【あらすじ】都会の古民家で寄り添って暮らす、山田珠子(加賀まりこ)と、自閉症のある息子、忠さん(塚地武雅)。50歳の誕生日を迎えた忠さんがぎっくり腰で倒れたのを機に、珠子は忠さんをグループホームに入れることを決意。しかし慣れない環境に戸惑う忠さんはグループホームを抜け出してしまいます。
目次
自閉症が身近だった加賀まりこさんあっての親子像です
--70代の母と50代の障害のある息子の親子関係が、あたたかくとても自然に描かれていました。
ありがとうございます。加賀まりこさんの演技によるところが大きいと感じています。加賀さんの佇まいで、塚地さんもどう振る舞っていいのかをつかんでいたのかなと。塚地さんは、最初、忠さん像をどう固めていくか悩んで不安だったようです。でも、加賀さんがそばにいることでリアルに演じることができました。加賀さんは、自閉症の人との接し方を自然と心得ているところがあって、あの映画は、加賀さんあっての塚地さんです。
--息子のありようが母親によって決まる点も、本当の親子のようですね。
加賀さんのパートナーのお子さんが自閉症なんです。加賀さんに映画の出演をお願いしたところ、やけに自閉症に詳しかったので、身近にいるのかなとは思っていましたが、まさかそんなに身近だったとは。それを知ったのが撮影に入る1週間前です。
--自閉症の子が身近にいるから加賀さんを抜擢したわけではなかったのですね。
はい。映画化にあたって、障害のある子のお母さんたちをかなり取材しました。お目にかかったお母さんたちは、サバサバして頭の回転の速い人という印象がすごくあって、加賀まりこさんがそのイメージにピッタリだったんです。それで、是非出ていただきたいと思いお願いしました。
人の悩みを聞いても、自分の悩みは打ち明けられない
--珠子は、障害のある子を育てながら占い師として生計を立ていますが、占い師という設定は意外でした。
加賀さんの元には悩める女性が集まるイメージもありました。昔、僕が観ていた「恋のから騒ぎ」というテレビ番組で、若い女性たちにズバズバと指南していて、その姿が占い師のように見えていたんです。
--映画でも、占い師をしながら人生相談もしていましたね。
これは、僕の体験からきています。僕にはてんかんの持病があって、患者さんの親御さん同士のつながりをみてきました。その中に、いつも電話相談を受けている方がいたんです。僕が親しくしている方ですが、ご自分の体験を話しながら親御さんの相談にのっていました。その方は、人の悩みを聞きながら自分の過去と向き合っていましたが、周囲との確執によって孤立しているようでした。彼女の心の奥底にある悩みは誰が聞くのだろうと思うこともありました。
珠子さんも、人の相談にはのるけど、自分の悩みは話せない。ああいう性格なので、だれとでも仲良くなれるわけではありません。珠子さんは、僕が出会った人生相談をしている親御さんをダブらせています。
現実を見つめるために、グループホームに反対する人の背景も描きたかった
--グループホーム内の細かいところまで描かれていますが、かなり取材されたんですか?
はい。最初のうちは、忠さんがグループホームに入れるようになって、ハッピーエンドで終わるのかなと考えていました。でも、ある親御さんに「(グループホームに)入れているけれど、ついの住処とは考えていない」と言われました。1軒目のグループホームを退去して、2軒目に入れているけど不安だという話も聞きました。
グループホームの中でも利用者同士で、いろいろな問題が起きることは、実際に聞いてわかったことです。
「和島さんだって、知らない人とトイレや風呂を使うのはどうですか?」と、ある親御さんに聞かれて、それはそうだよなあと。映画では、そこもきちんと描かないといけないと思いましたね。
--グループホームに反対する地域住民を見ると、障害のある人が自立して地域で暮らす難しさを感じます。
それが、この映画を撮ったきっかけでもあります。以前、ひとり暮らしの自閉症の男性のドキュメンタリー映画の編集をしたことがありました。男性の日常を描いているので、地域の人も写るのが自然です。でも、カメラは近隣の人を避けて撮影していたので、違和感があって、監督に聞いてみました。すると、近所の人からは映画には取り入れられないような、男性の行動に対する苦情が届いていたそうです。僕らには、とても優しくて温厚な自閉症の男性でしたが、近所の人には必ずしもそうは見えていなかったのです。
近所の人が、不安に感じる出来事が起きているなら、その視点も映画に取り入れないと、彼の現実が見えてきません。そこで住民の方たちに取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。
--「苦情を申し立てる人間」として映画に登場するのは、たしかに抵抗はあるかもしれませんね。
近隣の人の本音を映画で公開してしまうと、その人たちは「障害者を排除する人」「差別主義者」として、責められるリスクを追うことになります。ドキュメンタリーで近隣の人を追うのは難しいと感じました。でも、劇映画という形なら近隣の人たちを登場させることができます。あのドキュメンタリーでは踏み込めなかったたことを、この映画で描こうと思ったのです。
大人たちは、自分たちの行動が子どもの目にどう映っているかを考えてほしい
--グループホームと地域住民が共存するために何が必要と思われますか?
難しいですよね、僕はずっとそれを考えてきました。対立してしまうと、お互いに一方的に相手が悪いと考えてしまいます。もちろん、反対する住民のなかには、許容できない言葉を吐く人たちもいます。でも、地域で暮らしてきた人たちには、そこで生きてきた背景があります。ニュースなどに映し出される反対運動をしている人たちは、反対を叫んでいるところだけが切り取られてしまって悪者扱いされるんですよね。
--幟(のぼり)を立ててハンドマイクで叫んでいる姿は、絵になってわかりやすいですよね。
そうなんです。僕はそこが引っかかっていて違和感がありました。反対運動をしている人たちは、身近などこにでもいる人だと思うんです。その人たちがどういう日常を過ごしているのか、どんな譲れない事情を抱えているのか。お互いの背景が見えるように描きたいと思いました。
--障害を知らないと、どうしても警戒してしまいます。
グループホームを開設する時は、説明会を実施していると思います。でも、もう少し開かれた場所でお互いを知ることができたらいいですよね。互いの切実な思いを知ってもらったうえでの対話であってほしいんです。幟を立てて、ハンドマイクで「子どもを守るため」という、子どもを口実にした反対の仕方はやめてほしい。こうした反対運動がきっかけで、それまでなんとも思っていなかった子どもが偏見を強めてしまうこともあります。
--忠さんの隣家の子の草太が、反対運動をじっと見ている場面がありました。
子どもが冷静に見ているよ、ということを伝えたかったのです。
「近所の有名人になりなさい」。地域で守ってもらえるようにという母の思いのこもった言葉
-珠子が忠さんに「近所の有名人になりなさい」とかけた言葉も印象的です。
ダウン症のお子さんのお母さんに聞いた言葉なんです。地域で見守ってもらえるようにと「あなたは、この街の有名人になりなさい」とお子さんに伝えていると聞き、とても印象に残っています。
--隣に引っ越してきた里村家との関係が、最初と最後では変わっていきます。
これから、この2つの家族の関係がいい方向にいってくれればいい。でもどう転ぶかわからない、という余地も残しました。子どもが成長していくと、また変わるでしょうし。
ハッピーエンドではない、ありのままを描くことにこだわりました
--ハッピーエンドというわかりやすい終わり方ではないですよね。
この映画に答えを求める方もいらっしゃるかもしれません。でも、僕が、かつてかかわった、自閉症の男性のドキュメンタリーで直面したのは、わかりやすい答えが出るものではないということなんです。『梅切らぬバカ』でも何も解決しないという描き方になっています。
--映画制作にあたって取材された方々からは、どのような感想が寄せられましたか?
そこが、とても気になっていましたが、「ハッピーエンドではないけれど、ありのままを描いてくれたことで、自分たちの現実が肯定されているように感じられた。それがよかった」と感想を述べてくださいました。うれしかったですね。
1983年生まれ、山形県出身。2006年、京都造形芸術大学映像・舞台芸術(現映画学科)卒業。テレビドラマ「東京少女」「先生道」などの演出を手掛ける。2012年、短編『WAV』がフランス・ドイツ共同放送局 arte「court-circuit」で放送。また詩人黒田三郎の詩集を原作とした短編『小さなユリと/第一章・夕方の三十分』がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭短編部門にて奨励賞受賞。2014年、初監督作『禁忌』が劇場公開。その他、脚本を担当した『欲動』、『マンガ肉と僕』が釜山国際映画祭、東京国際映画祭に出品。2017年1月より、ネットラジオ「てんかんを聴く ぽつラジオ」(YouTubeとPodcast)を月1回のペースで制作・配信。てんかん患者やそのご家族をゲストに招き、それぞれの日常に転がっている様々な悩みと思いを語ってもらっている。
わかりやすく描かない監督の誠実さ~インタビューを終えて~
加賀まりこさん演じる珠子のような方は、親の会の年配者にいるタイプですよね。いまでこそサバサバとしていますが、最初からああだったわけではなく、若い頃は悩み、絶望もし、ときに修羅場もくぐり抜けてきたからこその突き抜けたサバサバ。その感じが、すごくよく出ていたなと思いました。
忠さんの父親が植えたという庭の梅の木を見上げながら「父親は死んだことになっているけどね」と、これまたサバサバと話す珠子。夫であり父親である男は、自閉症の息子を見捨てた男だったともとれます。でも息子の忠さんには、梅の木を父親の化身として「父さんがいつも見ているよ」と諭す珠子。それを信じている忠さん。だからこそ、梅の木の枝が切られそうになるとパニックを起こします。切ない場面です。
道に張り出して他の人には迷惑に感じられる梅の枝でも、忠さんとっては、いつも自分を見守ってくれているお父さんなのです。
物事の感じ方や捉え方は、その人の立場によって異なります。そこのところを和島監督はとても大事にして、丁寧に描いています。
監督がインタビューで熱く語っていたのが住民の反対運動。どちらか一方をわかりやすく描くのではなく、どちらにも言い分があり、それぞれの立場の人に歴史も背景もあるんだということを静かに力説していらっしゃいました。
『梅切らぬバカ』は、障害児(者)を描いた映画にありがちな奇跡も起きなければ、ハッピーエンドでもありません。といって、絶望的というのでもありません。ありのままを淡々と描きながらも、観る人たちに問いかけてくる映画だと思いました。わかりやすい答えを求めすぎていませんか、と。
取材・文/平野佳代子(tobiraco)
©2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト 写真/五十嵐美弥(和島監督)
『梅切らぬバカ』大ヒット上映中
監督・脚本:和島香太郎
出演:加賀まりこ、塚地武雅、渡辺いっけい、森口瑤子、斎藤汰鷹/林家正蔵、高島礼子…ほか
公式HP:https://happinet-phantom.com/umekiranubaka/
銀座シネスイッチで、障害のある方や小さなお子さん連れの方が気兼ねなく鑑賞できる「フレンドリー上映」実施中
詳しくは、こちらからをご覧ください。