不登校ゼロ。すべての子どもが一緒に学ぶ「奇跡の公立小学校」が大阪市住吉区に!

2万人が涙した大ヒットドキュメンタリー映画「みんなの学校」の原点が本に

不登校数ゼロの大阪市住吉区「大空小学校」

大阪市住吉区にある「大空小学校」は2006年に開校した公立校です。

初代校長の木村泰子先生は9年にわたって、子どもたちと職員、保護者や地域の人たちと関わりながら学校を作ってきました。『すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる』。開校時に掲げたその理念は、教師だけでなく全教職員に共有され、不登校数ゼロ、モンスターペアレントゼロという形にも現れています。

ドキュメンタリー映画「みんなの学校」はいまも自主上映中

丸一年、「大空小学校」を追ったドキュメンタリー映画「みんなの学校」は、2015年に封切られるや、じわじわと話題になり、3年経った今も日本全国各地で自主上映会が開かれています。

動員数は2万人を超えたそうです。

木村泰子校長先生の著書『「みんなの学校」がおしえてくれたこと 学び合いと育ち合いを見届けた3290日』には、特別支援教育の対象となる子も通常級の子も、学校と保護者、地域みんなで受け入れて育っていく様子がつづられています。

めざしたのは、「みんながつくる みんなの学校」

大空小学校は2006年に、地域に増え続ける児童を受け入れるために作られた新設校でした。校門には次のように書かれています。

みんながつくる みんなの学校

大空小学校は 学校と地域が共に学び

共に協力しあいながら「地域に生きる子ども」を育てている学校です。

どんな子供もみんな一緒の教室で

大空小学校では、自分の感情をうまくコントロールできない子、すぐに教室を飛び出してしまう子、つい友達に暴力をふるってしまう子……そんな子たちがみんな同じ教室で学んでいます。教職員だけでなく、保護者や地域の人も学校に入り、見守りながら学び合っていく大空小学校。

木村校長は開校時に「10年後は、多様な価値観を認め合い、さまざまな個性のある子どもたちが、同じ場所で学び合う世の中になる。大人も子どもも、学び合い、育ち合える学校をつくろう」と思い描いたと言います。どのようにして公立小学校の理想ともいえる学校を作っていったのでしょうか。

 

「自分がされていやなことは人にしない。言わない」-校則のない小学校 ただひとつの約束事

大空小学校に校則はありません。唯一の約束事があるだけです。

「自分がされていやなことは人にしない。言わない」

 

守れなかった場合には、「やり直しの部屋」と呼ばれる校長室に出向き、校長と話して反省をします。ただ反省するだけでなく、「やり直すことができる」という前向きな取り組みです。

大空小学校が大切にしている4つの力

そして、大空小学校が大切にしている4つの力。

「人を大切にする力」

「自分の考えを持つ力」

「自分を表現する力」

「チャレンジする力」

開校時に「10年後の国際社会で子どもたちが自分らしく生きられるには、どんな力が必要か」と考えた末に生まれた、この4つの力。校長室のドアに貼られています。

不登校ぎみ、乱暴、ネグレクト…課題をかかえた子どもたちはどう変わっていったのか?

エピソード1:すぐに脱走計画を立てる、ケイ

ケイは小4の春に大空小学校に転校してきました。

3年生までは他の公立小学校の特別支援学級に通っていたけれども、教室にいられるのは1時間か2時間が限度という子。学校で活動をしないせいか、ランドセルの中は朝と同じきれいに整頓され、鉛筆はいつも尖ったまま。「少しでも長く通える学校に転校させたい。」そう思った母親が何校も見学した末、校区内に転居し、通うことになりました。

転校以来、毎日のように脱走するケイ。同じクラスの子どもや教職員が迎えに行くと、待っていたかのように手をつないで戻ってきます。「やり直しの部屋」で校長は「クラスのみんなを信用していないから、教室を居心地悪く感じるのでは? 大空小は自分がつくっている学校。ケイが安心して過ごせないわけがないよ」と諭します。校長室にケイを迎えに来るのはクラスで頼りになる子だけでなく、自らの気持ちで来る子もいれば、関わることで学ばせたいと教職員に選ばれて来る子もいます。

こうしてみんなでケイを見守っていくうち、誘っても参加することができなかった遊びの輪に加わるようになりました。友だちと関わることで他人の気持ちを理解できるようになり、ときに衝突が起きても謝ることができる子に成長しました。仲間を信じ、居場所を見つけたケイは、脱走することもなくなったのです。

それから1年。毎日ほぼ休みなく学校に通い続けたケイ。

母親は「ランドセルの中が毎日ぐちゃぐちゃで、鉛筆の芯が折れていたり、短くなるまで使われているとすごくうれしいんです」と涙ながらに報告してくれたそうです。

エピソード2:乱暴者のケンがリーダーシップを発揮し始めた

3年生の途中で転校してきたケンは、前の学校に全く通うことができず、申し送りに「すぐにキレて暴力をふるい、自分で何かを考えることができない」とある、扱いにくいとされる子でした。転入にあたり、校長は教職員には「あくまでも前の学校での見立て。先入観ではなく、自分の目で彼を見ていこう。」、子どもたちには「毎日学校に行くことはできなかったけれども、みんなが自分の目で見て理解してください」と伝えます。

 

ひと月ほど経った授業中に、ケンは教室を飛び出してしまいます。自分の考えを書く授業中に「わからない」と書いたことをクラスメートにとがめられたことが原因でした。「ケンは毎日学校に行かれなかった。だからみんなができることでもわからないことが出てくる。わからないと書くことは正解です。」と校長はケンと児童の前で言いました。指摘した側に悪気はありませんが、結果的にこの出来事は、自分と他人の違いを知る、違いを受け止めることを学ぶ機会になりました。

 

ケンは大人が向き合って話を聞き、きちんと説明されると納得し理解ができる子どもでした。乱暴者だったケンは、5年生になるとサブリーダーとして下級生をまとめることができるようになりました。ケンのように、周囲の環境が変化したり、大人の関わり方が変わると成長を見せる子どもも少なくないといいます。

エピソード3:不衛生なレイ。「なぜ?」を知ったらまわりの反応も変化

「あの子が来るのだったら大空小学校はやめておこう」……保護者がそう言うという噂が立てられる存在のレイ。保護者が仕事で早朝から深夜まで家におらず、家庭訪問に行った教職員によると、家の中は決して衛生的に保たれていなかったといいます。ランドセルからゴキブリが飛び出て来たり、夏になると身体が臭う子でした。

登校時に下駄箱で靴を履き替えるとプーンと臭う。そのような状況で、周囲の子どもたちはどう反応したか。「それぞれ事情があるので我慢しましょう」といったきれいごとで子どもたちの関係は成り立たないと校長は言います。

子どもたちに、「どうして臭いのか」と問いかけます。

「お風呂に入っていないから。洗濯していないから」

「だれがお風呂の準備や洗濯をしてくれる?」

「お母さんとか、家の人」

そこで、レイの家はお家の人が忙しく、レイが自分でしなくてはならないと伝えます。子どもたちは、レイの家庭と自分の家庭との違いに気づいていきました。最初は、「臭いからあっちに行け」という意見だった子どもたちも、「どうしたら臭くなくなるか」自発的に考えるようになりました。「水でいいから学校に来てから頭を洗ったら?」という意見に賛同する声が多く上がり、そこで初めて校長は「明日から10分早く学校においで」とレイに声をかけます。翌朝からレイは、校長室に用意されたシャンプーと石けんで頭と顔、足の裏を洗ってから教室に行くようになり、以降、レイに対する訴えはなくなったそうです。

テレビのドキュメンタリー番組から映画化へ。いまも上映が続いています

「大空小学校」の取り組みは2013年にテレビドキュメンタリーとして放映され、文化芸術祭大賞をはじめ多くの賞を受賞。そして、劇場版として映画化され、2015年2月の封切り以来、ロングラン上映、今も全国の自治体などで自主上映され続けています。

映画「みんなの学校」公式サイト

子どもの対応や教育にはマニュアルはありません。子どもに学ぶしかないのです

木村校長は「大空小学校では、特別支援教育は行わないということですか?」と聞かれることがあると言います。「大空では、特別というのを捨てたんです」と答えるそうです。支援の必要な子どもたちはたくさんいる。しかし、「特別」という言葉がつくと、なにか特別扱いをして切り離さなければならない感覚になる。それは子どもにとって本当の支援と言えるのか。この答えを探す9年間だったと振り返っています。

「子どもの対応や教育にはマニュアルがない。どんな対応が正解かはわからない、答えも一つではない。子どもに学ぶしかない」という木村泰子元校長の言葉は、支援の必要な子もどうでない子にも、どう向き合っていけばよいのか、たくさんのヒントを与えてくれます。

 

『「みんなの学校」が教えてくれたこと 学び合いと育ち合いを見届けた3290日』

小学館 木村泰子・著

木村泰子(きむら・やすこ)

大阪市出身。武庫川学院女子短期大学教育学部保健体育学科(現武庫川女子大学短期大学部健康・スポーツ学科)卒業。2006年に開校した大阪市立大空小学校初代校長。

「みんながつくる みんなの学校」を合言葉に、すべての子どもを多方面から見つめ、全教職員のチーム力で「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。学校を外に開き、教職員と子どもとともに地域の人々の協力を経て学校運営にあたるほか、特別な支援を必要とされる子どもも同じ教室でともに学び、育ち合う教育を具現化した。専門の体育科以外に音楽にも精通、大空小学校校歌の作曲も務めた。

2015年春、45年間の教職歴を持って退職。現在は全国各地で講演活動、取材対応など多忙な日々。本書は初著。

構成/HugKum編集部 写真/大橋賢(*写真はイメージです)

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