「自閉症を取ると、僕じゃなくなる」。5歳で自閉スペクトラム症(ASD)と診断され、中学3年生のときに書いた作文で文部科学大臣賞を受賞した高校生作家・藤田壮眞さんに聞く「書くこと」「読むこと」「母の教え」

5歳で自閉スペクトラム症(ASD)と診断された藤田壮眞(そうま)さんは、現在高校3年生。中学3年生のときに書いた作文「自閉症を持つ私から見た日常」で文部科学大臣賞を受賞し、2024年にはエッセイ『わたしは、あなたとわたしの区別がつかない』(KADOKAWA)を出版しました。noteやXで発信される、「当事者から見た世界」の言葉は、多くの読者の心に届いています。

「雑談はテトリスみたい。変化球が飛んでくる感じ」「言葉はすぐ捕まえないと逃げる」など、藤田さんの口から出てくる言葉は、どれも独自のリアリティを持っていました。書くこと、読むこと、お母さんからの教え、そして今学校で苦しんでいる子どもたちへのメッセージを伺いました。

頭の中は「テトリス」。雑談が難しくて、小説が得意なわけ

ノートに向かう藤田壮眞さん。

― 藤田さんは「雑談は難しいけれど、小説の読解は得意」とのことですが、その違いはどこにあるのでしょうか?

藤田さん:小説は、文字で書いてあります。人物がどう考えているか、どういう様子かなど、全部説明されているから分かりやすいと感じます。

一方で雑談は、「この質問にはこの答え」という決まった型がありません。キャッチボールに例えると、変化球が飛んできたり、球が5個連続で飛んできたり、飛んでいる最中に分身したりすることもあります。また、話が続いてるはずなのに突如プツンって消えたり、かと思えば、突然話が始まったりすることもある。

それを相手の表情や声や動作から読みとって即興で答えようとするけど、うまくできなくて。「あなたは何が言いたいの?」と相手に理解してもらえないことがあります。

― それは混乱しそうです。

藤田さん:みんなで雑談をしているときは、頭の中でずっとテトリスをしているような感じがします。自分に降ってくる言葉をとっさに頭の中にはめこんだり、はまらなかったら回転してカチャッとはめたりしながら、最適化して処理しています。

そうやって必死に対応しても、自分の根本が変わるわけではありません。なので、頭のメモリーがいっぱいになり、お腹がいっぱいなのに「お腹が空いています」と言ってしまったり、「寝ます、私は今から」のように文法が崩れてしまったりするなど、文章がバグってしまうことがあります。

― なるほど。ちなみに文章を読んでいるとき、頭の中はどのような状態ですか?

藤田さん:文字で受け取った情報を、頭の中で映像化しています。プロンプトを打ってAIに生成してもらうみたいに、「そこに書いてあることのみを作る」感じです。

例えば「部屋の中」という描写であれば、「その部屋のみがある」というイメージです。中は真っ白で、窓を開けても何も映っていません。仮に「電話が置いてありました」「猫がいます」という設定があったとしても、文字で書かれていなければ、私の中には存在しません。文字で書いてあるものだけを起こして映像にする。文字を読んでいる間は、それをずっと繰り返しています。

書くのは「鬼モード」、描くのは「無」。言葉と絵は別チャンネル

― 文章を書くときと絵を描くときでは、心の使い方に違いはありますか?

藤田さん:あります。文章を書くときは、心を鬼にして書いているので、全くリラックスしていません。

自分は、どうしても第三者視点を持つことが苦手です。なので、自分しか知らない話なのに「あなたは最初から分かっているよね」という体で書いてしまうことがあります。少しでも気を抜いて書いてしまうと、伝えたいことが正確に伝わらなかったり、全く違う意図で受け取られて泣かせたり、怒らせたりすることが起きてしまいます。

だから、大人の目線に引き上げて書くことを意識しています。

― なるほど。では文章を書くときにも使う「言葉」は、藤田さんにとってどんな存在だと思いますか?

藤田さん:自分にとって言葉は、後付けのツール、プラグイン(ソフトウェアなどにあとから追加できる機能のこと)みたいなイメージです。言葉は、使い方によっては武器になったり、人を意図的に傷つけることができたり、「取り扱い注意」のものとして捉えています。

― 取り扱い注意、というのはどういうことでしょうか?

藤田さん:僕にとって言葉を扱うことは、「目隠しをして、脚立に上って、上からぶら下がって壊れやすいシャンデリアを拭く」ようなものなんです。ただ、テキストの場合、話し言葉と違って何度でも修正や付け加えができます。それに、文字にすると頭の中から「バイバイ」って逃げていきません。だから、焦らずゆっくり対処できます。

― とてもわかりやすく、イメージしやすいです。書籍では、 世界の音が「不協和音」のように聞こえるとも書かれていますが、それを言葉に変換するときはどうしているんですか?

藤田さん:まず頭の中で「音声」を「音程」に切り替えて、それを楽譜のようなものに置き換えます。そこから連想できるものを自分の中で探して、言葉に起こしています。でも、音声やファイルなどを異なる形式に変換する「コンバーター」を何回も通すようなイメージです。

― それは疲れそうですね。

藤田さん:学校のようにある程度慣れた環境だと、変換をすれば相手の言いたいことが分かるようになります。ただ、初対面や数回しか会ったことない人だと、何回も変換をしているうちにゲシュタルト崩壊のように言葉の意味が壊れてしまうので、疲れますね。

絵を描くときの心の使い方はどうですか?

藤田さん:絵の場合、「伝わる/伝わらない」は意識せず、心を無にして描いています。寝ていても、勝手に手が動いて描いてくれるような感じです。

でも、みんなは「絵は伝わるよ」って言ってくれます。使っている頭のチャンネルが違うのかもしれません。

バレーボールとタッチフラグ。

― 伝わり方も変わるのですね。ちなみに、絵の役割は言葉とはまた違いますか?

藤田さん:絵は、文章を書いても言葉が追いつかないと感じた部分です。参考書とか本文に「米印(※)」がついて、欄外に追加情報が書かれていますよね。あんな感じです。

お母さんから、体で、絵で教わった世界の読み方

― お母さんの教え方で、一番「わかりやすい!」と思ったのはどんなときでしたか?

藤田さん:話と同時に、イラストや絵を描いてもらったときです。例えば、先ほど出てきた「ゲシュタルト崩壊」という言葉の説明のときは、「文字が飽きてバラバラになってどこかへ行っちゃいました」みたいな絵を描いてくれました。

また、「猫背を直して」と言われたとき、 どこに背骨があって、どう直していいかわからず、わけのわからない動作をしてしまったことがありました。そのときは、母が背中の真ん中の部分を触って、「ここが背骨ですよ」と教えてくれたり、耳の上あたりをキュッて引っ張ってくれたりしながら、「この方向にデコルテを開きながら、伸ばしてください」と伝えてくれました。僕はバレエを習っていたので、そのときに使っていた言葉で教えてくれました。そういった意味では、言葉はあくまで補助として使っている感じです。

コミュニケーションについては、社会的会話=「自分」+「相手」+「周囲にいる人」だと教わりました。これをもう少し単純化して、「自分+X=コミュニケーション」、必ずXに誰かを代入する。空っぽでは独り言だそうです。

物理の理解について描いた絵。

― 藤田さん自身が理解しやすいように教えてくださっていたのですね。

藤田さん:そうですね。お母さんは「みんなと合わせて自分を変えなくてもいいよ」ということとあわせて、「普通」についても教わりました。そこからどれだけズレているか、離れているか、把握しているように言われます。普通でいなければならない場面では、猫を被って普通のふりをするように言われます。

例えば試験を受けるときは大声で独り言を言わないし、席を立たないし、他人に話しかけない。そういった、社会のルールを必ず守ることを教わりました。

学校は人生のほんの一部。ASD高校生が今、伝えたいこと

― 本のタイトルは『わたしは、あなたとわたしの区別がつかない』ですが、今もそう感じますか?

藤田さん:「自分は自分、他人は他人」と期末試験のように赤シートで隠して暗記したような感覚で覚えたけど、正直言うと、本を書いた頃とはあまり変わっていません。

― 頭では分かっていても、感覚としてはまだ曖昧なまま、ということですか?

藤田さん:そうなんです。夕方になるとムクドリの群れが一つの生き物のように固まって飛んでいくのを見るんですけど、あれを見るたびに「人間もあんな感じなんだな」と思います。「私」と「あなた」はもちろん別の人間だけど、根本を掘っていくと、つながってるんじゃないかなって。

― なかなか変わらないものなんですね。それでも、自閉症を「相棒」と思えるようになったのはなぜですか?

藤田さん:「あなたから自閉症を取ると、藤田壮眞じゃなくなりますよ。だからあなたは持っててもいいんですよ」とお母さんに言われたことがいちばん心に残っています。

自閉症を否定しないけど、だからといってあがめるようなものでもない。基本的に「物事はすべてフラットに見る」と教えてくれました。良いとか悪いとか、評価するのをまずやめるということです。

― 著書のあとがきに「わたしたちは、ゆっくり成長するのだ」と書かれていました。最近、成長したと感じることはありますか?

藤田さん:今、一番の悩みでもあるんですけど、やっぱり自分の体が男性になっていることです。正直自分の成長はもう止めたいですね。

学校で教わったので、社会のルールや常識をしっかり理解できるようにはなりました。だけど、自分の中には、そこに全く対応できていない5歳くらいの自分がいたり、かと思えばすっかり大人になっている自分がいたりと、様々な自分がいます。以前より「できないこと」が明確に見えるようになったからこそ、自分の不甲斐なさを感じることも増えました。

― 今まさに学校で苦しんでいる子に、伝えたいことはありますか?

藤田さん:学校っていうのは、校則があってもなくても暗黙のルールが必ず存在していて、それをみんなが息をするようにこなしているんですよね。自分は何も知らないまま幼稚園に入園したので、そのルールを全く把握できなくて。みんなが一緒に行動するときにブランコで遊んだり、授業中に歩いたり、やりたい放題でした。

でも以前、どこかの対談で「今あなたはつらいと感じている。学校は特殊な場所であるからつらいんだよ。学校生活には必ず終わりがあるんだよ」と話をしてくれた人がいました。そのときはすごくうれしかったです。ゴールが見えれば、「じゃあここまでなんだ、がんばろう」って思えます。このことは、今苦しんでいるASDの子やほかの障害を抱えている子にも伝えたいです。

あと、学校での成績表って、あなたはダメな人間ですよとか、素晴らしい人間だっていうのを全部を決定づけるようなものじゃないんです。人生のほんの一部にぎないと感じます。

― これから「言葉」を使ってやってみたいことはありますか?

藤田さん:できれば大学に進学して、言葉やコミュニケーションについて学んでいきたいと思っています。同じ言葉を投げかけても、返ってくる反応は千差万別です。それを体系的、文化的、そして歴史的に理解していきたいです。

あと、自分の本を読んで「家族を理解できた、できるかもしれない」って言ってくれた人がいっぱいいるんですよ。家族を理解できないっていうのは、すごく寂しいことなんじゃないかなと思って。僕というサンプルを使って、ASDを理解するための助けになるようなことができたらいいですね。

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取材・文/ミノシマタカコ

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