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明るい場所では反応するのに、夜、電気を消すと何も反応しない
――友香子さんが聴覚障害とわかったときのことを教えてください。
友香子さん:私が1 歳半ごろのことです。夜、寝室の電気を消して母が「おやすみ」と言っても、何も反応しないので「あれ?」と思ったそうです。明るい場所では、そうした様子は見られません。
母は、私を連れて耳鼻科を受診したのですが、そのときは医師に「問題ない」と言われました。多分、明るいところだと耳からの情報ではなく、目からの情報で反応したり振り向いたりしていたので、医師も「問題ない」と言ったのだと思います。
しかし、大きな病院で検査をしたところ重度の聴覚障害と診断されました。母は、重度とは思っていなかったので、かなりショックを受けたようです。

補聴器をつけても、人の声はほぼ聞こえない
――普段は、どのようにしてコミュニケーションをとっているのでしょうか。
友香子さん:私は補聴器をつけても、人の声はほぼ聞こえません。そのため読唇術といって相手の口の動きを読み取ってことばを理解して、ことばを発しています。
口の動きを読み取ってコミュニケーションをとるため、寝起きで眼鏡やコンタクトをしていないときや、後ろから声をかけられたときは無反応。家族は、そういうときにあらためて「そう言えば聞こえないんだ」と思うようです。

小中学校の進路を選ばせてくれた母に感謝
――友香子さんは、ろう学校に通っていたのでしょうか。
友香子さん:小学校に入学するときに母から「友だちが通う地元の公立小学校とろう学校、どっちに通いたい?」と聞かれて、私は「友だちと一緒の小学校に通いたい」と伝えました。中学に入学するときも、母から同じ質問をされたので「中学も友だちと一緒の学校がいい」と言って、地元の公立中学に通いました。

友香子さん:母は「本人は地域校って言うけど、いじめられたりしないかな?」などと心配したようですが、私の気持ちを尊重してくれました。
振り返ってみると、確かに「聞こえない」ということでつらい経験もありましたが、「これは、自分で選んだ道」と思って頑張れましたね。進路を選ばせてくれた母には感謝しています。
社会人1年目のときに出会った夫と、23歳のときに結婚
――国立大学を卒業後、一般採用でソニーに入社されていますが、ご主人と出会ったのは社会人になってからでしょうか。
友香子さん:夫とは、社会人1年目のときに、ウェイクボードを楽しむキャンプで出会いました。参加者は初対面同士が多かったのですが、夫は会話に入れない人がいるとさりげなく話しかけたり、耳の聞こえない私には、周囲の会話を要約しながら話してくれたりと気の利く人。そうした優しさに魅かれ、私からアタックして交際が始まりました。
1年ぐらいの交際を経て夫からプロポーズされ、私が24歳、夫が27歳のときに結婚しました。夫は交際するうちに、「聞こえないことはもちろんネックだけど、それ以上にいいところがある」と思ってくれたようです。

結婚しても子どもがほしいとは思えなかった
――YouTube「難聴ユカコの挑戦(デフサポちゃんねる)」では、「子どもをほしいと思えなかった」とおっしゃっていました。
友香子さん:結婚する前から、ずっと「子どもがほしい」とは思えなくて…。理由は、聞こえない私が子育てをすることに高いハードルを感じたためです。そのことは交際中から、夫にも伝えていました。妊娠がわかったときはうれしかったのですが、「私に育てられるかな…」と不安もありました。
妊娠8カ月の妊婦健診で「赤ちゃんに何かある」と言われて
――娘さんの病気は、いつごろわかったのでしょうか。
友香子さん:妊娠8カ月に入ったころ、妊婦健診で「赤ちゃんに何かあるかも。大きな病院で診てもらって」と言われ、急遽大学病院に転院しました。
しかし大学病院で検査しても「骨が短いかもしれないけど、生まれてみないとわからない」「病気があるか、ないかは五分五分かな…」と言われてしまって。
私は医師のことばが頭から離れずに、「どういう子が生まれてくるんだろう?」「もしかしたら育てられないかもしれない…」と、考えて不安でいっぱいに。出口の見えない迷路に迷い込んでしまったような感じでした。
誕生後、私から見てもすぐに病気だとわかった
--出産について教えてください。
友香子さん:陣痛が来てもギリギリまで自宅で待機していたので、病院に到着後、2~3時間で長女は産まれました。自然分娩で夫も立ち合いましたが、娘は生まれてすぐにNICU(新生児集中治療室)に運ばれて行きました。生まれたばかりの娘を見た瞬間、私でも「やっぱり病気がある」とわかりました。
出産して退院するまでの数日間は、ずっとスマホで「骨が短い」などと検索して、娘と同じような子がいないか探し続けていました。
50万人に1人の骨の難病と判明
--長女の病名を告げられたときのことを教えてください。
友香子さん:生まれて数週間後、さまざまな検査をした結果、50万人に1人の骨の難病ということがわかりました。ただでさえ耳が聞こえない中での子育てなのに、不安で頭がパニックになったのを覚えています。
後編では、出産後の葛藤や長女のその後、アメリカでの暮らしなどについて聞きました


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母でも社長でも、全力で夢を追いかける七転八起の日々。
前を向いて生きる勇気が湧いてくる!
生まれつき耳が聞こえない彼女の生き方を綴った自己啓発エッセイ。
お話を聞かせてくれたのは…

1988年大阪生まれ。先天性の聴覚障害があり、読唇術での会話を身に付ける。大学卒業後ソニー株式会社に入社。2017年からは株式会社デフサポを立ち上げ、難聴児の教育や企業研修等を行っている。2021年には夫とともに株式会社マスドライバーを立ち上げ、Webマーケティング、海外マーケティング支援を行う。現在は、家族でアメリカのテキサス州へ移住。YouTube「難聴ユカコの挑戦(デフサポちゃんねる)」は12万人の登録者数を誇る。
取材・構成/麻生珠恵