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2001年に小学校の校長先生が始めた「弁当の日」活動は2400校が実施。20年目に映画になったワケ
「弁当の日」とは、小学校や中学校の子どもたちが、自分で弁当を作り学校に持ってくる日。弁当のメニューから買い出し、調理、弁当箱詰め、片づけまで、すべて一人で行う。親は一切手伝わない。子どもが本来持っている「生きる力」を育てようと2001年、当時香川県の滝宮小学校の校長だった竹下和男さんが始めた取り組みです。
「弁当の日」が始まって約20年。実践校は現在、全国で約2400校です。これまでもいろいろなところで紹介されてきましたが、多くの人が「『弁当の日』って、子どもが料理を作るあれね」と言います。もちろん子どもが料理をできるようになることは、とても大切なことですし、一生の財産になりますが、それは料理教室でもいいわけです。
学校での取り組みも、形骸化しているのが現実です。先生方にその変化を尋ねてみると「子どもたちが楽しそうにやっていますよ」という答えしか返ってこない。単なるイベントになっているのです。
でも「弁当の日」は、それだけではない。奥が深くて一言では伝えきれませんが、あえて一言でいうと「子どもたちを取り巻く環境が変わる」のです。
映画では、1年半かけて「弁当の日」を実践した家庭・学校を撮影
竹下先生は「弁当の日」の本質を伝えるために、全国の小・中学校を回り、講演活動をされていますが、すべて回り終えるには、あと何年かかるかわからない。「弁当の日」の取り組みは当時、私が在籍していた西日本新聞社の新聞連載でも取り上げられて、出版部で企画・編集を担当していた私は、それを書籍化しました。また『はなちゃんのみそ汁』の著者として講演会に呼ばれるたびに、弁当の日の意義も伝えてきました。
竹下先生は「弁当の日」で日本を変えようとしています。本気で変えようとしているんです。私はそんな竹下先生を応援したくて、メガホンをとりました。
映画は「弁当の日」を実践した学校や家庭の様子を一年半かけて撮影したドキュメンタリー映画です。
映画の中には「弁当の日」をきっかけに、親子喧嘩中の親子が仲直りしたり、不登校の子が学校に行ったりといったシーンが出てきます。
まさに「弁当の日」で、子どもたちを取り巻く環境がどう変わっていくのか、その様子が見てとれるのではないかと思います。ひとりでも多くの人に見ていただきたいですね。
単身赴任先に帰る父と、入院中のおばあちゃんにはじめて弁当をつくった6年生の女の子
「弁当の日」がもたらした変化について、竹下先生の著書『泣きみそ校長と弁当の日』(西日本新聞社)から、エピソードを一つご紹介しましょう。
テーマを設定して「弁当の日」を実践することにしたある小学校に通う、6年生のさきちゃん(仮名)という女の子の話です。その日の弁当のテーマは「感謝弁当」。
さきちゃんは感謝弁当というテーマから、一つは単身赴任先から帰ってくるお父さんの分、一つは入院中のおばあちゃんの分、それから自分の分を作ろうと決めます。一つ作るのに何時間もかけていたのに、一度に三個なんて作れるのだろうか、とお母さんは心配するわけです。それでもさきちゃんは、その日、朝早くから起きて頑張って、三個の弁当を完成させました。
新幹線の中で泣きながら食べた父
単身赴任中のお父さんは、そのうちの一つを受けとって、職場に行く新幹線の中で朝ごはん代わりに食べました。
いつもいつも母親にくっついていた甘えん坊の娘が、早起きをして弁当を作った。
「いつのまにこんなに成長してたんだろう」
娘の成長の日々を振り返って、初めて娘が作ってくれた弁当を食べながら、涙がとまらなかった父。職場に着いてすぐに、お母さんに電話しました。
「おいしかった。うれしかった。さきに必ず『ありがとう』と伝えてくれな」
自分のための弁当は初めて。正座して食べたおばあちゃん
入院中のおばあちゃんのところへは、お母さんが届けました。
孫が初めて作ってくれたお弁当を前に、おばあちゃんは言いました。
「今まで家族のため、人のために弁当を何十年も作り続けてきたけれど、自分のために弁当を作ってもらったのは、これが初めてだ」
ベッドの上に正座して食べ始めたおばあちゃん。
「ありがたいねぇ。ありがたいねぇ。おいしいよぉ。おいしいよぉ。ばあちゃんは幸せ者だって、さきによう伝えてくれな」
お父さんやおばあちゃんからの伝言を、お母さんは学校から帰ってきた、さきちゃんに話しました。
あなたが作った弁当で、こんなことが起こったよって。そうしたら、さきちゃんは、自分が作った弁当で、こんなに喜んでくれる人がいる、大人が喜んでくれることに驚きました。
「まだまだ上手じゃないのに、どうしてそんなに喜んでくれたんだろう」
でも、さきちゃんは「もっと弁当を作ってあげたい!」と思ったそう。
母を失った5歳の娘が父を思ってつくったみそ汁
これは私の娘が、みそ汁を作ったことと全く同じなんです。
『はなちゃんのみそ汁』は、妻が闘病中に綴ったブログをもとにした書籍ですが、妻はブログの中で「私がいなくなった後、生きる上で必須科目になる家事はできるだろうか」と、娘が4歳になると、すぐに台所に立たせて、みそ汁作りを教え始めました。その1年5か月後、妻は他界しましたが、娘は四十九日の朝に、母親に教わっていたみそ汁を作りました。
妻を亡くして毎晩のように酒を飲み、泣いている私の姿を娘はずっと見ていました。それでお父さんに喜んでほしい一心で、みそ汁を作りました。そうしたら見事に私が笑ったんです。悲しい気持ちとうれしい気持ちがないまぜになって涙を流しながら笑った。
お父さんとおばあちゃんにお弁当を作ったさきちゃんと同じ感情が、小さな娘にもわき上がってきたんです。こんな自分でも、みそ汁を作ることで、お父さんを元気づけることができたんだという感覚があったと思うんです。
自分がみそ汁を作れば、お父さんが笑ってくれる。泣いてばかりいたお父さんが、元気になってくれる。そんな父の姿を見たくて、娘は毎日みそ汁を作るようになりました。
台所や食卓は、子どもとのコミュニケーションを取る最適な場所
ただ、これは台所に子どもを立たせなければいけないということではありません。
親のそばに寄ってこない思春期の子どもが親といっしょに台所に立つ、食卓でごはんを作ってくれた親に素直に感謝する。生活の中にある台所や食卓は、親子がコミュニケーションをとるのに最適な場所。
私と同じく「弁当の日」を応援されている助産師の内田美智子先生も「弁当はコミュニケーションを取るための手っ取り早いアイテム。これを使わない手はない。だから台所や食卓という場を見直しましょう」と常々おっしゃっています。
「弁当の日」は、「生きる力」を身につけるてがかり
妻も闘病中に幼い娘にみそ汁づくりを教えましたが、それは最初の段階です。重要なのは、そこから先。
大切な人のために作り、その人に喜んでもらうことで、自尊感情が高まり、それがつまり「生きる力」になる。
妻は自分が病気になり、つらい思いをし、その困難を乗り越えようとしました。結局、自分の病気は克服できなかったけれど、これから娘に病気や何か困難が目の前に立ちはだかったときに、それを乗り越えていく力を身につけてほしい。それを身につける場所が、妻にとっては台所だったのです。
だから「弁当の日」は、ただ子どもが料理を作れるようになるだけではない。それだけではないんです。子どもたちが生きる力を身につける環境をつくる、その手段になるのが弁当の日なんです。
家族の数だけある、「弁当の日」がもたらす変化
「弁当の日」がもたらす変化は、家族の数だけ違います。
家族のありようはさまざまで、その悩みもさまざま。そんな多様な家族関係の中で、「弁当の日」は親子のコミュニケーションツールになったり、明るい方向に家族を導いたり、と絶妙な役割を果たしています。
「弁当の日」は特効薬ではありません。時間はかかるけれど、じわじわと効いてくる万能薬なのです。
2023年1月22日に東京・国立市で上映会があります>>>>
映画・『弁当の日~めんどくさいは幸せへの近道』
2019年に撮影をスタートし、2021年に完成したドキュメンタリー映画。『弁当の日』を実践する中学校や大学を舞台に、子ども自身や親子関係が変わっていく様子が描かれる。映画製作中に、安武さんは西日本新聞社を定年(60歳)まで約4年を残し早期退職。。映画「弁当の日」は自主上映で全国で上映会を実施中。スケジュールなどはサイトから>>>>https://bento-day.com/
教えてくれたのは
参考:『泣きみそ校長と弁当の日』(竹下和男・渡邊美穂/西日本新聞社)『“弁当の日”がやってきた』(竹下和男/自然食通信社)『できる!を伸ばす 弁当の日』(竹下和男編著/共同通信社)
取材・構成/池田純子 写真提供/安武信吾さん