浅川さんの二人の息子さん(現在、そらくん=19歳・たからくん=16歳)は、二人とも重度の知的障害と自閉症を併せ持って生まれてきました。そんな浅川さんは、ご自身の子育ての中で、愛子さんの子どもを見つめるまなざしから多くのことを学び、子育てを楽しむコツを教えてもらったといいます。その思いを分かち合いたい、と浅川さんを中心に『一緒に育てば大丈夫』というテーマで対談が企画されました。
子どもや子育てを通じて生まれた様々なエピソードや思いが語られ、心がほどけていくひととき。それは、大人も子どもも幸せに生きるためのコツを学び合う時間でもありました。
目次
あえて「インクルーシブ」と言わないとだめになった社会での子育て~愛子さん
浅川さん-子どもの成長の早い・遅いや育てやすさ・育てにくさで比較され、そのことで子育てや保育に不安や心配を抱えている人が増えているような気がします。
子どもが乳幼児期の時は、親が「子どもを育てなきゃ」「ちゃんとしたお母さんにならなきゃ」と私自身も不安でいっぱいでした。でも、今振り返ってみると、子どもの方が「子ども同士の中」で育っていくんですよね。気がつけば、私も子どもからいろいろ教えてもらってきたと思います。
仕切りを作って、仕分けしている社会で生きるのは不自然なこと。コロナで子育ての孤独感が増したと思います
愛子さん-このところ「インクルーシブ」という言葉をよく聞きますよね。それって、あえてインクルーシブって言わないと駄目な社会になったっていうことでもあると思うんですよ。私は元々、人間という動物は地球上に生まれて「群れて生きていく動物」と思ってるのね。
「群れる」ってことはどういうことかっていったら、迷惑かけたりかけられなかったり、頼ったり頼られたりっていうその関係性があってこそ、心地よく生きていけるってこと。納豆みたいなものよ(笑)。一つ一つだと味がないんだけど、かき混ぜて美味しくなる。あれに近いと私は思ってるんですけどね。それなのに、仕切りを作って「これが発達障害」「これは年寄り」。年寄りは年寄りで何施設に行かなくちゃいけないとか、一生懸命仕分けをしている社会になって。だから逆に群れの中で孤独感を抱いていかなくちゃいけない。
特にコロナになってからの子育てはすごくつらい思いをされた方は多かったのではないかしら。子育ての味方になるのはスマホだけ。実家にも帰れない。だからお母さん同士のコミュニケーションが苦手になって、盛り上がる機会がないのよね。「バザーでもしない?」とか、何かやろうよっていうのがなくなっちゃったじゃない。
そういうことを考えても、やっぱり人間が不自然な生き方をしてるとしか私は思えないのね。だから大人にとって「よくわからない子」が目立ってしまう。誰だって自分の子が障害を持って生まれるなんて思わないじゃない。浅川さん自身は、子どもたちの障害のことをどんな風に知っていったの?
園長に言われた「この子は大変」。母としての私が責められているように感じました~浅川さん
浅川さん-長男のそらは、マイペースな子だと思ってたんですけど、幼稚園に入って「この子は大変だ」と園長先生に言われてたんです。結婚する前に幼稚園に勤めていた経験もあったので、どんな子も受け入れるのが当たり前だっていうのが自分の常識だったのに、親にそういうことを言う先生がいるんだっていうのが衝撃的なことでした。私自身は、その「大変さ」を結構面白く感じていたので驚きました。
愛子さん-私も保育の中でいろんな子を見てきました。ダウン症の子もいたり、自閉症の子もいたり。今だったらすぐに診断がつくだろうみたいな子もたくさんいましたし、色々な子たちがいて、ごちゃごちゃやってるのが当たり前だったかなと思います。
「療育」という言葉は、どこで生まれたのかなと思って調べてみたら、その前は「訓練」という言葉を使ってたっていうのね。だから「障害は、訓練をすることで、普通の人に「ご迷惑」をかけない人にしよう」って発想なのかなと思ってしまいました。
浅川さん-まさにそう思います。幼稚園でも、そらくんを担当する先生が大変、このままだとそらくんと関わってる先生が倒れちゃったら困るので、お母さん付き添ってくれませんかとも言われました。そのときに初めて「子どもって大人のために育つのかな」みたいなことを考え始めて。でもそこにはどうしても納得がいかなくて、どうしたらいいのかと葛藤が生まれたんです。時には、私の育て方が悪いのかなと考えたこともありました。
愛子さんに「そんな園やめちゃいなさい!」と言われて幼稚園を2か月で退園
愛子さん-でも浅川さんも、保育をしていたときにもいろんな子がいたでしょ。そのいろんな子に対して、あなたはいわゆる子どもに対して「面倒くさい」とか「わからない」とかそういう思いはあったの?
浅川さん-私、今まで出会った子どもで「この子嫌だな」って思った子はいないんです。どの子も面白がるというのが私の特技だと思うんだけど、自分の子どもが幼稚園に行ったら、そんなふうに言われてしまって。そうやって言われてしまうと私が悪いんだって思ってしまいますよね。
愛子さん-だってあなた、幼稚園で見ていた時「この子がこうなのはこの親が悪い」って思ったことなかったでしょう。
浅川さん-ないです。でも否定されてしまうと自分のせいかなと思ってしまう。それでたくさん悩んだ中で、行き着いた先が「りんごの木」の柴田愛子さんでした。愛子さんに長文のメールを送りつけて(笑)こんな幼稚園でこんなことを言われて私はどうしたらいいんでしょうって言ったら、そんな幼稚園やめちゃえばいいのよって言ってくれて(笑)それで2か月で退園しました。
子どもの人生は子どものもの。だから、子どもの人生を私は負わない~浅川さん
あのときの私の精神状態で毎日「りんごの木」に通うっていうことが難しくて、残念ながら「りんごの木」には行けなかったんです。それで行き着いたのが、本人のゆったりペースに合わせてくれたのが療育センターでした。同じ悩みを抱えるママたちにも出会えて、笑って話し合えたことで心も軽くなりました。やっぱり幼稚園でこの子大変ですって言われた子が、医療センターだと、こんなところが素敵ですねっていうふうに肯定的に言ってもらえたっていうことは、すごくほっとしました。
ただ、隔離されている感じはしていたので、地域の子どもたちとの出会いがあるといいなというのは療育センター伝えていました。その時は叶わなかったけれど、数年後、そういう関わりが始まったそうです。
「子どもたちの将来」が、親にとって一番心配なところだと思うんですけど、最近私がよく皆さんに伝えているのが、「子どもの人生は子どものものなので、私が負わずに子どもが生きたいように生きていけばいい。子どもの人生を私は負わない。将来困るんじゃないかっていう心配はやめました」ということなんです。
障害が重い子は特別支援学校に行く、という刷り込みがありました~浅川さん
親が見落としがちな、子どもは何を感じているか、どうしたいか
浅川さん-障害が重い子って言われる子は特別支援学校に行くという刷り込みが私にもあったのですが、小学校に見学に行ったときに、たまたまそこの支援級の先生がとてもいい先生で、うちの学校はどんなお子さんでもお待ちしてますよって言ってくれたんです。
いわゆる障害の子どもを持ってる親は、支援級に行って福祉就労するという、そういった生きる道しかないと決めてる人も多いです。「この子自身が選ぶ能力はないんです」と言っている人も多いです。
例えば「癇癪とこだわり」が問題行動ですって言われると、何とかそこをやめさせるための支援が入る。そうするといつの間にか子ども自身も、自分の気持ちを持つことに対して、いつの間にか諦めちゃうような気がします。問題行動を辞めさせる支援ではなく、まずはその子の表現として捉え、どんな思いを持っているのかを考える支援が必要だなと感じます。
愛子さん-それって「全部の子ども」に言える話だと思うんですよ。親は、子どもは自分の選ぶ能力がないと思い込んで、自分が作った線路通りに歩ませようとする。私もね、子どもを正しく育てるとか、正しい幼児教育にこだわっていたときはね、子どもが見えてなかったと思うのよ。いつも上から目線だったのね。こんなことができないから教えなくちゃとか、上から目線で子どもに注文をつけてたような気がするんですよね。
親がどうしたい、こうしたいと言っていると、子どもが何を感じているかとか子どもはどうしたいとか、子どもが判断ができることを見落としてしまう。でも浅川さんは、我が子を見ながら、この子たちはこの子たちの思いがあるから、この子たちは自分で選択していってほしいって思えたのはすごいことよね。
対談の後編はこちら
ドキュメンタリー映画「そらくんとたからくん 2~卒業編」が昨年完成。自主上映の巡回を続けています
特別支援学校高等部3年生のそらくん、公立中学校支援級3年のたからくん(2023年)。自閉症の兄弟2人の卒業に向けた日々が描かれた記録映画が昨年完成しました。
取材・構成/齋藤美和(しぜんの国保育園) 写真/五十嵐美弥(愛子さん、浅川さん) そらくんとたからくんの写真提供/浅川素子さん
*3月30日に神奈川県・横浜市の馬場ケアプラザで行われたイベント「一緒に育てば大丈夫」での対談を元に構成