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できればずっとゲームをしていたい子、どうしたら勉強に向かう?
――小学校時代はどんなお子さんでしたか?
後藤弘さん(以下、後藤さん):勉強が好きだったかと言われるとそんなことはなくて、できればずっとゲームをしていたい子どもでした。机でじっくり勉強するのは苦手。算数とか理科とか、好きな科目はやるけれど、苦手な社会はずっと放置してしまっていました。
――そんな後藤さんに、ご両親は勉強好きにさせるために何かしましたか?
後藤さん:「勉強をしろ」と叱ることはなかったですね。そこが本当にありがたかったです。むしろ習い事とか遊びとかの中で自然に興味を持つように上手に仕向けてくれました。
父親はボードゲームで楽しく算数の基礎を学ばせてくれた
後藤さん:算数であれば中学受験する前から父とボードゲームを一緒によくやっていました。ボードゲームを通じて、数やサイコロの確率などの概念が遊びの中で理解できてよかったです。ほかにも数独のパズルを「一緒にやろう」と誘ってくれていました。父が面白そうにやっているので、私の目にもとても面白そうに映ったのを覚えています。
父とパズルをするときに、ときどき勝てるとすごくうれしくて。今思えば負けてくれていたんでしょうけれど、勝てたことで「数字が好き」につながっていったと思います。
母親がテーブルの上に常に本を置いていてくれたおかげで、読書好きに
後藤さん:また、母が読書習慣を自然につけてくれました。未就学のときから図書館でよく本を借りてリビングに置いてくれていました。本って本棚から取り出すのがまずハードルが高いじゃないですか。でもリビングのテーブルの上に置いてあれば、自然に手に取りますよね。内容は、小さい頃は子どもから見ておもしろいもの。
塾に行くようになると、重松清さんなどをはじめとした国語の問題文に出てくる文章の原作を借りてきてくれました。そのような文章を読むことで、国語の長文問題を読むことへの抵抗もなくなっていきました。
さまざまな習い事をして、好きなものに重点的に取り組む
――習い事はしていましたか?
後藤さん:民間の実験教室に習い事として行かせてもらっていました。毎週いろんな実験を先生と一緒にやるんですが、「薬品を混ぜて反応するのが楽しい」という感じで、理科にすごく興味を持つようになりました。
その他、いろんな習い事をさせてもらいました。水泳、ピアノ、サッカー……。水泳は最低限溺れないくらいになったかな。ピアノも小学生の時に習い始めて、中学受験の時も息抜きに弾くこともありました。サッカーはあんまり興味を持てなくて、グランドに連れて行かれてもずっと砂いじりしていました(笑)。半年くらいやったけれど親もあきらめて「サッカーはやめよう」ってなりました。
後藤さん:うちの親は柔軟で、実験教室みたいにハマるものは長くやらせてくれるし、やらせてみても興味を持てそうもないものは引っ込めてくれました。
「せっかくやったんだから続けないとダメ」みたいに言われたら、いやな思い出にしかならなかったと思います。ひとつの習い事になにがなんでもこだわり続ける、というより、子どもが夢中になれるものをみつけたら、ほかは控えめにして、やりたいことを重点的にやらせてあげるといいんじゃないかなと思いますね。
小3から塾へ。好きな科目は楽しかった!
――塾に関してはどうでしたか? 「習い事感覚で楽しく」というわけにはいかなかったのでは?
後藤さん:母がSAPIXをすすめてくれたのですが、強制されたわけではなく、自分で行きたいと思って行きました。小3の途中だったと思います。塾の算数と理科がすごく楽しかったんです。授業自体もおもしろかったし、先生が授業中にする雑談も刺激になりました。知的好奇心が満たされましたね。
基礎の反復ができてなくて第一志望に届かず…
後藤さん:ただ、家で勉強するとか、間違えたものを何度も解き直すのはできていなくて。それが第1志望の筑波大附属駒場中学校に落ちた原因だと思っています。
後藤さん:今思えば、基礎の反復が何よりも大事だったんですよね。いろんな教材を1周ずつやるなら、自分のレベルに合わせ、難問はあきらめて、重要な問題を2回も3回も解き直すほうが有効でした。足元がかたまっていない状態で難しい問題に取り組んでもうまくいかないし、時間がもったいなかったな、というのが反省点です。
中学受験で大好きなゲームを封印…でも「2月になればできるよ!」
――小学校6年になると、いよいよ受験勉強も忙しくなりますね。
後藤さん:はい。それで、母と話し合ってゲームを封印しました。ゲーム機もソフトも段ボール箱に入れてガムテープできっちり閉めて。ゲームが大好きだったのでつらかったです。ついでに読書もしない、と約束しました。
母が本を身近に置いてくれたおかげで、読書が大好きになっていたんです。でも、本を読んでいると宿題もできません。思い切って読書もやめることにしました。
――大好きなものをやめるのには相当な覚悟が必要ですよね。どうして我慢できたのですか。
後藤さん:そこはうちの母も言い方がうまくて、「合格したら好きなだけゲームすればいいよ」って。2月の試験が終わったらゲームができるという希望を示してくれたから、苦しかったけれど母を恨むこともなかったですね。2~3週間でゲームのない生活にも慣れました。
後藤さん:受験直前の息抜きは、短時間で切り上げられるものにすることを心がけていました。例えば、サザエさんの4コマ漫画などをよく読んでいました。4コマなのですぐ終わりますから。あと、芸人さんのお笑い動画ってたいてい5分以内じゃないですか。そういうのも見てました。母がおもしろい動画をみつけてきて、一緒に見て笑ってって感じです。それでずいぶんとリフレッシュできました。
苦手な社会科は、母が一緒にジョギングしながら問題を出してくれて
――お母様のアイデアが豊富なんですね。
後藤さん:ホントにそうなんです。僕は6年生になっても相変わらず社会が苦手だったんですよ。また、6年生になると勉強中心の生活で運動が足りなくなるからと、母が一緒にジョギングをしてくれました。そのジョギングの合間に、一問一答で社会の問題を出してくれて。運動不足も解消できるし社会の知識も増えて、一石二鳥でした。
後藤さん:また、6年生になるとプリントがすごく多いし、過去問の解答用紙などもごちゃごちゃするので、そういう書類の整理を淡々をやってくれたのもありがたかったです。その日やるべき宿題のプリントも選び出して、机の上に置いておいてくれました。だから、座ればすぐに宿題ができて、時間の短縮になったんです。母のこうしたサポートは本当に助かりました。
そして迎えた受験。第1志望は不合格だったものの…
――そのようにがんばって中学受験をされました。が……。
後藤さん:第1志望は不合格でした、力が及びませんでした。自分としては筑波大附属駒場中・高等学校にいくつもりだったので、第2志望の開成に受かっても悔しくて。筑駒を落ちたことを塾の同期に知られるのがいやで、制服の採寸さえ憂鬱でした。
でも、そんなときも両親は「筑駒に受かればよかったのに」みたいなことは一切言わず、優しく見守ってくれました。僕が落ち込んでいたのを黙って受け止めてくれて。それも本当にうれしかったですね。
いざ入学してみたら開成もとても刺激的!
後藤さん:入学してみたら開成はとてもすばらしかったんです。同級生は勉強ができるのはもちろん、勉強以外の面でもプログラミングでものすごい才能があったり、音楽を極めていたり数学オリンピックに出るほどの実力があったり、才能ある人が本当に多くて、刺激的な環境です。僕も開成に入ったおかげでクイズ研究部で活躍することができましたし、今なら間違いなく第1志望にする学校です。
後藤さん:思えば、両親はあれこれガミガミ言うことはまったくありませんでした。僕が足りないところは黙って補ってくれ、勉強しやすい環境を整えてくれた。親御さんは心配のあまりについ口うるさくなってしまいますが、言葉を多くして叱咤激励しても、かえって逆効果になってしまうのではないかと思います。
両親はできていない部分は工夫してさりげなくフォローし、よくできたところはほめてくれていました。僕が3年生から受験に取り組み、最後までがんばれたのも、両親のサポートによるところが大きいと心から感謝しています。
――中学受験の時期は、不安のあまり、保護者はつい口うるさくなってしまいます。でも極力小言は少なくし、そのかわり勉強しやすくなる環境を整えてあげるのがよいのですね。後藤さんの体験から学ぶこと、お子さんの受験にも生かしてみてはいかがですか?
後編では開成時代の実体験から想起した「事業」についてお聞きしました
撮影/五十嵐美弥 取材・文/三輪泉