現役東大生はどんな子ども時代を過ごしていた? 小学生時代の読書から得た「浅く広い知識」が、東大合格の基礎力になった黒木さんの場合

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東大を目指すには有利とはいえない「非進学校」から、彼らはどのように東大に合格できたのか。普通に公立小学校に通い、とりたてて勉強は好きではなかったという彼らが、中学生以降、自主的に学びはじめ「東大にいく」と決意する。その主体性や勉強と真剣に向き合う姿勢はどのように育まれていったのか、『非進学校出身東大生が高校時代にしてたこと』の著者が取材しました。

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「特別なことはしていない」現役東大生・黒木さんの場合

二人目は、工学部3年の黒木海仁さん。私立宮崎学園中学校・高等学校(宮崎県)から学園初の東大合格を果たしました。

中学に入学した頃はクラスで8番目くらいだった成績が少しずつ上がり、高校に入ると学年トップの成績をとるようになります。さらに、高1の終わりには、模擬試験で宮崎県1位の成績をマーク。黒木さんは、「全く予想していなかったこと。特別なことは何もしていない」と当時の気持ちを話してくれました。

どうしてそこまで成績があがったのでしょうか。その理由に小さい頃の体験があったと言います。

マイペースで習い物は続かなかった小学生時代

黒木さんは、3人兄弟の長男。小さい頃は、弟とレゴブロックやプラレールでよく遊んだそうです。また、近所に海があり、親御さんがよく連れて行ってくれたことが楽しい思い出になっていると話します。

小学生の頃の成績を振り返ると、通っていた公立小学校で上の下か中の上くらい。家で宿題以外の勉強をやった記憶がないと言います。

「やりなさい」と言われればやる宿題

「勉強はやらなくてすむならそうしたいと思っていました。宿題はやっていましたが、低学年の頃は“早くやりなさい”と親に言われてやっていましたね」

親に言われたからといって、いやいややっていたわけではありません。宿題だけではなく、親御さんから「やりなさい」と言われたことに関しては、かならず気前よく「うん!」と返事をしていたそうで。ただ、だからといってすぐにやるわけではなく…。再度「やったの?」と聞かれると「うん!」とまた元気に返事をする。それを何度か繰り返している間にようやくやり終えるということが多かったそうです。

「“やりなさい”と言ったことに対しては、時間はかかってもやっていたので、親としては、過干渉にならなくても大丈夫という思いがあったと思います」

習い物は次々挫折でも…

マイペースだけれどしっかりとした長男。そんな印象の黒木さんですが、習い事などはあまり続きませんでした。小3の頃から始めた通信教材は、教材を溜めてしまい退会。小4で始めたサッカーも1年で、柔道も2年でやめてしまいました。

「達成感がなかったんです。教材を解いても何かしらの順位がでるわけではないし、サッカーや柔道に関しては、当時は、体がすごく小さくて体力もなかったので、ついていくのが大変でした」

そんな彼が熱中したのが読書でした。一旦読み始めると、二人の弟たちが騒いでいても全然気にならない。3、4時間ぶっ続けで読みふけったそうです。特に、歴史漫画や科学系の図鑑、地図帳がお気に入り。小3の頃、親御さんが買ってくれた『まんが日本の歴史 人物事典』(小学館)は歴史好きになる入り口となった本。ボロボロになるまで何度も読み込んだと言います。

「昔の日本にはこんなすごい人たちがいて、こんなことをやっていたんだと思うとめちゃくちゃ熱くなって、学校の図書室や市立図書館の歴史漫画はすべて読んでしまうくらいでした」

趣味の読書から自然に得た知識も

また、小5のクリスマスにサンタさんからもらった『なるほど知図帳日本2010』『なるほど知図帳世界2010』は、暇さえあれば、穴があくほど読んでいた本。世界を知ることが楽しく、面白いと思えば、都市名やさまざまなデータやランキングなどはすぐに覚えることができたそうです。

「記憶力は良かったのかもしれないですね。両親としてはもう少し勉強をさせたかったのかもしれないのですが、歴史漫画や図鑑は勉強になるだろうからと自由に読ませてくれました」

荒れている地元校に行きたくなくて中学受験

6年生になり、黒木さんは、中学受験を決意します。地元の公立中学校が荒れていると聞いたこと、また、もっと話の合う優秀な人と触れ合いたいという思いがあったからです。目指したのは、県内トップの公立中高一貫校。小6の夏から塾に通ったのですが、力及ばず不合格。「もうどうにでもなれ」と後期で受験した宮崎学園中学校から「特待生でいらっしゃい」と声がかかり通うことにしました。

先生と友人たちの影響で

黒木さんは、宮崎学園に入学することで、あまり好きではなかった勉強と少しずつ向き合うようになっていきます。

「勉強が突然好きになったわけではなく、先生方が“計画を立てて勉強しなさい”とか“大学受験を頑張って世の中を背負っていくんだぞ”など熱心に指導してくれたんです」

また、友人たちも勉強に真摯に向き合うメンバーが多かった。登下校の電車の中で問題を出し合ったり、成績の話をしたり。そんな環境のなかで、黒木さんの成績も少しずつあがっていきました。

「中学の終わり頃から、勉強は苦ではなくなりました。高校からは、やればやるだけ成績が上がっていき、成長している感じがありましたし、達成感もありました。この頃の一番の楽しみは、模擬試験の結果をみるときでした」

高校では模擬試験で県1位を何度もとり、全国でも10位に入る成績にまで上がりました。手応えを感じることで、さらに上を目指すようになりました。

成績が上がった「二つの理由」

小学生の頃は特別成績がよかったわけではありません。高校でトップの成績といっても、県トップの進学校というわけではありません。また、中学生以降は、塾や予備校にも通っていません。黒木さんの成績は、どうして全国トップレベルまで上がったのでしょうか?

黒木さんは二つの理由をあげます。

授業と教科書を100%理解

ひとつは、中学生になって以降、授業と教科書の内容を100%完全に理解することを徹底してやってきたということ。授業で寝たことは一度もなく、内職をしたこともないと話します。

「上を目指すというよりは、学んだことはしっかりと身に付けたいという思いが強かった。授業も課題もやらないと不安だったんです。真面目だからではなく、ただの小心者です。小心者と真面目は紙一重だと感じています。だから、試験でいい点数が取れても、今回は調子が良かったから。次に悪くなってしまってはいけない、という思いが常にありました」

中学生の頃はまだ、試験の内容も簡単なので満点近い点数をとる人が多いなか、負けたくないという思いも原動力になったそうです。学年が上がっても、教科書や授業を100%理解しきることを徹底してやり続けることで、同級生たちの理解が、90%80%となっていき、結果として、自分の順位が上がったのではないかと黒木さんは分析します。

読書の蓄積で底上げされていた知識

そしてふたつ目が、小学生の頃に読んでいた歴史の本や図鑑、地図帳から得た広く浅い知識がバックグラウンドナレッジになってくれたと言います。例えば、日本史を学ぶ場合には、同級生がいちから覚えることをすでに知識でもっていたり、現代文や英文などでも、どこかで聞いた内容だったりすることがあったそうです。

「こういった知識が直接点数につながることは稀でしたが、“知っている”と感じることが学びへのハードルを下げてくれたように思います」

黒木さんの読書を通しての歴史熱は中学生以降も続き、司馬遼太郎、浅田次郎、山崎豊子の小説を愛読していたそうです。高校では理系を選択しますが、日本史は常に学年でトップの成績をとっていました。

東大合格の土台は小・中学生時代に

一人目に紹介した大野さんと同様、黒木さんが中学以降に飛躍的に成績が伸びた背景には、小学生時代の読書経験がありました。知的好奇心の扉を開いてくれる本との出合いのきっかけは、いつも親御さんが与えてくれる本でした。あまり勉強に気持ちが向いていないときも、無理強いをせず、好きな読書に没頭する時間を守ってくれる。小学生時代の「面白い」と感じることをどんどん吸収した知識が、東大合格のための基礎力を築く土台となってくれたのです。

すぐれた人的環境と、自分を律する力と

そして、黒木さんは、中学生からの環境がとても良かったと振り返ります。黒木さんが入学した中学校には、学ぶことへの意欲を掻き立てる先生がたがいて、共に学ぼうとする友人たちがいました。その環境が、小さい頃から知的好奇心の強かった黒木さんの勉強スイッチを押してくれました。

「僕の名前は、海仁。“仁”には、思いやりや慈しみという意味があります。だから、小さいころから人に優しくしなさい、と言われて育ちました。でも小学生の高学年の頃に思うようになったんです。自分にまで優しくしていたらただのぐーたらになるなって」

人には優しく、自分には厳しく。

黒木さんの小学生からのモットーだそうです。授業を真面目に受けない、何かあれば群れて先生の文句を言う、そういう雰囲気がすごく苦手。だからこそ、より良い環境を求め中学受験をすることで得た環境でした。

将来は専門性を活かして地方創生

東大も、今よりもさらに良い環境、より優秀な人たちと学びたいという思いから選んだ場所でした。

現在は、エネルギーや資源問題に興味をもち、研究を進めています。エネルギー分野のなかでも太陽光発電などの分散型電源はエネルギーの地産地消につながるため、地方創生と相性がいい。将来は、宮崎に戻り、専門性を活かしながら地方創生をやりたいと夢を抱き、今も自分に厳しく、研究に邁進しています。

※記事の画像は本文内の個人・団体と無関係です。

構成・文/太田あや
1976年、石川県生まれ。ベネッセコーポレーションで進研ゼミの編集に携わった後、フリーランスライターに。教育分野を中心に執筆・講演活動を行っている。『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)などの「東大シリーズ」のほか、『超(スーパー)小学生』(小学館)、『東大合格生が小学生だったときのノート/ノートが書きたくなる6つの約束』(講談社)などの著書がある。

作・太田あや小学館本体1300円+税

有名進学校からの合格者が極端に多い東京大学。そんな東大に「東大非進学校」から合格した現役東大生11名にインタビュー。 高校の授業のカリキュラムや指導ノウハウが整っておらず、周囲に競い合う仲間やライバルもいない環境で、彼らはどのように東大合格を果たしたのか。 「模試で校内偏差値は114なのに東大はC判定」「東大受験を担任に反対された」などのエピソードを取り混ぜながら、 それぞれの勉強法や役に立った参考書や問題集、予備校の活用法、勉強に適した環境づくりなどの情報も網羅しています。

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