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「トーキングゲーム」のベースになっているのはカウンセリングの手法
「トーキングゲーム」は、「傾聴(聴く)」と「自己開示(話す)」というカウンセリングの手法がベースになっています。
自暴自棄になって心を閉ざしてしまった自閉スペクトラム症の男子高校生のために、筑波大学附属大塚特別支援学校(当時)の安部(あんべ)博志先生が考案したのが始まりです。
たったひとりの子のために作った教材が、なぜこれほどまでに多くの人を魅了するようになったのでしょうか。
安部先生からお聞きした、「トーキングゲーム」が生まれた背景をお伝えします。
ある「ひきこもりの少年」との出会い
「息子の部屋のゴミ箱から気になる絵をみつけてしまって…」
特別支援学校で指導する傍ら、巡回相談もしている安部先生が、地域の保護者から受けた相談は深刻なものでした。 その絵には、首を括っている人の姿が鉛筆で描かれていたのです。他にも同様のシーンを連想させる絵がいくつもあったといいます。
当時高校1年だったその男の子は自閉スペクトラム症の診断を受けていました。中学校の成績はトップクラスで、屈指の進学校に通ったものの、まわりとうまくやっていけず、いじめにもあい、不登校となって部屋に引きこもる生活が続いていました。
親に暴言を吐くようになり、昼夜逆転の自暴自棄に陥っていたといいます。そんな息子の部屋で見つけた衝撃的な絵。母親が心配するのも無理もありません。
少年の口癖は、「どうせ、僕なんか生きる価値のない人間」
話を聴いた安部先生は、彼と面談しました。 気になったのは、彼の口癖です。
「どうぜ、僕なんか生きる価値のない人間ですから」
二言目には、こうつぶやくのです。
彼の自己肯定感の低さが口癖からもわかります。彼には、必要とされる役割が必要と安部先生は考え、教師の手伝いをしてもらうことにしました。
先生、またあのゲームやろうよ。彼のために手作りした「トーキングゲーム」
しかし、彼にとって教師の手伝いはおもしろいものではなかったようです。次第に学校に来なくなってしまいました。 そこで、安部先生は彼が喜んで学校に来てくれそうなものとして、日替わりでいくつかのゲームを用意しました。
そのゲームの中に「トーキングゲーム」もありました。安部先生が、彼のために手作りしたゲームです。
ゲームはいくつもあるのに、彼は決まって「先生、またあのゲームやろうよ」と言いました。すっかりトーキングゲームが気に入ってしまったようです。
「トーキングゲーム」とは、カードを引いてそこに書かれた質問に答えるゲーム。ゲームと言っても勝ち負けがあるわけではありません。ルールはたった一つ。「人の話を黙って聴くこと」だけ。
安部先生は、彼のための質問カードをいくつも用意しました。
「心の底から叫びたいことがあったら、話してください。」
「お母さんに言いたいことがあったら、教えてください。」
「生まれ変われるとしたら、どんなふうに生きたいの?」
彼は、最初から乗り気だったわけではありません。いつも斜に構えて答えていました。でも、なぜか、毎回トーキングゲームをやりたがるのでした。
そんな失敗、人に話していいんですか?
週1回の面談の度に行う トーキングゲームは、次第に彼と安部先生の間を親密なものにしていきました。 三か月ほど経った頃のことです。
「思い出すと穴に入りたくなるような体験を、そっと教えてちょうだい。」
この、過去の失敗や嫌だったことを答える質問で、安部先生は自分の失敗や嫌だったことを包み隠さず話しました。
色が黒かったので「くろべえ」と呼ばれて嫌だったこと。
小学2年生のときに教室でお漏らしをしてしまったこと。
すると彼は「え、先生、そんな失敗、人に話していいんですか」と、とても驚いたといいます。
「いいんだよ、これは、2人だけの秘密だから」と安部先生は答えました。
そんなやりとりをするうちに、彼は自分が嫌だったことを堰を切ったように話し始めました。
「教師はみんな偽善者だ」
「親は僕をいい大学に行かせることしか考えていない」
親や教師に対する憎悪が、これでもかというくらいに次々で彼の口から出てきたそうです。 憎悪を吐き出すだけ吐き出すと、彼は、こう呟いたといいます。
「でも、俺みたいな人間とつきあうのは大変だったろうな」
トーキングゲームを通して、彼は生まれて初めて、心を開いて人と話す経験をしたのでしょう。
理想の一日とは?息子の答えに、涙する母
安部先生は、彼の様子を母親に伝えるためにトーキングゲームのことを話しました。
『こんな一日があったらいいのになぁ・・・』という理想の一日について話してください。
この質問カードへの彼の答えを聞いた母親は涙を浮かべたそうです。
彼はこう答えていました。
「そうですね。ポカポカと暖かい陽射しが降り注ぐ春がいいですね。朝気持ちよく目覚めたら布団をあげる生産的な活動をして1日をスタートさせたいですね」
昼夜逆転していた息子の理想の一日は、母親の思いもよらぬものでした。
安部先生は「活動」という部分に着目していました。布団を上げることすらハードルの高い活動となっていた彼に、生活の中で小さな達成感を味わえるよう、母親にアドバイスしたといいます。
母親は、親のエゴを押し付けていたことに気づき、彼はその後、ひきこもる生活から抜け出しました。
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「聴く」ことの大切さを教えてくれるトーキングゲーム
だれもが競うよう発信(話す)する時代だからこそ、受信(聴く)してもらえている安心感が求められているのかもしれません。
私は、この話を聞いて、ぜひ製品化して多くの人に使ってもらいたいと思いました。「傾聴と自己開示」という名の手作り教材の名前を「きいて・はなして はなして・きいて トーキングゲーム」と名づけて、親しみやすいデザインに変えて世に出しました。
お子さんの話、聴いていますか?
トーキングゲームを通して見えてきたのは、「聴く」ことの大切さです。自分の話を否定せずに最後まで聴いてもらえることで、人は安心します。そして、「あなたはそこにいていいよ」という居場所さえも作ってくれるのではないかと思いました。
今、トーキングゲームは、教室という枠を超えて、家庭、療育施設、子ども病院、高齢者施設、日本語学校、高齢者施設、会社の新人研修の場と活用される場を増やし続けています。
心を開かない相手に、子どもが心を開いて話したりはしません
安部先生が教えてくれた「トーキングゲーム」を楽しむための心得です。
子どもが話しているときは、途中で質問をしないようにしましょう。また、なかなか話さない子に、答えを誘導するような質問の仕方も避けてほしいですね。子どもに答えてほしければ、まず大人が自分から心開いて話す、自分がモデルになって話すことがポイントです。心開かない相手に、子どもが心を開いて話したりはしません。
単純な質問もあれば、答えるのに時間のかかる質問もあります。親子でも、知っているようで案外知らなかったことに気づくかもしれません。
教えてくれたのは
トビラコ店主
元子育て雑誌編集者。道具で発達を支援するネットショップ「tobiraco」を運営。現場で効果のあった教材を特別支援学校の先生と商品化。商品化された教材は「トーキングゲーム」「すきなのどっち?」「見る目をかえる 自分をはげますかえるカード」「きもち.つたえる・ボード」など。また医師と放課後等デイサービスとで「療育アロマ」を共同開発。「安心にまさる環境なし」をモットーに教材から生活用具まで販売。『発達障害の子のためのすごい道具』(安部博志・著 tobiraco・編集 小学館)を編集。
構成/Hugkum編集部 イラスト/本田亮