難病ALSと診断された2児の母・はらだまさこさんが子どもたちに残したい「母の味」と「美味しい記憶」。指が動かなくなっても、関節を使って、音声入力でスマホにレシピを書き続けて

2023年に難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたはらだまさこさん。2児の母でもあるまさこさんは、ALSの進行によって、少しずつ「できること」が失われていくなかで、子どもたちに残せるものは何かと考え、自身の大切なレシピを一冊の本にまとめることにしました。ご著書である『もしもキッチンに立てたなら』に込めた思いと、その背景にある暮らし、料理、家族への願いをうかがいました。 

容赦なく進む病気…「母の味」と「美味しい記憶」を子どもたちに残したいという思いで生まれた一冊

書籍『もしもキッチンに立てたなら』の著者は、福岡県で喫茶店を営むはらだまさこさん(以下まさこさん)。4歳と12歳の子の母でもあるまさこさんは、2023年6月に国の指定難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」と診断されます。ALSは全身の筋肉や呼吸に必要な筋肉が徐々にやせ、段階的に力を失っていく病気で、現在まさこさんは、肩から下はほとんど思うように動かすことができず、自分で食事をとることや、スマホを操作することも難しくなっているといいます。

『もしもキッチンに立てたなら』著者のはらだまさこさん

もともとアクティブだったというまさこさんですが、ALSになってからは知人に心配されたり、以前と変わった姿を見られることに戸惑いを感じ、次第に外に出る機会も減っていったそう。しかし、「母親として、私は何ができるんだろう」「子どもたちに、何を残せるんだろう」と考えたとき、「レシピ本を残したい」という思いが湧いてきたのだといいます。

「食べること、料理することが何よりも好き」2018年には喫茶店をオープン

もともと食べることも、料理することも大好きだったというまさこさん。親戚や友人が食卓を囲むことの多い家庭で育ち、中学生になったころからはお菓子づくりにのめり込み、高校生になると地元の喫茶店でアルバイトを始めたのだとか。東京での一人暮らしを経て結婚。そして出産後は、生後間もない長男タカラくんを連れて2年間さまざまな国を旅行し、2018年にご夫婦で喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープンさせます。

喫茶店「Sounds Food Sounds Good」の前で

喫茶店のコンセプトはとにかく「美味しい」と感じるもの、安全だと信じられるものを提供するということ。子どものころから親しんできた「祖母の味」だというフライドポテトや、中学時代の友人のレシピがもとになったチーズケーキ、旅先で出合ったスイーツなどがメニューに並びました。なかでも「鉄板ナポリタン」は、お客さんの10人中7人が注文するという看板メニュー。まさこさんの地元・愛知県豊橋市ではよく知られる料理ですが、「Sounds Food Sounds Good」では赤ウインナーの代わりにベーコンを使い、市販のケチャップは、手づくりのトマトソースにアレンジ。パスタは、国内で手に入る中でもっとも太い麺を、茹でたあと半日ほど寝かせて、もっちり感を引き出すというこだわりの一皿に。仕上げには2種類のチーズをたっぷりとかけます。

お店の看板メニューの「鉄板ナポリタン」

まさこさんは喫茶店を通して、さまざまな人と出会い、「安心していられる場所」を見つけたと感じたそうです。

「自分の料理が食べたい、家族にも食べさせたい」という思いでスマホに綴った数々のレシピ

ALSの病状が進み、少し前までできていたことが、だんだんできなくなるという日々を過ごす中で、一番つらかったのが「キッチンに立てなくなったこと」だったといいます。2023年8月には喫茶店で料理をすることができなくなり、しばらくすると家のキッチンで料理することも諦めざるをえなくなりました。しかし、そんななかでも「やっぱり自分の料理が食べたい、家族にも食べさせたい」という思いで、スマホにレシピを書き込むようになったまさこさん。

「このお弁当を作ってあげたい」「このスイーツを食べさせたい」そんな思いを原動力に、指が動かなくなっても、声が出にくくなっても、レシピを書き続けたそうです。書籍『もしもキッチンに立てたなら』はエッセイだけでなく、喫茶店の大人気メニュー「鉄板ナポリタン」や「子どもたちにいつか作ってあげたいお弁当」など、まさこさんが大切にしているレシピ17品も掲載されています。

『もしもキッチンに立てたなら』は、叶えられない願いではなく、これからも前を向いて生きていくためのことば

――ここからは、著者のはらだまさこさんにインタビューさせていただきます。まず、『もしもキッチンに立てたなら』を一冊の本として形にしようと思われたきっかけを教えてください。


まさこさん:もともと料理が大好きで、家族の健康を考えながら台所に立つ時間や、喫茶店で自分の料理を喜んでもらえることが、私にとって大きな喜びでした。ところが、病気によって台所に立つことも、お店で料理を作ることもできなくなり、生きる気力さえ失いかけてしまいました。台所に立てなくなったことは、生きがいを奪われたように感じられたのです。そんなとき、ふとレシピをスマートフォンに書き留めてみようと思いつきました。私が書いたレシピをもとに、ヘルパーさんや家族、友人が料理を再現してくれ、それが美味しくできあがったとき、言葉では表せないほどの喜びが湧き上がりました。

本制作のためスタッフとレシピを再現し、確認するまさこさん

このレシピを一冊の本にまとめれば、いつか子どもたちが作ってくれるかもしれない。そう思うようになりました。そして、できないことが増えていく中でもレシピを考えることが、どこかで誰かの希望につながるのであれば——そんな思いが、本という形にしようと決意したきっかけです。

――タイトルの『もしもキッチンに立てたなら』にはどんな思いが込められていますか?

まさこさん:もしも、もう一度キッチンに立てる日が来たなら——。
そのとき最初に、二人の子どもに私らしいとっておきのごはんを作ってあげたい。そんな思いを、このタイトルに込めました。料理は、おなかを満たすだけでなく、誰かの心を温めるものだと思っています。体が不自由になった今も、その思いは変わりません。料理を通して、そんな小さなぬくもりを届けられたらと思っています。

左は「娘に食べさせたいピクニック弁当」、右は「息子に作りたいぎっしり弁当」

同時に、支えられて生きていることのありがたさへの気づきと、どんな状況にあっても前を向く自分でいたいという思いもあります。『もしもキッチンに立てたなら』は、叶えられない願いではなく、これからも前を向いて生きていくためのことばです。

――まさこさんのお料理のレシピのポイントやこだわりを教えてください。

まさこさん:食べたものは、そのまま身体をつくるものだと思っています。ですから、できるだけ身体によい調味料を使い、地元の食材や旬のものを選ぶことを大切にしています。

特別なことをしているわけではなく、自分が食べて美味しいと思うものを作っているだけなのですが、子どものころの記憶や、これまで世界各地で食べ歩いた経験も、レシピのヒントになっているのではないかと思います。

――本の制作は大変な点も多かったと思いますが、振り返ってみて印象に残っていることはありますか?

まさこさん:「本を作りたい」と強く思ったのは、2024年12月のことでした。すぐに出版社と親交のある友人に相談しましたが、無名の私の本を出してくださる出版社はなかなか見つからず、決まるまでに半年ほどかかりました。その間にも病気は進み、だんだん指が動かなくなっていきました。最初は指でスマートフォンに入力していましたが、やがて指の関節を使い、それも難しくなると音声入力で書き続けました。
あとがきを書くころには声も出づらくなり、思うように書けない歯がゆさや悔しさを感じたこともあります。最終稿直前で、肺炎で入院してしまい、身体の変化が確実に進んでいることを受け入れざるをえませんでした。

それでも、たくさんの方々に支えられて出版までたどり着けたことに、言葉に尽くせないほど感謝しています。この本が、どこかで誰かの暮らしの一部になれたら幸せです。

――ありがとうございました。まさこさんは、お子さんと一緒にご飯を食べる時間をとても大切にしているそう。下のお子さんは、まだ4歳なので寝かしつけをする時間もとても愛おしいといいます。難病によってできないことが増えていくなかでも笑顔を忘れず、前を向いて生きることを決めたまさこさん。

『もしもキッチンに立てたなら』は、心の中にある食卓の記憶を呼び起こすとともに、誰かのために料理をすることの大切さに気づかせてくれる一冊です。

はらだまさこ 徳間書店 1,870円(税込)

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完治は難しいとわかっているけれど、
私は希望を捨てない

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4才と13才の子の母であり、シェフのまさこさん。
数年前、難病ALSだと診断を受けました。

治療法が確立されていない進行性の病気です。発症してすでに3年以上が経っています。


「子どもたちに”母の味”を残したい」


病と向き合う著者がそんな願いを胸に綴った、料理が好きな人や、家族を大切に思うすべての人に届けたい胸に深く響くエッセイ&レシピ集です。

お話をうかがったのは

はらだまさこさん

1981年、喫茶店文化の街・愛知県豊橋市に生まれる。
カフェオーナーの賢介さんと結婚後、出産を機に、家族で日本と海外を行き来する「暮らすように旅する」生活を送る。各地で出合った料理と食文化に影響を受け、2018年、福岡にオーガニック喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープン。

2021年、長女を出産後、足に違和感を覚え、2023年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。
失意のなか、自然治癒の症例があることを知り、わずかな希望に光を見いだして生きることを決意。
子どもたちに自分の味と記憶を残したいと、不自由な手でレシピを書き始める。

2025年7月より、〈天然生活ウェブ〉にて連載を開始。

構成・文/平丸真梨子

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