発達障害がある子は、不登校になりやすいと言われます。不登校にならないためにはどうしたらいいのでしょうか?そして、もし子供が不登校になってしまったら、親はどのような対応をしたらいいのでしょうか? 「15歳のコーヒー焙煎士」として話題の岩野響さんのケースを参考に、児童精神科医の星野仁彦先生にアドバイスをいただきました。
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不登校で来院してくる子供の7,8割に発達障害の兆候が
私のところには、不登校になったお子さんたちが全国からやってきます。たまたまの本を読んで、子供の発達障害を疑い、来院してくるケースがほとんど。診察すると、その7、8割に発達障害がみられます。発達障害と不登校には密接な関係性があります。
最近でこそ、3歳児健診などの乳幼児健診での早期発見、そこからの早期療育につながるケースが増えていますが、幼少期のうちに発達障害だと気づいてもらえることは難しいのも現実です。すると、幼児期から学齢期にかけて「ダメな子」「できない子」と叱責を受け続けることになります。
発達障害の子は、小学校中学年ころから集団生活が困難に
知的な能力が高いことが多いアスペルガー症候群の子は、成績がよいことで一目おかれてなんとかなることもありますが、不注意優勢型のADHDの子やLD(学習障害)の子は、小学校中学年ころから勉強が難しくなりついていけなくなるケースも増えます。また、部活やクラブ活動などでの人間関係がうまくいかなくて、不登校になるケースが多く見られます。
いったん不登校になると、残念ながら学校には戻りにくくなります。3日休むだけでも赤信号、1週間行かなかったら、もう戻るのは難しくなります。だからこそ、不登校になる前の早期発見、早期ケアが大切なのです。
発達障害の子供が不登校になる最初のハードルは中学生
中学校の生活は、発達障害のお子さんにとって大きなハードルです。小学校まではクラス担任制なので、担任の理解があればなんとかなりますが、中学は教科ごとに先生が変わるので、担任に理解があっても、他の教師に叱責されたりして、うまくいかなくなるケースが増えます。
コーヒー焙煎士の岩野響さんも、中学校入学後に不登校に
また、思春期に入ったクラスメイトから、いじめの標的にもなりやすくなります。学校はいじめや不登校、非行など、問題が起きてからでないと動いてくれません。だけど、不登校になってしまってからでは、残念ながらもう遅いのです。
コーヒー焙煎士の岩野響さんも、中学校に入学してしばらくして学校に行けなくなり不登校になりました。
発達障害の子が不登校になった場合の対応は?
無理に学校に行かせようとしないことが大事
一般的に学校に行かなくなると、親も教師もなんとかして子供を学校へ戻そうとします。そして、
「なんで学校に行かないの?」
「勉強が遅れるよ」
「このままだと高校へいけなくなるよ」などとプレッシャーをかけて、子供を追い詰めてしまいます。
発達障害がある子供たちは、不登校になった段階で、すでに自己評価が低くなっています。そこに親や教師などからネガティブな評価を受けると、ますます劣等感が強くなり、うつの症状も現れ、ますます部屋に引きこもるというケースも少なくありません。
不登校の子供は、二次障害の合併症を併せ持つことが多い
中学生から不登校になると、ほとんどの子が二次障害として、ゲーム・インターネット中毒や依存、睡眠覚醒リズムの逆転(昼夜逆転)、感情の不安定(不機嫌、イライラ、気分の低下、うつ状態など)の合併症を併せ持つようになります。二次障害から抜け出すには、大変な苦労を伴います。
16歳のコーヒー焙煎士、岩野響さんが自立できた理由
最近、テレビや雑誌などで話題になっている、「15歳のコーヒー焙煎士」の岩野響くんの例でお話ししましょう。私は彼の著書『15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ』の解説をさせていただいたご縁で、岩野響さんのご両親の対応などを知りました。響さんは小学校中学年で発達障害の診断を受け、中学校で不登校になりました。
この時、響さんのご両親は「学校で輝く場所がないなら、家の中でできることをやって、自信を取り戻させたい」と気づき、家事を手伝ってもらい、家業の仕事を手伝ってもらい、仕事の現場にも連れて行ったそうです。その結果、響さんは昼夜逆転や、ゲーム依存などの二次障害を起こすことがありませんでした。
働くご両親のために、朝コーヒーをいれるのも、不登校のころから続けている響さんの習慣です。
学校に行くことだけが人生ではない
多くの親御さんにとって、子供が学校に行かないのは受け入れがたい現実で、なんとか学校へ戻そうとしてしまいますが、響さんのご両親が「学校に行かなくてもよし」としたことは素晴らしいです。響さんは家事を手伝うなかで、料理が楽しくなり、スパイスの研究にはまり、カレーの隠し味に入れたコーヒーにはまり、さらにコーヒー焙煎の世界にのめり込んでいきます。
響さんは幼い頃から鋭い嗅覚と味覚を持っていたそうですが、その才能も幸いしたというわけです。「学校に行かなくていいよ」と響さんを受け入れた両親は、彼が好きなことをとことんやらせて、それを仕事にできました。
焙煎機は地元のコーヒー焙煎士の先輩が、響さんを応援したいということで安価で譲ってくださったそうです。
好きなことを伸ばし、苦手を無理強いしないで
岩野さん家のストーリーには、さまざまないいことが奇跡的に重なっていますが、不登校になったお子さんと向き合う時のヒントがいっぱいあると思います。保護者が自営業で、一緒に家にいられたというのは大きいかもしれませんが、大切なのは、子供の好きなことを伸ばし、苦手なことを無理強いしないということです。
もし、勉強につまずいていたのであれば、家で勉強を無理強いするより好きなことを伸ばしたほうがよいでしょう。実は勉強は好きだったんだけど、友人や先生との人間関係につまずいていたのであれば、自由に学習、研究ができる環境を見つけてあげて、好きな勉強ができるようにする方法もあります。学校にいることだけがベストではないということです。
そのことに気づいてあげるだけでも、お子さんはずいぶんと生きやすく、自分の人生を楽しめるようになるでしょう。
岩野響くんのストーリーに関してもっと知りたい方は
『15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ』へ
お話を伺ったのは
星野仁彦先生
児童精神科医。福島学院大学副学長。医学博士。1947年、福島県会津若松市に生まれる。福島県立医科大学医学部卒業後、米イェール大学留学、福島県立医科大学助教授を経て、現在に至る。これまで一貫して発達障害や不登校などの研究・臨床に従事する。おもな著書に「発達障害に気づかない大人たち」(祥伝社新書)、「発達障害を見過ごされる子ども、認めない親」(幻冬舎新書)「発達障害に気づかない母親たち」(PHP研究所)などがある。
取材・文/江頭恵子