小児1型糖尿病の患者から医師の道へ。「インスリンを打てば普通に生活できる」と教えてくれた医師と出会い、専門医を目指すように

糖尿病内科「eatLIFEクリニック」(神奈川県横浜市)の院長を務める、内科・糖尿病専門医・市原由美江先生。市原先生は、11歳(小学6年生)のとき小学校の健康診断をきっかけに、小児1型糖尿病と診断されました。1型糖尿病の主な原因は自己免疫の異常です。市原由美江先生に、小児1型糖尿病と診断されて生活が一変したことや、糖尿病専門医をめざした理由などについてうかがいました。全2回のインタビューの後編です。

2週間の入院中、インスリン注射の打ち方などを教わった

――11歳で小児1型糖尿病とわかり、すぐに入院されたとのことですが、どのぐらい入院されたのでしょうか。

市原先生 2週間ぐらいの入院でした。入院中は、インスリン注射の打ち方や血糖値の測り方を学び、母と一緒に運動や食事の指導を受けました。

退院した日、母に「何が食べたい?」と聞かれて、私は血糖値が上がらないように「焼きなす」と答えたそうです。健気ですよね(笑)。

インスリン注射を打たなければ、命の危険

――子どもでも、自分でインスリン注射を打つのでしょうか。当時の先生は、自分で注射を打つことを怖いと思ったりしませんでしたか。

市原先生 1型糖尿病は、膵臓からインスリン(ホルモンの1種)がほとんど出なくなるため、血糖値を下げるためにインスリンを補うことが必要です。インスリン注射を打たなければ、深刻な合併症を発症して命の危険もありますので、子どもでも注射を自分で打てるように練習します。

インスリン注射はお腹や上腕、太ももなどに打ちますが、私は太ももに打っていました。小学生の頃から医師に憧れていて、「注射を打つってかっこいい!」と思ったので、怖くはありませんでしたね。注射を嫌がらなかったので、母も父も安心したようです。

栄養バランスがとれた食事が基本。量が少なくてつらかったことも

――病院で受けた、運動と食事の指導とはどのような内容でしょうか。

市原先生 血糖値をコントロールしながら、食事に気をつけないといけないのですが、基本は栄養バランスがとれたメニューです。

現代の糖尿病治療は、自分が摂取した糖の量に合わせて、インスリンを打つのが一般的ですが、当時は、医師が決めたインスリンの量に合わせて、食事を調整していました。

母は、いも・かぼちゃなど糖質の多い食材を控えたり、おやつは砂糖を控えるために手作りにするなど工夫しながら、私が喜ぶメニューを作ってくれました。

でも、育ち盛りの子どもからすると量が少なくて…。子どもにとっては、好きなものを好きなだけ食べられないのはつらいことです。運動も重要ですので、夕食後は家の近所を走っていました。母が自転車で走りながら、付き合ってくれましたね。

特別視されたくないから、友だちには病気のことは伝えなかった

――友だちには、小児1型糖尿病のことは伝えましたか。

市原先生 私は、誰にも言いませんでした。特別視されるのが嫌で…。

中学3年生で修学旅行に行ったときも、みんなにわからないようにトイレに入ってインスリン注射を打っていました。その頃は、注射を打つのも慣れていたので手際がよく、まわりの友だちはみんな気づきませんでした。

友達には病気のことは話していたなったという中学生時代。 写真:市原先生ご提供

体育のときは、低血糖にならないようにそっと飴を食べた

――まわりの友だちにも病気のことは告げなかったとのことですが、学校ではどのようなことに注意していましたか。

市原先生 インスリンを打っているので、運動するとどうしても血糖値が下がりすぎてしまうんです。放っておくとふらついたり、倒れてしまうので、体育などで運動したときは、友だちにわからないようにハンカチで隠して飴を口に入れたりしていました。

また、母が甘い紅茶を水筒に入れて持たせてくれていました。水筒は、みんな学校に持ってきていたので、ごく自然に糖分を補給できました。

病気を受け入れられたのは、大学生になってから

――自分の病気を受け入れられたのはいつごろでしょうか。

市原先生 1型糖尿病は、現代の医療では完治できない病気です。子どもの頃、母と散歩していたら、きれいな葉っぱが落ちていたんです。子ども心に「この葉っぱを持っていたらきっと治る!」と思って、大切に持ち帰りました。完治できないことを、どこかでずっと受け入れられなかったんですね。

私が、自分の病気を本当に受け入れられたのは大学生になってからです。大学生のときに糖尿病をもつ子どもを対象にしたキャンプに、ボランティアとして参加したんです。キャンプでは、子どもたちと山登りをして、低血糖になる前に補食をして糖分を補うことを教えたりします。

キャンプを通して、子どもたちは糖尿病との付き合い方を身につけて行きます。1週間のキャンプで子どもたちが病気と向き合う姿を見ているうちに、私も自分の病を受け入れていったように思います。

キャンプに参加した患者さんと一緒に。 写真:市原先生ご提供

主治医との出会いや父の言葉をきっかけに、医師を目指すように

――医師になろうと思った理由を教えてください。

市原先生 小児1型糖尿病とわかり入院していたとき、主治医の女性はとてもかっこいい人でした。主治医は、病室でパジャマで過ごしている私を見て「糖尿病はインスリンを打っていれば、普通の生活ができるから、パジャマを脱いで洋服に着替えなさい」と言われたんです。

その頃は「病気になってしまった…」「この先、どうしたらいいの?」と、悶々と悩んでいたときでした。でも、主治医の言葉で「普通の生活ができるんだ!」と前向きになれたんです。そしていつしか、私も患者さんを励ませる、主治医のような医師になりたいと思うようになりました。

もう1つは父の言葉です。病気を診断されたとき、父が「自分で自分の体を診られるように、医師になれば?」と言ってくれたんです。私も同じように考えていたので、親には伝わるのですかね。父の言葉もまた、私の背中を押してくれました。

健康な子どもと同じように、やりたいことや夢を応援してあげて!

――最後に、糖尿病と闘う子どもとそのご家族にメッセージをお願いします。

市原先生 私自身は、11歳で小児1型糖尿病と診断されたとき、本当にショックで悲しくて、ふさぎ込んでいました。もし私と同じような思いをしている子どもがいたら「インスリンを打っていれば、普通の生活ができるから大丈夫! 悲観せず、あきらめないで!」と声をかけたいです。

また、お子さんが糖尿病と診断されると、食事や運動の管理をお母さん・お父さんがすべて行うご家庭も多いと思います。しかし、将来自立したときのことを考えると、少しずつ親子で献立を考えたり、血糖コントロールを一緒に考えていただくと良いと思います。

そして健康な子どもと同じように、やりたいことや夢を全力で応援してあげてください。

――前編では、11歳の頃に最初に感じた体の違和感や、1型・2型糖尿病の違いについてお話いただきました。

11歳で小児1型糖尿病と診断された、糖尿病専門医・市原由美江先生。最初に感じた違和感は、とにかく喉が渇くことだった
1型糖尿病は若年に多く、年間約10万人に2人程度が発症 ――市原先生が小児1型糖尿病と診断されたのは11歳とのことですが、そもそも1...

お話を聞いたのは

市原由美江 医学博士

医学博士。日本糖尿病学会専門医。日本糖尿病協会療養指導医。山口大学医学部医学科卒業。東京女子医科大学糖尿病センター、横浜鶴ヶ峰病院付属予防医療クリニックを経て、2024年、神奈川県横浜市にeatLIFEクリニック開業。院長を務める。自身の経験から、1型糖尿病の正しい知識の普及・啓発のためにテレビやラジオなどに出演。著書は「血糖値を自力で下げるやり方大全」(フォレスト出版)。

この記事を書いたのは

麻生珠恵 ライター

子育てや子どもの病気、事故を中心に取材・執筆を行う。情報発信によって、病気の予防・早期発見、事故予防につながる記事作りを心がけています。2 人の子どもがいます。

撮影/五十嵐美弥

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