えに、僕は鉛筆を握り続けた。

受験前夜は、眠れぬ夜
試験前日。試験会場が僕の家からかなり遠かったため、源先生の提案で、先生のセカンドハウスを利用させてもらうことになった。先生のセカンドハウスは、おしゃれな場所ではなく、昭和っぽさの残る商店街の中にあるこぢんまりとした木造の家だった。
「明日は早起きをして、近所のロイヤルホストで朝ごはんを食べてから行こう」
先生の軽い一言が、少しだけ緊張感を和らげてくれた。
その夜、布団に入ってもなかなか眠れなかった。試験への緊張というより、慣れない場所で、静まり返った古い家が少し怖かったからだ。布団は古めかしいにおいがするし、枕は慣れないし、その上、時計の音が大きく聞こえるし、風が吹くたびに窓が揺れた。
右を見たり、左を見たりして、僕は何度も寝返りを打った。そのうちにまるで金縛りにあったかのような気持ちになって、なかなか寝付くことができなかった。
ドタバタの朝と思わぬ助け
当日の朝は、6時に源先生の家を出て、近くのロイヤルホストに入った。まだ時間的に余裕があるので、食事を取りながら、今日の試験のポイント、過去問の中で僕が苦手なところを見ながら、おさらいをしてもらった。そして、「慌てずにゆっくり問題を解くこと」、「早とちりをしないこと」などのアドバイスももらった。
ふと時計を見ると、余裕があると思っていたのに、すでに試験開始の1時間前になっていた。「先生、もう1時間前ですよ!」と僕が言うと、「もう、そんな時間か。じゃあ、急ごう」と言って、店を出て車に乗った。源先生は「車で20分ほどだから大丈夫だよ」と言った。しばらくして、駅前を通りかかったときのこと。
血相を変えて、受験会場の方向へと必死に走る、受験生親子の姿が目に入ってきた。「同じ学校を受ける受験生じゃない?」と源先生が言って、その親子に並走するようにしながら窓を開けて「A中学校の受験をされるんですか?」と声をかけると、受験生の父親は「そうです!」とこたえた。「私たちもA中学校の受験に行くので、よかったら乗ってください」と言うと、親子は「ありがとうございます」と言って後部座席に乗り込んできた。
「家を出るのが遅れてしまって、慌てていたんですよ…。助かりました」と受験生の父親は話し、「よかったですね」と源先生は微笑んだ。
試験会場には、試験開始の20分前に到着した。受験生親子と僕は車を降りて、会場に向かった。源先生は「落ち着いて頑張れよ」という言葉を残して、去っていった。

受付の準備のために、受験票を取り出そうとバッグを開くと、受験票がないことに気づいた…。「受験票がない!」と僕が言うと、先ほどの受験生のお父さんが「どうした? 家に忘れたのか?」と声をかけてくれた。「車の中では手に持ってたんだけど…」と途方に暮れていると、「じゃあ車の中に忘れてきたんじゃないか?」と確認をしてきた。
「車のダッシュボードに置いてきちゃったのかも…」と僕が言うと、「車はまだ近くにいるかもしれないから、校門のところまで行ってくるよ。君はここにいなさい」と言うやいなや、おじさんは僕を残して走り去っていった。僕は不安な気持ちで、佇んだ。
待っていたのは5分もなかっただろうけど、ものすごく長く感じた。すると、おじさんが「あったぞー!」と右手で僕の受験票をかざしながら、走り寄ってきた。「やっぱり車のダッシュボードにあったよ。先生も気づいて、学校に届けようとしていたところだった。よかったな」と言い、自分の子どもと僕とを受付まで見送ってくれた。
遅れそうになった親子を乗せてあげたことが、僕のピンチを救ってくれた。国語で習ったことわざ「情けは人の為ならず」という言葉の本当の意味がわかったような気がした。
ようやく落ち着いて「戦えた」試験
会場に入っても、まだ胸はドキドキしていた。教室の中を見回してみると、小学校の同級生や同じ塾の友人が数名いた。見慣れた顔を見たことで、落ち着きを取り戻すことができた。
本番の試験は、3年分の過去問をしっかり解いていたので、例年と同じような問題が出た。源先生と取り組んできた問題が多く出題されたので、1問解答するごとに「できた」「できた」ということが積み重ねられた。試験が終わったときには、これまでと違い「合格できたかも!」という実感のようなものがもてた。
あれだけドタバタだった朝のことも、不安に押しつぶされそうだったこの1週間も、その瞬間だけはすべて頭から消えていた。
ただ、目の前の問題に集中できた。ようやく、落ち着いて“戦えた”試験だった。

しかし、幸運に救われただけで、試験に入るまでのドタバタを考えると、もっと余裕を持って行動しなくちゃいけないという教訓にもなった。
試験の結果は…?
試験の手応えがあっただけに、合格発表の日が待ち遠しくて仕方がなかった。だから、合格発表の前日くらいから「連絡来てない?」とお母さんにはしつこく聞いていた。しかし、お母さんは、合格発表の日が過ぎても、何も言ってこなかった。
塾の友達は「翔太、合格した?」と聞いてきたけど、「まだ僕は聞いてないよ」と言った。「落ちたんじゃない?」と言われ、「そんなことないよ!」と頬を膨らませた。
急いで塾から帰り、「お母さん、合格発表はもう終わってるよ。どうして教えてくれないの?」と言うと、お母さんは落ち着き払って「そんなの教えないわよ」と言う。「どうしてなんだよ?」と詰め寄ると、「合格したにせよ、しなかったにせよ、あなたにとってよくないから教えない」と言われた。
「どういう意味?」と聞くと「受かったら受かったで有頂天になり、第一志望校なんて受けなくていいやって思うんじゃないの。ダメだったらダメで、落ち込むんじゃない?」と言われ、僕は全くその通りだと思い、ぐうの音も出なかった。
「じゃあ、いつ教えてくれるの?」と追及すると、「そうねぇ。第一志望の試験が終わった後、教えてあげるわ。だから、今は余計なことを考えずに第一志望校に向けて今まで以上に勉強に取り組みなさい」と言われてしまった。僕は納得できなかったけど、仕方なく受け入れた。
だけど、ことあるごとに、お母さんの顔を見ながら何度も結果を聞いた。しかし、お母さんは決して教えようとはしなかった。
そのときは、「なんで教えてくれないんだよ、教えてくれたっていいじゃないか、いじわる!」と思っていたけれど、今となってみたら教えてくれなくてよかった。さすが、産んで育ててくれたお母さんなだけあって、僕の性格をよく理解している。あのとき「合格してる」と言われたら、第一志望校には入学できていなかっただろう。
しつこく食い下がる僕に対して冷たくあしらってくれたお母さんに、感謝をしている。
今回の「僕の逆転 中学受験」の学びと反省
●不安や焦りに振り回されず、今できることに集中する。
●試験に向かうときは、時間に余裕を持ち、持ち物を確認してから向かう。
●第一志望校に集中するために、「すべり止めの合否は見ない」とはじめに決めておく。
●「不安」があれば取り除く工夫が必要。小さくても自信をつけることが大切である。
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執筆/清宮翔太