【中学受験】サッカーも続け、御三家を第一志望に。成績は低空非行、母子バトルも増えて…

今年も中学受験シーズンが終わりました。第一志望校に進学できるのはわずか3割ともいわれ、辛い、大変というイメージが先行する中学受験。実態はどうなのでしょうか? HugKumでは、中学受験に取り組んだ親子6組にインタビュー。本音の体験談をお届けします。

【第3回-前編】ずっと目指してきた難関男子校に見事合格し、現在、充実した日々を送るアオイくん(中1/男の子/仮名)。塾の先生に「大金星ですよ!よく頑張った」と言わしめた中学受験ストーリーについて、母Ⅿ・Sさん(東京都)が語ってくれました。

周囲に影響され中学受験を意識。学童の代わりに4年生から塾へ

―まず、中学受験を始めたきっかけを教えてください。

 地元の公立小ですが、うちの子のクラス(東京23区内)では、少なくとも半数以上が受験する地域です。3~4年生ごろからだんだんお友達が塾に通い始めるので、それに私が影響されて中学受験を意識するようになって、うちも4年生になる春にスタートしました。

―パパも中学受験には賛成でしたか?

 この時点では、公立校出身のパパはやや後ろ向きというか、全面的に賛成!という感じではなかったですね。

―お子さんは中学受験を始めるときはどんな様子でしたか。

 最初はあまり乗り気ではなかったようです。でも、5年生、6年生になって周りが受験の話でもちきりになったら、息子も「ぼくも受験したい」と言い出すようになるだろうなと予想していました。そして、そのときからでは遅いと思ったので、とりあえず「やめてもいいから」と説得して、塾に通わせました。3~4年生になると、友達が次から次へ塾へ行くようになり、息子も「学童をやめたい」と言い出したのも理由の一つです。

―4年生で学童をやめたいと言い出したのですね。

 学童をやめるとなると、学校が終わったらすぐに家に帰ってきます。その後、私が仕事を終えて帰るまで、ずっとゲーム漬けになっているのもなあと思ったので、正直、家でゲームしているより塾に行ってくれているほうが安心という思いもありました。

―塾選びのポイントはどんな点を優先しましたか。

 うちは、サッカーありきの塾選びでした。サッカーのクラブチームに入っていたので、サッカーの練習日と重ならない塾を探しました。

―実際に、塾通いをしてみて、お子さんの様子はいかがでしたか。

  最初、息子は受験する気はなかったものの、いざ通い始めてみると、塾は好きになったようです。友達もすぐにでき、楽しく通っていました。特に、志望校別のクラスでは、周りの友達に刺激されて頑張っていました。塾の先生との相性もよく、親としても心配はありませんでした。

6年生の夏休み前までサッカークラブと勉強を両立

―習い事との両立はいかがでしたか。

 子どもの頃から続けていたピアノは、6年生に入った頃からお休みしました。でも、サッカーの方はギリギリまで続けました。

―学校選びの際、サッカー部の強い学校は視野に入れましたか。

 それは考えませんでした。もし進学した先のサッカー部があまりさかんでなくても、ジュニアユース(中学生のクラブチーム)に入ればいいとの判断で、特にサッカー部の強い学校という選び方はしませんでした。

―中学受験の塾通いとスポーツ系の習い事は、時間的にも体力的にも厳しかったのではないでしょうか。

 親としては、サッカーは5年生でやめさせるつもりだったのですが、たまたま通塾日とサッカーの活動日が重ならず、6年生の夏休み前まで活動していました。

おまけに、コロナの影響でいつもの練習場所が使えず、電車で1時間ほどかかる練習場に通わなくてはいけなくなってしまい。練習を終えて帰ってくると、21時過ぎで、しかもクタクタ。とても勉強に集中できるような状態ではありませんでした。夏休みは1日キャンプだけ参加。やはり、運動系の習い事と受験の両立は厳しいなと実感しました。

志望校決定のカギは校長先生のお話

―学校見学には行きましたか。

 (コロナ以前の)4年生の頃に数校行きました。でも、サッカーの練習や試合と重ならなければ…という感じで、それほど熱心にいろいろな学校を見て回ったわけではありません。そもそも、息子はその時点では、「絶対、中学受験するんだ!」「この学校に入りたい」という思いもありませんでしたし。その後、コロナ禍では、学校見学の機会は極端に減りましたし、息子は、結局ほとんど参加しませんでした。

―そうした中で、学校選びではどんな点をポイントにされたんでしょうか

 私が参加した学校説明会で、校長先生(同校出身)のお話に感動したのが、大きなポイントになりました。もちろん、校長先生お一人がその学校の歴史や校風を体現されているわけではないとは思いますが、少なくとも、このように尊敬できる校長先生を育んだのは、まさにこの学校なのだとも思いました。この学校で教育を受けて、将来、息子もこんなふうに成長できるなら、ぜひそうしたいと思ったのです。

―お子さんはどんな希望を持っていましたか。

 息子は、堅苦しい管理型の学校より、自由な校風の学校を希望していました。私がほれ込んだA校も、自由な校風で有名な学校です。我が子にぴったりだと思いました。その当時は、偏差値的にはかなり厳しいものがありましたが、第一志望に決めました。

―大学附属校は、視野に入れなかったのですか。

 息子は、塾の友達から情報を仕入れてきたのか、「大学附属校はダメなの?」と聞いてきましたが、親としては、大学受験は自分で勉強して突破してほしかったので、大学附属校は考えませんでした。

低空非行の成績に悩み、基礎力アップに費やした日々

―成績の推移はどうでしたか。

 低空飛行が続きました。塾に入った頃は、理系のクラスは上位クラスで、算数は得意になりましたが、息子は国語が苦手で文系クラスは一番下に近かったです。興味のないことは、適当に流してみたいです。通常クラスは、5年生から6年生の最後まで、半分より下のクラスで低迷していました。

―お子さんとぶつかることはなかったですか。

 ありましたよ~。私はコツコツ派で、私自身に男兄弟がいないせいか、男の子の適当さが理解できないというか、そもそも息子と考え方や感じ方が合わないというか

5年生の1学期は、コロナで塾も私の仕事もリモートになり、どちらも家にいたときはよくぶつかりました。私としては、塾の動画授業を受けている息子の様子が気になって、仕方ないんです。ノートも取らないし、ボーっと見ているだけの様子に、「本当に理解できているの?」と口を出すと、息子が「うるさいな」と反撃してきて

母子バトルしていると、パパが「うるさいから、もうやめろ!」と割って入ってくる始末でした。塾が再開されて、物理的に一緒にいる時間が減ると、そういうぶつかりかたはなくなりました。

―苦手科目はありましたか。

 国語です。漢字の間違いが多く、社会や理科などの記述問題でも苦戦していました。漢字が間違っていると、減点されたり、不正解になったりしますから。

―過去問との相性はよかったですか。

 9月になって、日曜特訓が始まり、過去問にも挑戦するようになったとき、ふと気づいたのですが、私が熱望していたA校の試験問題は相性がいいみたいで、特に算数は徐々に点数が上がっていきました。それでも、11月中旬の保護者会では、まだ理・社の基礎力が不足していると指摘されました。

―家では、どんな対策をしていたのですか。

 12月~1月は、朝、パパと一緒に漢字練習と理・社の基礎問題を解くのが日課にしました。6時30分~7時くらいの30分間は朝勉タイムでした。

パパも徐々に協力的に

―パパも受験に協力的になったのですね。

母 最初はあまり熱心ではなく、算数や理科について質問されたら答えるぐらいの感じでしたが、途中から見かねたらしく、勉強のサポートをしてくれるようになりました。漢字についても、丸覚えができない息子に対して「この字にはこんな意味があるよ」と説明しながら、丁寧に教えていました。

―基礎問題用のテキストは何を使いましたか。

 大手進学塾の基礎テキスト(一般に販売しているもの)を購入し、ずっと基礎がために当てました。間違えたところを中心に、解答だけでなく、理由も説明させながら、入試前日まで何回も基礎問題のチェックを繰り返しました。

―応用問題は解かなかったということですか。

 最後まで、過去問以外は基礎知識問題だけだったので、大丈夫かなあとやや心配でした。でも、塾の先生が「応用問題は、塾でやりますから」と言ってくださったので、それを信じました。

―基礎力UPに注力した結果、全体的な成績も上がりましたか。

 そうですね。基礎力がついてきたころから、日曜特訓の席次も少しずつ前に上がってきました。本人も「他の受験校より、A校は受かる気がする」と自信を持てたのが良かったと思います。

 パパとの朝勉強で基礎を強化して、目標校に向かって挑んだ受験の結果は!?

後編へ続く>>

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文・構成/ひだいますみ

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