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学校では先生に嫌われ、友達もいない…ある出会いが転機に
――長谷川さんは大学在学中にインターンでITの企業で働き、大きな実績を上げていたと聞いています。それなのに、なぜ卒業後は障害福祉の世界に入ってきたのですか?
僕は岐阜のすごい田舎に育ちました。小さい頃から人の言うことは聞かないし、先生からすごく嫌われちゃうし、友達もいないし(笑)。こんな自分は社会のメインストリームではないところでしか生きられないだろうなって、自分で思っていました。ところが、名古屋大学時代にバイトをしていた焼き肉屋さんが、僕のことをすごくポジティブに評価してくれたんです。
「あなたは日本を変える人」。ほめられて自信と勇気をもらう
「敦弥くんは日本を変えるかもしれない」
「世界のリーダーになるかもしれない」
「なんでここで満足しているの? 人生もったいないよ、絶対世界で活躍できるはず」
そんなことを言われたことがないから、信じられなかったけれど、何度も何度も言ってくれるから、だんだん自分の中に変化が起きてきて。何か行動してみようか、そうだ、東京で経営者の講演会なんかを聴いてみようかと思うようになって。東京に何度も行くようになったら、ITを使って新規事業をやる会社と懇意になって、インターンの形で働くようになったんです。
テクノロジーを利用して何ができるか考え抜いた20代
当時は営業しては大きな仕事が取れていくのがおもしろくて。自分はテクノロジーとかビジネスの力で世界を変えていけるような気がしてきたんですね。もう全部が楽しくて、ITを使って世の中を変えるんだと、3年間没頭しました。
――IT業界の起業家になる道を歩み始めたのですね。
はい。そして、あるとき、富裕層向けのSNSをやろうと思いついたんです。「ビジネスになる」と自分が発案して社内でプレゼンテーションしていたのですが、ふと、「これを成功させるのに5年くらいかかるな」と気づいたんですね。21歳から26歳までの5年間を、富裕層の人たちのために時間を使うのかと考えると、なんだか時間がもったいないような気がする。
それに、お客さんにどんな情報が欲しいですかと聴いてみると、「イギリス王室の子どもが通っている幼稚園の情報がほしい」「クルーザーがほしい」と。それはあってもいいけれど、自分がエネルギーを使って一生懸命になってやるべきことなのか……。
富裕層向けビジネスより、社会をよくする仕事をしたい
自分は本当は何がしたいんだろう。富裕層の人の購買欲をそそるより、「家族が幸せになる」とか、「困っている人をサポートできる」とか、そういうテーマのほうが、全力でがんばれるんじゃないか。そういう分野で起業したいんじゃないだろうか、自分は、と。そこで、勉強の場として、ホームレスの方の支援の現場とか介護現場とかを見に行って、その一環として、当時のLITALICOが関わっている障害者施設に見学に行ったんです。そこで、ひとりの女性と出会いました。
そこは、重度身体障害の人の入所施設で、手足が不自由なその女性は、ヘッドギアにペンをつけて、データ入力をしていたんです。仕事をひと月がんばって、工賃は月2000円。そのお金で何かするの?って聞くと、「お母さんにプレゼント買いたい」って。いい話だなぁって思っていたら、その施設の人に、「お母さんはいつくるんですか?」と聞いたら、はっきりした答えが返ってこなかったんですね。
次に会いに行ったとき、彼女が使っているパソコンのデスクトップに、「おかあさん」っていう詩が入っているのを発見して、「見ていいですか?」って言って見せてもらうと、「おかあさん、産んでくれてありがとう、いつか会えたらうれしいな」という感謝の気持ちがたくさん綴られていて心を打たれました。
――切ないですね……。
社会をよくする仕事をしたいっていっても、どういう世界が本当に理想なんだろうと、常に考えながらいろんな人に会っていたんですが、それを見たときに、彼女のような人が幸せになれる世界なんだな、と思ったんです。一方で、お母さんも大変だったんだろうと思う。だれが悪いということではないんです。環境や社会の側をどう変えていくのか、という問題なのではないでしょうか。
ここからやろう、スタート地点はここだ!
それで入社したんです。
就職斡旋は「身体障害の人」にばかり集中しているという現実
――LITALICOの前身は、主に障害のある人の就労支援や職業の斡旋などでしたよね。
そうです。今ももちろん、それは事業の大切な部分です。ただ、年数をかけて、本当の「支援」とはなんだろうと考え続けていて。
企業側の就労ニーズに合わせてやっていくと、障害のある方が人材紹介会社に登録しても、そのうちの10%しか紹介できないんです。企業がお金を払って採用したいという層が限定的なため、引き合いが大きいのは、身体障害の人ばかり。一方、エンパワメントや工夫や訓練が必要な方々がいて、そういう方の環境を変えることが、社会課題の解決につながると当時考えました。
障害のある方が就労しようとした場合、当時は、あまり選択肢がありませんでした。ご本人にとって必要な支援・支援リソースとのつながりがないまま、自分にとってやりたい仕事や適する環境は何かという選択肢を持てず、苦しい状況で就職活動を続けられている方も多くおられます。職にブランクのある方はなおさらで、幼い時期から家に引きこもって職歴のない状態を10年続けていると、自信がもてなくて、また働くことから遠ざかる。悪循環です。
その人らしく働ける環境をつくることが社会課題
――そうですね。そして、障害のある方の「作業所」ですることといえば、その方に合う仕事というより、「そこにある仕事」として、ボールペンに芯を詰める仕事などをすること、というイメージが強いです。
私たちの役割としては、その人がその人らしく働けるように、心をエンパワーしたり、職業的なスキルをみにつけるサポートをしたりすることがひとつ。
もうひとつは、企業の側の課題のために、働く困難がある、という面があり、「社会の側の障害」を変えることによって、多様な人が自分らしく働ける環境をつくりたいと思ってます。
環境を変えることこそが、社会課題だし、障害のある方がその人らしく働いて生きていける土台だと思うのです。我々は、そういう観点で挑んでいきたいと考えてます。
障害のある方がその人らしく納得のできる職業に就くって、たとえばどういうことでしょうか?
飛行機が大好きだという方がいるんです。だから、「パイロットになりたい」と。でも、パイロットという職業は、視力や体力や、さまざまな条件があって、一般的にもなることが難しい職業だと思いますが、あくまで私たちは本人の自己決定を第一にしているので、実際に空港の様々な仕事の見学ツアーにいくことにしました。そしたら見学ツアーの後にご本人が「実際に今日飛行機に関係する様々な仕事を見学してみて、飛行機の操縦をしたら、大好きな飛行機の姿が見えないことが分かった!」という発見をされて、
結果的に今、その方は、整備の一員として空港で働いています。夕暮れ時の空を飛ぶ飛行機を見るときが、一番幸せだとおっしゃっています。
私たちは、そういう幸せを提供していけたら、と思っています。
障害のある人が生きやすい社会は、だれにとっても生きやすい
発達障害、精神障害、知的障害……。私たちはそれらを持つ方々を「障害のある方」とひとまとめにしてしまいがちですが、当然ながらそれぞれの方にはそれぞれの個性があり、それぞれに得意なことがあります。障害のあるひとりひとりが、自分らしく生きていける社会をつくること。それはそのまま、すべての人が生きやすく、学びやすく、働きやすい社会を作ることとなります。長谷川さんは、20代前半からそのことに気づいて、まっすぐに進んできました。
次回は発達障害にフォーカスをして、「教育」の側面から社会課題を語っていただきます。
記事監修
1985年、岐阜県多治見市笠原町に生まれる。2008年名古屋大学理学部卒。2008年5月、株式会社LITALICOに新卒として入社し、2009年8月に代表取締役社長に就任。
撮影/五十嵐美弥 取材・文/三輪 泉