心にぽっかりと空いた穴から長かった中学受験の道のりを振り返ると、あんなに慌てたり焦ったりすることはなかったのに、子どもを傷つけることもなかったのに……と、かつての自分を嘆きたくなります。教育ジャーナリスト・おおたとしまささんの取材により、その嘆きを集めました。
読者のみなさんからしてみれば、いわば「未来の自分」からの贈り物です。「未来からの視点」があれば、慌てたり、焦ったり、子どもを傷つけてしまったりすることがある程度防げて、多少なりとも穏やかな中学受験を経験できるはずです。
全6回の短期連載第2回は、現在第4志望の女子校に通っている娘さんを持つお母さんのインタビューです。
鳥井さん(仮名)の受験メモ
【家族構成】夫、長男(中3)、長女(中1)
2024年2月に娘さんの中学受験が終了。いま通っている女子校は、もともとは模試では第6志望で、入試日程の関係で2校は受験を諦めたため、結果的に第4志望として受験した学校です。「大学は最低MARCH」という価値観を子どもが小さい頃から持っていました。
お話を伺ったのは中学受験終了から5ヶ月が経った7月。「今は中学受験をしてよかったと言えます。でもそう思えるまでには時間が必要でした」と語り始めてくれました。
2月1日・2日で4校を受験し、4連敗がわかったあの夜
おおた 2月の1日と2日で4校受けて全落ちがわかった2月2日の夜、お嬢さんはどんなリアクションでした?
鳥井 怖い顔してました。末っ子で娘だし、甘ったれな感じでずっと生きてきたんですけど、あのときがあの子にとってこれまでの人生で最大の試練だったと思います。
おおた 怖い顔はしていたけれど、泣き崩れたりとかは?
鳥井 1回もなかったです。深刻な顔はしていましたけれど、入試期間中、1回も泣きませんでした。模試やクラス分けのテストで悪い点をとったときに私にガミガミ言われて、しゅくしゅくと泣きながら寝たことはありましたけど、入試期間中は1度も涙は見せませんでした。強いなって思いました。取り乱すこともありませんでしたね。
おおた お母さん自身は、入試期間中に感情を抑えきれなくなったことはありませんでしたか?
鳥井 なんか、腹で決める感じですね。頭で決めて、腹に据える、みたいな。自分は寝食のサポートしかできないって、決めてました。答え合わせしたり、わからなかったところを教えたりというのは夫がしていました。私が出て行くとやっぱりもめてしまうので。勉強を見たり、模試の結果を見たりすると、感情的に怒ってしまうということを自分で学んで、小6の秋の時点で、自分は後方支援に徹しようと決めたんです。それがどこまでできていたかはわかりませんけれど。
おおた それを事前に学んで、入試本番では自分を抑えることができたというだけで、立派なことですよ。2日の夜は、本当は真っ暗闇な気分だったと思いますけれど、お嬢さんの前では気丈に振る舞うことができたんですね。
鳥井 そうですね。なんか、その時点で私が気になったのは、これだけ塾代もかけたのになってことでした。実は、公立中学に進んで、都立高校を狙ってもよかったんじゃないかという気持ちがずっとあったんです。
おおた というと?
鳥井 娘はいろんなことができるんです。受験期間中もピアノのお稽古は続けていましたし、絵を描いたり、立体の造形をやってみたり、アート系が好きです。さらに、学校の成績表はほぼ満点です。だから、内申点がとりやすいタイプだろうと思っていました。中学受験のルールでは上のほうにいけないだけで、都立高校受験なら有利じゃないかと、自分自身を信じ込ませようとしている部分が、最後の最後まで私のなかにありました。
おおた 中学受験塾ではあんまりいい成績とれないし、高校受験のほうがお嬢さんの特性には合っているんじゃないかとも考えていたわけですね。
鳥井 でも、お兄ちゃんの高校受験のときに学校を調べてみたら、女の子が受けられる学校が少ないという現実を突きつけられて、中学受験を選択しました。
おおた 最終的に背水の陣で臨んだ5日の結果が不合格だとわかって……。
鳥井 尾崎英子さんの『きみの鐘が鳴る』を親子で読んでいて、決まった学校がうちの学校だったんだって思うしかないと。そう思おう、思おうと、毎日思おうと考えて頑張ったけど、結局、小学校を卒業して、入学式の直前まで引きずっていました。
おおた 思おう、思おうと頑張ったというその表現だけでね、そのときのお母さんの心情が伝わってきます。そうなんですよね。いきなりは頭を切り替えられません。
鳥井 子どもが寝静まってから、やっぱり公立に行かせるべきだって、夫に言ってました。
おおた 第4志望に行かせないで、公立に行かせて、都立高校受験でリベンジするべきだ、みたいな?
鳥井 はい。ギリギリまでずっと言ってました。
おおた なるほど。
鳥井 あんまり言うと怒られるから、そういう思いが拭えないという言い方をしていました。
おおた お父さんのリアクションは?
鳥井 ご縁があって決まったところが絶対いいんだから、絶対に子どもの前でそんなこと言うなって、きつく言われました。
「母親からの言葉がいまだに傷として残っているので…」
おおた お父さんもお母さんの気持ちは痛いほどにわかっているだろうけれど、それがうっかりぽろって出ちゃったときにお子さんの心にどんなに深い傷を負わせてしまうかわからない。
鳥井 そうなんですよ。私が結構そうで、母親から言われたことがいまだに傷として残っているので。
おおた えっ!?
鳥井 「あの学校に行かせなければよかった」って。「行かせないってどういう意味?」っていまでも思ってるんですけど。
おおた そんなご経験がお母さん自身にあったのですね。
鳥井 はい。自分で希望して受けて、第一志望で合格してるんですけど。だからといって別のどこの学校に行けと言われたわけではなくて、私が選んだ学校が、キワモノが多い変な学校だと、母親は偏見をもっていて。
おおた どういうことですか?
鳥井 私は公立小、公立中から、県立のA女子に行きました。
おおた A女子ですか。超名門校じゃないですか。たしかに個性的ではありますけど。
鳥井 当時、多感な時期の私がたびたびきつい言葉で母親に食ってかかったのは、あの学校のせいだと思っていて、ことあるごとに言ってくるんです。先月も両親と大喧嘩しました。そういうとき、だいたい夫が仲裁役になってくれるんですけど、先月は、喧嘩のあと母から夫に、育て方を間違えたみたいなメッセージが届いていました。
おおた お母さんのお母様としては、とんがった女子が集まる学校じゃなくて、共学の穏やかな環境でいわゆる女性らしく、控えめに、一般社会に適応した形で育つのを望んでいたわけですよね。でも、娘がA女子に合格したといったら、普通の親は鼻高々になりますよね。
鳥井 当時は塾のチラシに私の合格体験記も載りましたし、ご近所のひとたちからも「すごいね」って言われるので、鼻高々のくせに、私には嫌みを言うんです。「あのころのお姉ちゃんは怖かった」って、妹にも言われますけど。
おおた それは鳥井さんにとって必要な戦いだったんでしょうね。でもその戦いがまだ終わっていないという……。
鳥井 娘にとって、そういう親にはなりたくないなと思っています。
おおた お母さん自身が親御さんとの葛藤を強く経験されていて、それがどれだけ嫌なことかをいちばんよくわかっているのに、娘につい言いたくなってしまう自分がいるってところに、「私、何やってるんだろう?」みたいなお気持ちもあるでしょうし。
鳥井 娘には絶対にあの表情は出さないようにしようみたいなのがありますね。
おおた それができたんですから、すごいことですよ。
鳥井 せっかく進学した学校の悪口を母親が言い続けて、中1の1学期で退学しちゃったという話も以前聞いたことがあって、それは子どもがつらいだろうなと。それだけはしちゃいけないと、自分に言い聞かせました。まだ子どもだから、親が舵取りをする場面はあると思いますけれど、それが結果的に悪い舵取りだった場合、その人生を生きていくのは子ども自身なので……。
おおた 愛情ゆえに、親は勝手に責任を感じてあれこれやるわけですけど、結局のところ、子どもの人生に対する責任はとれないわけですからね……。
真っ黒なオセロを一つずつ白へひっくり返すように、進学先が納得できる理由を探して
おおた 入試が終わった直後から現在まで、お母さんの気持ちはどんなふうに変化していったのでしょうか。
鳥井 進学先の創立者の名前を聞いたときに、娘が「あっ、知ってる!」って。歴史漫画か何かで読んだことがあったらしくて、それを改めて見てみて、「やっぱりそうだ!」って、漫画を読み返して。私も名前くらいしか知らなかったんですが、いっしょに勉強して。そういうふうにして、何か、動き出したんですよね、本人が(涙)。娘の中で、そういうフラグがいくつも立ち始めたんです。
おおた この学校に決まった理由みたいなものを、一つ一つ見つけていくわけですね。あとからね。
鳥井 はい。この学校を自分たちにとっての正解にするというか……。もう、私の中で、真っ黒になっていたオセロの盤上を、一つ一つ白にひっくり返していくような作業を、緻密にやりました。むりやりでも。いろんな情報を頭に入れて、ここでよかったんだって。自分の納得できる条件を……(涙)。
おおた 真っ黒なオセロを一つ一つ白に変えていって、「ようやく1列白がそろった!」みたいな。
鳥井 かわいい制服に袖を通した娘といっしょに「へー、こういう構造になってるんだね」なんてはしゃいでみたり。ちょうど高大連携のニュースもあって、その提携先が、娘が興味のある分野に強い大学だったりもして。実際にそこに行くかは別にして、第1志望とか第2志望に行ってたら、この進路はなかったなと思えました。内部進学で行ける大学にも似たような学部があります。ほかの学校に行ってたら、そういう選択肢は得られませんでした。そのことをたしかめるために、落ちた学校の提携先の大学の学部を一つ一つ調べたりして、自分を納得させていきました。第1志望の学校の有名大学への進学実績には目を見張るものがありますが、そういう大学に娘の行きたい学部がどれだけあるのかを調べたりして、実はあんまりないことがわかりました。むしろ地方の私大とかのほうが強かったりします。だとしたら、なんかその、私はいままで大学進学の指標の何を見てたんだろうって思うようになりました。
おおた 一つ一つ証拠を積み重ねて、そこまでたどりついたんですね。今回の中学受験の経験がなかったら、あるいはすんなり第1志望に合格していたら、そんなこと考えもしなかったでしょうからね。
鳥井 本当にそうです。
おおた お嬢さんのこれからの人生を応援していくときの、お母さんの視野の広さにきっとなると思います。それはすなわち選択肢の広さというか、いろんな魅力的な生き方、仕事だけじゃなくてもっと広い意味での生き方を肯定的にとらえた応援ができるんじゃないかと思います。鳥井さんご自身もそのお母様との葛藤をいまだに抱えているなかで、いやいやそんな狭い価値観ではなくて、もっと視野を広げれば、単純には序列化できない、いろんな生き方や進路があるんだっていうことを確認できて。いま私、なんかすごく勝手な解釈を展開してしまっているんですけど、鳥井さん自身がお母様との葛藤を抜け出す糸口にもつながるんじゃないかという気がしています。
鳥井さんの中学受験の全容は『母たちの中学受験』へ
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おおたとしまさ
教育ジャーナリスト。リクルートでの雑誌編集を経て独立。数々の育児誌・教育誌の企画・編集に係わる。現在は教育に関する現場取材および執筆活動を精力的に行っており、緻密な取材、斬新な考察、明晰な筆致に定評がある。テレビ・ラジオなどへの出演や講演も多数。中高教員免許をもち、小学校教員や心理カウンセラーとしての経験もある。著書は『勇者たちの中学受験』『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『不登校でも学べる』など80冊以上。おおたとしまさオフィシャルサイト