【中学受験】小2から塾通いも成績不振、絶えぬ親子バトル…。「これではマズイ」本人にスイッチが入ったきっかけとは?

何が起こるか、悲喜こもごも。さまざまなストーリーがある中学受験。HugKumでは、中学受験に取り組んだ親子6組にインタビュー。本音の体験談をお届けします。
現在、中堅私立中高一貫校に通うハナちゃん(中2/女子/仮名)が体験したのは、「小2スタート→後半追い上げ型の受験」でした。その4年間と中学受験で得たものについて、母(東京/T・Ⅿさん)が赤裸々に語ってくれました。

兄の影響ですんなり受験生活をスタート

兄の影響で塾通いをスタート

―中学受験のきっかけを教えてください。

 うちの娘は、上昇志向が強くて頑張るタイプ。ハッキリした性格で、ものおじせず、意見を言うタイプなので、さまざまな子どもたちが集まる地元公立中学では、周囲とぶつかることがあるかもしれないと思い、中学受験を決めました。

―お兄さんも中学受験をされていると伺いました。

 兄(高2)の影響は、大きかったですね。兄が塾に通う姿を見て、本人も小2から塾に通い、ごく自然に「今度は私の番だ」と思っていたみたいです。本人も納得しての中学受験生活がスタートしました。

―その時点で志望校は決まっていましたか?

 国立中学が第一志望で、併願校としては共学の私立を選択。親も娘も「女子校はないよね~」と、全く希望していませんでした。

―都立の中間一貫校は考えていましたか?

 都立の中高一貫校は倍率が読めないうえに、うちの子が苦手とする記述問題が中心なので、考えませんでした。

早くから塾に通うも、成績不振で親子ゲンカ

声を荒げて子どもを泣かせてしまったことも。

―塾通いは順調、親子ともに志望する学校の方向性も一致していて、良いスタートでしたね。

 当初は、すんなり中学受験のレールに乗れたかと思っていましたが

―2年生からの4年間の受験生活、やはり山あり谷あり、いろいろありましたか?

 早めのスタートを切ったおかげで、最初は本人にも親にも余裕がありました。ところが、4年生になって受験勉強が本格化してくる頃から、成績不振が続くようになりました。

―成績不振の時期は、どんな様子でしたか?

 娘は詰め込み型の勉強は向かないタイプなのに、宿題が多くて、とても全部こなせなくなりました。それでも、自分なりに勉強しているのに、成績が思うように上がらず、本人はイライラ。親のほうも「早くから塾に通っているのに、この成績なの!?」と不満を抱えたため、親子ゲンカになったこともあります。

―苦手科目があったのでしょうか?

 算数はそこそこ出来たけど、それ以外の教科は目も当てられない感じ(笑)。1教科だけどうしても苦手という教科はなかったものの、かといって、得意教科で点数をグッと伸ばすこともできない状態でした。模試を受けても、今回は、国語は出来たけど、その分、算数が沈んだということもあれば、その逆のケースも。過去問を解かせたときも余りの出来なさに、思わず感情的になって「これだけしか点が取れないの!」と声を荒げ、娘を泣かせてしまったこともありました(苦笑)。

―成績を巡る親子バトルは、いわゆる「受験あるある」ですね。

 娘の成績はずっと低空飛行。親の目から見ると、頭の回転は悪くないし、やればできるのに、なぜやらないんだろうとイライラしていました。でも、娘のほうは、おそらく、やり方が分かっていなかったのでしょうね。ここをこれだけ復習しておけば、確実に点につながるというところまでしっかり勉強できていなかったというか…。

―授業を聞いて理解することと、実際に試験で問題が解けることには、差がありますよね。どんな言葉がけをしましたか?

 「やれば、できるよ」と声をかけると、娘なりに勉強はするので、できるような気になるんですよね。それで、「今回は大丈夫!」と自信満々で模試を受けるのですが、そんなに簡単には成績が上がらず、撃沈…。「お母さんは『やればできる』って言ったけど、やったのに、できない!」とヒステリックになって、プイッと部屋にこもっちゃうことが続きました。

「このままではマズイ」本人にスイッチが入ったきっかけ

元の塾の友達のある言葉がきっかけになった。

―苦しい時期が続きましたね。

 受験後に気づいたのですが、娘は追い込まれないと本気が出せないタイプというか、やる気に火がついて初めて、成績が伸びるタイプでした。やはり、本人のやる気が一番大事なんだなと、後からつくづく思いました。

―ある程度、自我が確立され、自分で自分の将来を考えて挑む高校受験や大学受験と違って、中学受験では、子どものやる気に火をつけるのは難しいですよね。褒めて育てる方式を試みたことはありますか?

 「褒めて育てるといい」とはよく聞きますけど、うちの娘の場合、褒めるところがなくて…(苦笑)。模試の結果も、結局、娘を叱る材料になっていました。…どうしたらよかったのかな? 娘にしてみれば、お兄ちゃんと同じ塾に通っていたため、塾の先生にも成績優秀だったお兄ちゃんと常に比べられていたことにも、不満を募らせていたようです。親としても、無意識にお兄ちゃんのときと比べていたのかもしれません。

―どう対応しましたか?

 思い切って、4年生半ばに転塾しました。でも、迷走していた感じです。どういうタイプの塾や勉強の仕方が娘に合うのかわからなくて…。結局、1年ほどで本人の希望もあり、元の塾に復帰しました。

―そのきっかけは何でしたか?

 元の塾のお友達に「もう、ここまで進んでいるよ」言われると、本人なりに「このままではマズイ」と思ったらしく、自分から「戻りたい」と言い出しました。親としても、お兄ちゃんもお世話になった塾のほうが慣れているし、成績の評価の仕方なども分かっているので、元の塾への復帰に賛成しました。担任が算数の先生で、相性も良かったのか、算数が出来るようになり、好きな教科になったのは良かったと思います。

―中学受験では、カリキュラムの組み方や学習の進度、宿題の出し方などが違うため、転塾はリスクが伴うとされていますが、2度の転塾を経験されたのですね。

 転塾としては2回ですが、実は、受験1カ月前、もうホントに直前ですが、同じ塾の違う校舎に変わりました。

―なぜ違う校舎に変わったのですか?

 おかげさまで算数は力がついたのですが、他の教科が伸びないままだったのです。今振り返ってみると、本人が集中できる環境(塾での立ち位置)や先生との相性がやはり何よりも大切だったので、転塾して正解だったと思います。最後の最後で、理科や社会のラストスパートの頑張りがきいて成績が伸びたのも、最後にお世話になった塾のおかげだったと思います。

 コロナ禍での受験で大変だったこと

塾のお弁当は本人の好きなものだけを入れた。

―仕事と受験サポート、その上にコロナ禍が重なり、お母さんも毎日大変だったのではないですか?

 基本的に学習面は塾にお任せでした。特に、6年生の夏休みは、ほぼ毎日塾通い。朝、私が出勤前に作って冷蔵庫に入れておいたお弁当を持って塾へ通う毎日でした。

―お弁当で工夫したことはありますか?

 娘の好きなものを入れるようにしていました。でも、コロナが大流行していたときは、お弁当持参が禁止になり、持たせていいのは簡単に食べられる栄養補助食品(カロリーメイトなど)だけ。そのときは、栄養バランスが心配で、少しでも不足しがちな栄養を補えればと思い、小魚やナッツの入ったおやつを用意したりしました。

―コロナ禍で、学校見学はなかなか難しかったのではないでしょうか。

 ほとんど見学できませんでした。(コロナ流行前の)4年生のときに行っておけばよかったなと後悔しました。

―オンラインでの説明会は参加しましたか?

 もちろん、オンラインでの説明会に参加したり、インターネット上で情報収集したりしましたが、実際に足を運んで学校の雰囲気を知ったり、文化祭などの学校行事を見たりする機会がなかったのは本当に残念でした。正直、どこの学校がうちの子に向いているのか、十分に検討できないまま受験に突入したという感じです。

結果として、2/1~3日にかけて、志望校と併願校を決める最後の最後のスケジュール立てのときも、偏差値や受験日程だけを考えて、学校説明会に参加したこともなければ、見学もしていなかった学校を受けることになりました。

―秋以降、過去問のコピーも、親の出番ですね。

 国公立私立を問わず、どの学校を受けるにしても、過去問のコピーはとにかく大量です。我が家もコピー機を買いました。大きいサイズ(A3など)の問題や解答用紙などが実物大でコピーできるタイプです。というのも、お兄ちゃんのときは、深夜に眠気と闘いながらコンビニでコピーしていたのですが、それが働く母にとってはあまりにも辛い作業でしたから。受験のためにコピー機まで買うなんてと思わるかもしれませんが、これは良い買い物だったと思っています。

父親は塾の面談とスケジュール管理で活躍

塾の面談や受験スケジュールも父親が担当した

―お父さんの関わりはどうでしたか?

 もともと受験に賛成で、塾の面談にも積極的に参加していました。というか、私より夫のほうが熱心だったかも。パソコンで各学校の情報を得て私に教えてくれたり、受験のスケジュールをエクセルで組んでくれたり、とても熱心でした。

―塾の面談はお父さんも一緒に行ったのですね。

 塾も学校の面談も、いつも一緒に行って話を聞いてきました。どちらか一人が話を聞いた場合、どうしても都合のいい解釈をして相手に伝えたり、聞き漏らしがあったりするかもしれないと思ったので。情報共有のためにも、二人で行ったほうがいいと判断しました。学校の面談では、生活面の話は私がしますが、いざ受験のこととなると、夫が資料を作ってプレゼンし始めるということもありました。

―熱心ですね。スケジュール立てに関してもお父さん主導でしたか?

 もちろん(笑)夫が主導です。一月校、2月1日、2日、3日のスケジュールを組みました。最近の受験は、一般的にはインターネット上で前日の2359分まで出願できるため(※午後受験の場合は受験日当日まで申し込み可能な学校もある)、1月校の結果や、2/1~3の結果によって、受験、発表時間、入学金の納入のタイミングを考え合わせ、さらにまさかの展開をも考え合わせて、プランA、プランB、プランCなど用意してくれました。

本命前の1月校は祖父母の住む地方の学校を受験

飛行機に乗って地方受験へ

―1月校の受験結果はどうでしたか?

 最初に、地方の中高一貫校(寮完備の学校)を受験しました。母娘で成田から飛行機に乗って前日入り(前泊)して、受験しました。

―1月校受験として、飛行機で移動して地方校受験とは珍しいケースですね。首都圏の場合、千葉県や埼玉県の学校を1月校に選ぶことが多いようですが…。それほど魅力のある学校だったのですか?

 実は、私の実家がその学校の近くなんです。お兄ちゃんも1月校として受験しました。結果は〇(合格)。私の父母(娘の祖父母)は、孫が地元で有名な伝統校(進学校)に合格して、とても喜んでくれました。娘も褒められて、嬉しそうでした。親としても、直前のラストスパートで成績が伸びて合格につながったので、これなら本命校にも合格できるかも!?という期待が高まりました。

 

1月受験、幸先のよいスタートに喜んでいたハナちゃんとご家族。ところが、2月の本命校受験では思わぬ番狂わせが…。

後編に続く>>

文・構成/ひだいますみ

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