節分の「鬼は外、福は内」っていつから言ってるの?
節分の豆まきでは、「鬼は外、福は内」、あるいは「福は内、鬼は外」と唱えながら豆まきをする人が多いと思います。鬼は家の外に出て行け、福は家に入って来いという意味ですが、このことばって、けっこう古くから使われていたということをご存じですか?
このことばがいつ生まれたのか、はっきりとはわかりませんが、室町時代にはそのように唱えられていたという確実な資料があります。
室町時代の京都が発祥?
一つは、『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』という、室町時代の京都五山の禅僧だった瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記です。「臥雲」は瑞渓周鳳の号「臥雲山人」に拠る名です。この日記の文安4年(1447年)12月22日のところに、明日は立春なので、あたりが暗くなってから煎った豆を部屋ごとにまいて「鬼外福内」の「四字」を唱える、と書かれています。当時、すでに煎った豆をまいていたこともわかります。12月22日が立春の前日だというのは、この時代の暦に拠っているからです。瑞渓周鳳は、この当時京都の相国寺(しょうこくじ)というお寺に住んでいました。おそらく京都の他のお寺でも、今と同じようなこうした豆まきの行事が行われたのでしょう。
美女が、言い寄る鬼を豆を撒いて追い出す狂言「節分」
もう一つ、『節分』という狂言があります。この中でも「福は内、鬼は外」が使われています。狂言も室町時代に発達しました。狂言『節分』はこんな内容です。
節分の夜に、女がひとりで留守居をしていると、蓬萊(ほうらい)の島から来た鬼が訪れます。鬼は女の美しさに心を奪われ、さかんに言い寄りますが、女はいっこうに受けつけません。反対に女はなびくと見せかけて、鬼の持つ隠れ笠、隠れ蓑、打出の小槌などを取り上げ、豆をまいて鬼を追い出してしまいます。このときに、女は「福は内へ、福は内へ、鬼は外へ、鬼は外へ」と唱えるのです。
「鬼は外、福は内」は豆まきのときに口にする、おまじないのようなことばですが、けっこう古くから使われていたことばだったのです。そう考えると、今年の節分の豆まきでは、「鬼は外、福は内」と大声で元気に叫んでみたくなりませんか。
ところで、こちらのウンチクは知ってますか?気になる方はぜひ読んでみてください。