ことわざ「隣の芝生は青い」の意味は?
ことわざの一つである「隣の芝生は青い」とは、どのような意味なのでしょうか? まずは言葉の意味を解説します。
他人のものが無条件によく見える心理
「隣の芝生は青い」とは、「人のものは自分のものよりもよく見える」という心理を表したことわざです。この場合の「隣」は実際の隣に限らず「自分以外の所有者全般」を指し、「青い」は「芝生が青々と茂って美しい様子」を指しています。
第三者の目から見て似たような持ち物や環境だったとしても、自分と他人を比べてた結果、他人のもののほうが無条件によく見えるという経験は誰にでもあるでしょう。
つまり、このことわざの根底には、人間の嫉妬心や競争意識が現れているのです。
類義語や対義語もチェック
日本には芝生がある庭が少ないため、同じ意味の言葉として「隣の花は赤い」という言葉があります。「自分の庭に咲く花よりも、隣の花のほうが赤く美しく咲いているように見える」という意味です。
反対の意味を持つ言葉としては、「吾が仏尊し(あがほとけとうとし)」という言葉が挙げられるでしょう。これは「自分自身がよいと信じるものが一番尊い」とする心理を表した言葉で、他人の評価を受け入れない少々偏狭な心を持っているという悪い意味も含まれています。
なぜ「隣の芝生は青く見える」のか
そもそも「隣の芝生は青く見える」理由はなぜなのでしょうか? 他の人のものばかりが気になったり、羨ましく思ったりしてしまうのはどのような場合なのか考えてみましょう。
相手の一面しか見えていない
隣の芝生が青く見える理由の一つは「相手の一面だけを見ているから」かもしれません。
自分自身のことは、美しい面だけでなく、苦労や痛みも一緒に感じることになります。しかし、他人のこととなると、自分自身と比べると距離があるため苦労や痛みを感じにくく、美しく成功した部分にばかり目がいってしまうのです。
例えば、おしゃれで楽しそうな生活を発信しているインフルエンサーなどは、とても幸せそうに見えるかもしれません。実際のところは分かりませんが、情報を受け取る人たちは、表に出ているキラキラとした美しい面ばかりを見て、その裏側にまで思いを馳せることはほとんどないでしょう。
このような情報を見て、自分の生活と比べて羨ましく思う気持ちが、まさに「隣の芝生は青い」という心理なのです。
自分にないものばかりを気にしている
誰しも、自分が持っていないものを持っている人にコンプレックスを感じてしまうものでしょう。特に、落ち込んでいるときや失敗した直後は、反省や後悔の気持ちからそのような心理状態に陥ってしまうことも少なくありません。
世の中には多様な価値観があり、誰にでも他の人から見れば「羨ましい」と憧れられる部分があるものです。しかし、それになかなか気が付けないことは少なくありません。
思考がネガティブになり、自分に足りないものを探して落ち込んでいる際にも、やはり「隣の芝生は青い」という心理になってしまうことが多いでしょう。
他人を羨む毎日から抜け出すには
他人を羨む日々を送っていたのでは、いつまでたっても幸せになることはできません。そこで「隣の芝生」を気にせずに、自分なりの幸せを追求するためのポイントを紹介します。
他人との比較をやめる
一番の対処法は、他人との比較をやめることです。
誰かと自分を比べて落ち込んでいるだけでは、自分自身が変化することはありません。それどころか、ますますその差が開いているように感じてしまうでしょう。
隣の芝生を見て羨ましいと感じるのは自然な感情です。その感情を受け止めたら、他人と比較するのではなく、まずはどうすれば自分の芝生も美しくなるのか、そのためには何をしたらいいかと、ベクトルを自分自身に向けましょう。
それでも比較することをやめられないのであれば、SNSを休んでみたり、スマートフォンをいじらない時間を増やしたり、物理的に情報から距離を取るのも一つの方法です。
自分で自分を肯定する
自分自身に目を向けてみれば、自分が持っている芝生にもよい点がたくさんあるのではないでしょうか?
例えば、太っていると悩んでいる人でも、ストレートで豊かな髪が美しいかもしれませんし、スポーツが苦手でも素晴らしい絵が描けるかもしれません。
100%すべてがダメな人はいないはずです。コンプレックスのせいで自分のよいところが見えなくなっているだけだと深呼吸して、自分の素敵なところを探してみましょう。
そうすればどれほど些細なことでも、他の人にはない自分だけの美しい芝生がきっとあるはずです。
自分が大切にしたいことは何か考える
隣の芝生を羨ましく思っているせいで、自分が本当に大切にしたいことが何かを見失っているかもしれません。隣の芝生がことさら青く見えるなら、自分が大切にしたいのは何かということを、ゆっくり落ち着いて考えてみましょう。
人生は限られていて、自由に使える時間は無限ではありません。限られた時間の中で大切にしたいこと、優先したいことはそれぞれ違うはずです。それらを整理して、自分の時間を大切なもので満たしていきましょう。
そうすれば、自分の芝生に夢中になって過ごすことができ、隣の芝生が気にならなくなっていくはずです。
他人は気にせず「自分の芝生」を育てよう
生きていく中で「隣の芝生が青く見える」経験がない人は珍しいでしょう。しかし見方を変えれば、あなたこそが羨ましがられる「隣の芝生」の持ち主なのかもしれません。
他人を気にしている時間があるのなら、自分を見つめて、自身の幸せやよさを発見していくことに全力を注ぎましょう。自分の人生は他の誰でもなく、あなた自身のものです。
社会の中で最低限の秩序を守れば、それ以上に他人の価値観に縛られる必要はありません。他人のことは気にせずに自分の芝生を自由に育て、幸せになりたいものです。
構成・文/HugKum編集部