天空の古刹・山寺(立石寺)とは? 松尾芭蕉も見た絶景が凄すぎる!

山寺(立石寺)は、山形県山形市にある天台宗のお寺です。江戸時代には俳人・松尾芭蕉が訪れて句を詠んだことでも有名です。山寺の登山口から奥之院までは1,000段以上の石段があり、老若男女問わず、大勢の参拝客が登っていきます。
山寺(立石寺)の魅力について解説します。

天空の古刹・山寺(立石寺)の歴史・特徴

「山寺(やまでら)」として親しまれている「立石寺(りっしゃくじ)」は、いつ開かれたのでしょうか。また、どのような特徴を持つお寺なのかを見ていきましょう。

清和天皇の勅願により、慈覚大師が建立

立石寺は、平安時代初期の860(貞観2)年に、清和(せいわ)天皇の勅願により、慈覚(じかく)大師が開きました。通称で「山寺」と呼ばれることが多いのですが、正式名称は「宝珠山(ほうじゅさん)立石寺」で、宗派は天台宗です。

開山の折には、伝教(でんぎょう)大師が比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に灯したとされる「不滅の法灯」が分与されています。

室町時代には、戦火により衰退した時期もありましたが、江戸時代に朱印地からの収入を得て再建されました。

現在は、約百町歩(約33万坪)の境内に、大小30余りの堂塔が残されており、「三つの不滅(法灯・香・写経行)」が今でも守られています。

1,000段を超える山寺の石段が有名

山寺の一番の特徴は、登山口から奥之院まで続く1,015段もの石段です。ふもとから山頂までの標高差は159mあるため、石段の途中で絶景を見渡すことも可能です。

参拝コースは根本中堂(こんぽんちゅうどう)から始まり、山門をくぐって奥之院まで登ります。奥之院から下山する際は、開山堂(かいざんどう)・五大堂(ごだいどう)を経由して戻ってきます。所要時間は奥之院までが30~40分ほどで、往復では1時間30分~2時間ほどです。

お年寄りや子どもでも登れるコースですが、体調に気をつけながら自分のペースで登りましょう。途中には細い道もあるので、譲り合う気持ちも大切です。

山寺(立石寺)「登山口」(山形市)。長い石段は、まさに「山登り」の参道となる。写真の石段を登りきると、奥に見える入母屋(いりもや)造りの根本中堂がある。
山寺(立石寺)「登山口」(山形市)。ここから始まる石段、まさに「山登り」の参道となる。写真の石段を登りきると、奥に見える入母屋(いりもや)造りの根本中堂がある。

石段を登るコースと見どころを紹介

ここでは、参拝コースの見どころを紹介します。ここで紹介するもの以外にも、石に彫られた神仏や数々の絶景ポイントがあるので、ぜひ自分の目と足で確かめてみましょう。

根本中堂

参拝コースは、山寺登山口の正面に見える大きな建物「根本中堂」からスタートです。根本中堂は山寺の本堂にあたる建物で、1356(延文元)年に初代山形城主・斯波兼頼(しばかねより)によって再建されました。

ブナ材を使った建築物としては「日本最古」のものといわれており、国の重要文化財に指定されています。

登山口の階段を登ると正面に見える大きな建物が、根本中堂。慈覚大師が自ら彫り込んだとされる薬師如来坐像が安置されている。
登山口の階段を登ると正面に見える大きな建物が、根本中堂。慈覚大師が自ら彫り込んだとされる薬師如来坐像が安置されている。

根本中堂には、比叡山延暦寺から分け与えられた「不滅の法灯」といわれる法灯が守られています。延暦寺では、天台宗の開祖・伝教大師(最澄)が灯した法灯をずっと守ってきましたが、織田信長の焼き討ちによって消えてしまうという惨事がありました。現在の延暦寺の法灯は、この山寺から分けられたものです。

宝物殿・日枝神社

根本中堂を出て右手へ進むと、すぐに見えるのが「宝物殿」と「日枝(ひえ)神社」です。

宝物殿には、仏像や宗教資料、文化財などが収蔵されています。日本最古といわれる伝教大師座像をはじめ、1144(天養元)年制作の如法経所碑(にょほうきょうしょひ)や数々の仏像が収められています。

日枝神社は、山寺全体の守護神として、860(貞観2)年の開基の際に日吉(ひえ)大社より勧請(かんじょう)されました。右側にある大きな碑は、大正天皇と貞明(ていめい)皇后が御幸(みゆき)されたときの記念碑です。

樹齢千年を超える奥の大銀杏(おおいちょう)は、山形市で最も太いとされる天然記念物で、慈覚大師が植えたと伝えられています。大銀杏の足もとには、俳人・高浜虚子(たかはまきょし)、年尾(としお)親子の句碑です。

日枝神社へと続く石段。

四寸道・弥陀洞・仁王門

山門をくぐり抜けてしばらく進むと、「四寸道(よんすんみち)」という昔ながらの修験道(しゅげんどう)が残っています。最も狭いところは14cmほどで、足を乗せるのがやっとの幅しかありません。

この道は、慈覚大師の足跡をたどって、私たちの先祖も子孫も参拝するという意味で、「親子道」「子孫道」とも呼ばれています。

さらに登ると見えてくるのが、「弥陀洞(みだほら)」と呼ばれる高さ約4.8mもの大きな岩です。自然の雨風によって岩が削られたことで阿弥陀如来(あみだにょらい)の姿が現れたとされ、その姿を見ることができる人は幸福になれるといわれています。

長い年月のうちに岸壁の凝灰岩が削られ、阿弥陀如来の姿を造りだしたといわれる「弥陀洞」。その姿が1丈6尺(4.8m)あることから「丈六(じょうろく)の阿弥陀」とも呼ばれる。
長い年月のうちに岸壁の凝灰岩が削られ、阿弥陀如来の姿を造りだしたといわれる「弥陀洞」。その姿が1丈6尺(4.8m)あることから「丈六(じょうろく)の阿弥陀」とも呼ばれる。

次に見えるのは、1848(嘉永元)年に再建された優美な「仁王門(におうもん)」です。けやきで造られた門の左右に安置された仁王尊像は、鎌倉時代の仏師・運慶(うんけい)の弟子たちの作とされています。

仁王像2体(阿像・吽像のうち画像は吽像)は鎌倉時代初期の名仏師運慶の13代後裔にあたる平井源七郎が手懸けたと伝えられる。
仁王像2体(阿像・吽像のうち画像は吽像)は鎌倉時代初期の名仏師運慶の13代後裔にあたる平井源七郎が手懸けたと伝えられる。

奥之院・大仏殿

山寺で最も高いところにある「奥之院」の名称は、参道の終点にあたることからきていますが、正式名称は「如法堂(にょほうどう)」です。慈覚大師が中国で修行していたときに持ち歩いていた釈迦(しゃか)如来と多宝(たほう)如来が、本尊として祀(まつ)られています。

奥之院の左側には大仏殿があり、高さ5mの金色の阿弥陀如来像が安置されているので、見逃さないようにしましょう。

奥之院を石段の下から見上げる。

この後は、山を下ることになりますが、「華蔵院(けぞういん)」に立ち寄ると、向かって右側の岩屋で「三重小塔」を見ることができます。日本最小の三重塔とされる小さい塔ですが、他の塔と同様の工程で組み上げられており、国の重要文化財にも指定されているので、一見の価値があります。

開山堂・納経堂から五大堂へ

いよいよ、山寺随一の絶景ポイントです。「百丈(ひゃくじょう)岩」と呼ばれる大きな岩の上に立つ「開山堂」へ行ってみましょう。開山堂の崖下には、慈覚大師の遺骸が金棺に入れられて葬られており、今でも毎朝夕の食事と香がお供えされています。

開山堂の左側にある赤い小さな建物は「納経堂(のうきょうどう)」です。この山寺のなかでも最も古い建物で、修行僧が4年の歳月をかけて写経した法華経が納められています。

巨大な岩の上に建てられた納経堂越しに眺める景色は、山寺でも屈指の景観です。もう一つの絶景ポイントは、開山堂・納経堂から少し登った「五大堂」からの景色です。断崖に突き出すように設けられた舞台から、山寺の全景を見渡すことができるでしょう。

山寺「五大堂」(山形市)。慈覚大師(円仁)による開山の30年後の建立とされる(890年頃)。五大明王を祀る道場で、断崖に突き出すようにお堂が建てられている。山寺全体はもちろん、ふもとの町並みや周辺の山々まで見渡せる、山寺随一の絶景。
山寺「五大堂」(山形市)。慈覚大師(円仁)による開山の30年後の建立とされる(890年頃)。五大明王を祀る道場で、断崖に突き出すようにお堂が建てられている。山寺全体はもちろん、ふもとの町並みや周辺の山々まで見渡せる、山寺随一の絶景。

松尾芭蕉と山寺(立石寺)

山寺は、江戸時代の俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)が立ち寄ったことでも有名です。山寺の境内には芭蕉の足跡を示すものが点在していますので見てみましょう。

「奥の細道」の旅で立ち寄る

芭蕉は、1689(元禄2)年に「奥の細道(おくのほそみち)」の旅で山寺に立ち寄っています。「奥の細道」では、尾花沢(おばなざわ)で山寺のことを聞き、わざわざ引き返して山寺に登ったと綴(つづ)られています。

芭蕉が訪れた時代は、今のような整備された参道ではなく「岸を巡り岩をはひて(水のふちを周り、這うようにして岩を登る)」という状態だったようです。

到着した山寺は、物音一つしない寂寞(せきばく)とした静けさで、芭蕉は山から見た絶景に「心澄みゆくのみおぼゆ(心が澄んでいくようだ)」と述べています。

芭蕉像と句碑、せみ塚

山寺登山口を入ってすぐの根本中堂の脇に、芭蕉と門人・曾良(そら)の像と、芭蕉の有名な句が彫られた碑があります。

閑さや 岩にしみ入る 蟬の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)」

セミの声が聴こえることによって、ますます静かさが際立ってくる情景を表現したこの句は、「奥の細道」のなかでも有名な句の一つです。

山門をくぐって仁王門近くまで行くと、芭蕉がしたためた短冊を埋めた「せみ塚」があります。後年、芭蕉の弟子たちが建てたもので、芭蕉が「閑さや~」の着想を得た場所が、このせみ塚のあたりではないかと考えたそうです。

芭蕉の句をしたためた短冊を納めた「せみ塚」。芭蕉が山寺を訪ねた62年後の1751年に、山形県の俳人壷中(こちゅう)らが建立。
芭蕉の句をしたためた短冊を納めた「せみ塚」。芭蕉が山寺を訪ねた62年後の1751年に、山形県の俳人壷中(こちゅう)らが建立。

山寺には、ほかにも斎藤茂吉(さいとうもきち)や高浜虚子など多くの俳人・歌人が訪れており、芭蕉の足跡を思って作品を残しています。参道のいたるところに句碑があるので、探してみましょう。

山寺(立石寺)に関する、その他の情報

実際に山寺を訪れたときに役立つ情報をピックアップしました。御朱印やおみくじ、お守りのほか、アクセス情報なども確認したうえで、山寺に行くようにしましょう。

御朱印・水みくじ・大きいお守り

山寺では、根本中堂や奥之院をはじめ複数の場所で御朱印をもらえます。どこで御朱印をもらえるか、御朱印帳が必要かなどを事前に確かめてから出掛けるとよいでしょう。

また、日枝神社には、ちょっと変わった「水みくじ」があります。おみくじを水に浸すと文字が浮かび出る仕掛けで、色とりどりの花が浮かべられた水桶(みずおけ)で季節感を感じられます。

日枝神社の水みくじは、季節の花を浮かべた水面におみくじを浸すと、おみくじに文字が浮かび上がる。
日枝神社の水みくじ。季節の花を浮かべた水面におみくじを浸すと、おみくじに文字が浮かび上がる。

もう一つ、日枝神社で人気が高いのは「大きいお守り」です。普通のお守りよりも大きく、健康・厄除(やくよ)けにご利益があります。「一番大きいお守り」から「大きい大きいお守り」「小さい小さいお守り」まで、さまざまなサイズが揃っているので好きなものを選びましょう。

アクセス・観光情報

●山寺へのアクセス方法

山寺へは、JR東日本「仙山線(せんざんせん)」が便利です。
・山形駅→山寺駅 20分
・仙台駅→山寺駅 50分
山寺駅から根本中堂までは、徒歩約7分です。

JR東日本仙山線「山寺駅」(山形市)。山寺の玄関口にふさわしく「寺社造り」の駅舎。2002(平成14)年に「東北の駅百選」に選定。山寺参拝客のために、コインロッカーが多数設置されている。なお山形と仙台のどちら方面もほぼ1時間に1本のダイヤなので要注意。
JR東日本仙山線「山寺駅」(山形市)。山寺の玄関口にふさわしく「寺社造り」の駅舎。2002(平成14)年に「東北の駅百選」に選定。山寺参拝客のために、コインロッカーが多数設置されている。なお山形と仙台のどちら方面もほぼ1時間に1本のダイヤなので要注意。

車の場合は次のようになります。
・山形駅、山形空港から30分
・山形北ICから15分
・仙台から1時間30分

●入山料
・大人300円
・中人(中学生)200円
・小人(4歳児以上)100円
宝物殿など山内の施設によっては、別途料金が必要なところもあります。

●冬季(12~3月)は、参拝時間が短いので注意しなくてはなりません。15時に入山受付が終了し、16時に閉山となります。奥之院からふもとまでは1時間ほどかかるので、取り残されないようにしましょう。

ご褒美は、石段を登った先の絶景!

山寺の魅力は何といっても、参道の折々で見渡せる景色です。そして、芭蕉の句にあるような静寂さを感じる雰囲気も魅力の一つです。だからこそ、登りきって辺りを見渡したときに、心が澄んでいくのを感じられるのでしょう。

今でも、1,000段以上の石段を登った先にある絶景を求めて、先人たちの足跡をたどって行く人が跡を絶ちません。山寺は今なお、天空にそびえる古刹(こさつ)として人々の尊敬を集めているのです。

宝珠山立石寺

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構成・文/HugKum編集部

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