「葉っぱ切り絵アート」が大注目!発達障害・ADHDのリトさんが作品作りにたどり着くまで

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葉っぱ切り絵アートが話題を集める「リト@葉っぱ切り絵」さん(以下、リトさん)。インスタグラムのフォロワーは約24万人、2021年5月に発行した初の作品集『葉っぱ切り絵コレクション いつでも君のそばにいる 小さなちいさな優しい世界』(講談社/1300円 税別)は、発行からわずか3カ月で6万部を発行し、増刷を続ける大ヒットになっています。

独自の世界観が見る者を魅了する「葉っぱ切り絵アート」

1枚の葉っぱの中に納められている、小さな夢のある作品たちは、ひと目見ると「わぁ、ステキ!」「かわいい〜!」と、声をあげてしまう新鮮な驚きがあります。身近にある葉っぱに繰り広げられる、これまで見たことがなかった世界の作品たちは、まさに他にはないリトさんだけのアート。

そんな独自の世界観を発信し続けるリトさんは、大人になって発達障害のひとつであるADHDの診断を受けました。リトさんはどんなお子さんだったのか、診断に至るまでにはどんな経緯があったのか、ADHDの特性を活かして、葉っぱ切り絵アーティストになるまでを伺いました。

「森の演奏会」~『いつでも君のそばにいる』より

 

運動が苦手で靴紐も結べない。正解のない図工が好きだった小学生時代

 子ども時代の僕はいわゆる普通の子、大人しくて外で遊ぶより家の中が好きで、弟とごっこ遊びやゲームをして遊んでいました。得意科目は文系に偏っていて理系は苦手。一番嫌いだったのは体育で、ボールも満足に投げられず、ドッジボールは逃げるだけ、野球もサッカーも嫌いでした。

靴紐は大人になってようやく結べるようになりましたが、子どもの頃はずっと親に結んでもらっていました。好きだったのは図工。勉強には答えがあるけれど、図工は何を作ってもよくて正解がないのが好きで、何を作ろうかなと考えるのが楽しかった。だけど僕は筆圧が強すぎて、さらさらとデッサンすることができません。中学生くらいになって、どうしても漫画っぽい絵しか書けないと気づき、ほとんど絵を描かなくなってしまいました。

 

気になるものがどんどん移り変わっていくことが、「不注意」とみられる原因に

 大人になってADHDと診断されましたが、僕はじっとできない多動なところはなくて、どちらかというと不注意なタイプでした。

子どもの頃は意識していませんでしたが、大人になって気付いたのが、YouTubeの関連動画が次から次へ流れるように、どんどん気になるものが移り変わっていくのです。例えば、人に注意をされているときも、最初の1、2分は話を聞いているけれど、だんだん気が削がれて、その人の服のボタンを見ていて、その色からテレビの番組を思い出したりして、集中が別に移り、生返事になってしまい、さらに怒られてしまうのです。授業中はぼんやりして先生の話もあまり聞いてなくて、計画的に勉強するのも苦手で、テスト前に徹夜で勉強して点数をとっていました。

 

高校・大学はゲームの世界に没頭。好きなものにはのめり込む傾向はこのころ自覚

 中学では何か部活に入らないといけなくて、上下関係が厳しいとか、朝練があるのとかは嫌だったので、ゆるくできそうな卓球部に入りました。高校と大学は部活には入らず、友達とずっとゲームをしていました。大学に入ってゲームセンターに行き始め、オンライン通信ゲームにハマり、車一台買えるくらい分くらいお金を注ぎ込みました。友達が帰ったあとも、ひとりで残ってやり続け、最終的にはそのゲームの最上ランクまでたどり着きました。好きなものにはのめり込むという傾向は、この頃にもあったのだと思います。

取材時に持参してくださった作品。間近で見ると、メルヘンタッチの画風が、如何に繊細な技術で作られているかがよくわかる。

 

不適応が増えて転職を繰り返したサラリーマン時代に「ADHD」を知る

ネットサーフィンをしていて知った「発達障害」。「これは自分の事だ!と思って病院に行ったんです。診断を受けて苦しさから解放されました」

 

大学卒業後に就職したのは、学生時代にバイトしていた寿司屋でした。中で仕込みをして、店頭の人手が足りない時は販売もしましたが、在庫を確認しながら不足分を仕込むなど臨機応変な対応が難しく、仕事の優先順位をつけるのが苦手でした。だけど、若くて愛嬌があったので、ミスをしても許してもらえました。なんだかんだで7年間勤めましたが、回転寿司部門に異動になり、ますます臨機応変さが求められる現場で、一気にパニックになり退職しました。その後、転職した和菓子屋では年齢的に店長候補で採用されました。

経営のことなどを教えてもらい、自分なりに頑張っているんだけど、上手くいかないことが多くて叱られてばかり。その頃にはじめて「なぜかわからないけど、うまくいかない人」と、ネットで調べて「発達障害」にたどり着きました。そこにあったチェック項目の1から10まで全ての項目に当てはまり、「これだ!」と確信しました。

 

「自分のせいじゃなかった」と肩の荷がおろせてほっとするが、仕事がない!

 さっそく病院で検査をしてもらいADHDの診断を受け、障害者手帳(精神障害者福祉手帳)も取得しました。診断されて腑に落ちたのと同時に、肩の荷をおろせた気がしました。

「生まれた時から脳に欠陥があったのなら、できるわけないじゃん」

「むしろ、頑張っていたじゃん、俺」

「よかった。俺のせいじゃなかった」

と、気が楽になりました。さっそく診断を理由に仕事をやめ、障害者雇用の道を目指しました。それまでみたいに、できないことを隠して、ヘラヘラ笑って謝りながら仕事をするのではなく、自分のことをさらけ出して雇ってくれる会社で働きたいと思ったのです。しかし、障害者雇用してくれる会社の求人数の少なさに絶望。ハローワークで普通に検索すると何千件も仕事はあるのに、自分の条件を入れるとヒットしたのはたったの3件。「俺の人生、この3択なのか」と思うと馬鹿らしくなり、ハローワークに行くのもやめました。そこで、はじめてサラリーマン以外の働き方を探りはじめたのです。

Twitterで発達障害についての情報発信を始めるも…

自分が何者かにならないと、いくらいい情報を発信しても届かないことに気がついて…

 

インスタグラマーやユーチューバーなど、SNSを活用して何か仕事ができないか?と考え始め、手始めにツイッターで発達障害のことを発信することにしました。専門書を読んで勉強し、悩みを発信するだけではなく、うまくいかないことにはこんな理由があり、そんな時はこうしたらいいよと、読んだ人に役に立つ情報を届けたくて1日1ツイートを目標に続けていました。

そんな頃、「SEKAI NO OWARI」Fukaseさんが、自身がADHDであることをツイートしたのです。すると瞬く間に何万もの「いいね!」がつき、「Fukaseさんの一言で勇気づけられました」などのコメントが集まったのです。それを見た僕は打ちひしがれました。どんなに勉強して、いい発信をしても、反応は増えない。やはり誰が言うのかが大事で、まずは自分が何者かになり、背中を見せないとダメなのだと気づいたのです。

そこから、葉っぱ切り絵にたどり着くまでには、さらなる紆余曲折がありました。

(後編に続く)

 

『いつでも君のそばにいる~小さなちいさな優しい世界』講談社

教えてくれたのは

葉っぱ切り絵アーティスト
リト@葉っぱ切り絵

自身のADHDによる偏った集中力やこだわりを前向きに生かすために、2020年より葉っぱ切り絵を独学でスタート。TwitterとInstagramに毎日のように投稿すると、たちまち注目があつまり、その作品はテレビや新聞などのメディアで次々と紹介されるようになり、その人気は海外にも広がっている。2021年5月に初の作品集『いつでも君のそばにいる 小さなちいさな優しい世界』(講談社)を刊行。

Instagram @lito_leafart 

Twitter   @lito_leafart

取材・構成/江頭恵子 写真(リトさん)/五十嵐美弥

 

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