史上最年少14歳でプロになったテニス選手が、なぜパティシエールに!? 23歳でママプレイヤーにもなった西村佳奈美さん「食べた人が笑顔になるお店を目指して」

2010年に史上最年少14歳3か月でプロテニス選手になり、5年後に一時引退するも、23歳の時にママとなってコートに復帰した西村(旧姓・辻)佳奈美さん。しかし、現在の彼女は都内の洋菓子店で焼き菓子の仕込みの真っ最中! 一体何があったのか、波乱万丈な人生について、そしてテニス生活で感じた苦労や今の想いを聞きました。

プロテニスプレイヤーが今年の8月に「蕎麦(そば)包み&蕎麦菓子の店・ボヌール」をオープン

 西村佳奈美さんと言えば、幼少期より父の英才教育を受け、2010年にはジュニア世界一を決める大会「Petits As」で優勝し、アジア人初のジュニア世界一に。同年422日に史上最年少(※2024.11現在)の143カ月で日本テニス協会認定プロ選手になった有名選手です。

プロ生活5年目の19歳の時に怪我で引退するも、その後結婚、2017年秋には出産を経験し、2018年1月に23歳のママとなってプロに復帰。現在は2人のお子さんを育てながらテニスに励んでいる…と思いきや、なんと洋菓子店でパティシエールとして奮闘していました。それはなぜなのか、忙しい仕込みの合間をぬって、お話を聞きました。

――なぜ洋菓子店をやろうと思ったのでしょうか?

西村さん家族が熟成そば粉を使うそば店を東京都葛飾区柴又で経営していて、ほかにもそば粉を使ってなにかお店をやりたいねと話したのがきっかけでした。最初は立ち食いそばの店もいいなと思ったのですが、職人を育てるのが大変で難しいため断念。

そんななか、昨年末にテレビを見ながら私が『ちっちゃい時、プロテニスプレイヤーとクレープ屋さんになるのが夢だった』とぽろっと言ったのを夫が聞いて、じゃぁやろうと。そこから場所を探し始めて、そば粉を使ったクレープと焼き菓子のお店を始めることになりました」

メニューは家族が経営するそば店で使用している熟成そば粉を100%使用したグルテンフリー。インタビューを受けながらも手を休めることなく、どんどん仕込みを続けます。

――もともとご自身がパティシエールまでやる予定だったのでしょうか?

西村さん「それが違うんです。まかせていたスタッフが新規オープン直前に体調不良で辞めてしまい、お願いしていたオープン準備もメニューも実はなにも決まっていない状態だったとわかったんです。

オープン日は決まっていたし、すでに看板にも『蕎麦包み』と『焼き菓子』と入れていたので、どちらのメニューもやらざるを得ない状況。そこで急遽私がパティシエールをやることになったんです」

直前までテニスの練習をしていた初心者がパティシエールに挑戦

お店のオープンは8月8日予定でしたが、この時すでに7月。お店のオーナーはつとめていたものの、お菓子作りは趣味でやっていた程度の初心者。ですが、本来担当する予定ではなかった西村さんがパティシエールを勤めることに。スタッフが辞める直前まで有明でテニスの試合に出ていましたが、ここからテニスの活動はストップすることになります。

そこからは文字通り寝ずに、イチから焼き菓子の試作を繰り返し、メニューやレシピを考案。8月8日オープンは叶いませんでしたが、予定を変更し、8月29日にテイクアウト専門店「蕎麦(そば)包み&蕎麦菓子の店・ボヌール」がオープンしました。

熟成そば粉のキャロットケーキやマドレーヌ。見た目も美しい焼き菓子の数々は急遽パティシエを勤めたとは思えないクオリティです。

そばにいた旦那さま曰く、西村さんは職人肌。少しの妥協もせず味を追求し、失敗すると「こんなのお客さんに出せない」と涙を流し、何度も試作を繰り返していたとのこと。「このくらい突き詰める人だからテニスで世界をとったんだな」と感動したそうです。

――なにが大変でしたか?

西村さんうちの店はそば粉を使用しているので、小麦粉を使ったレシピとは配合が違うので苦労しました。それに我が家の子どもたちは小学1年生の男の子と保育園に通う1歳の女の子とまだ小さく、夫以外近くに頼れる親族もいません。下の子は夜泣きをするので夜もゆっくり眠れないし……。でも人間追い込まれたらやるんです。こういうところでテニスで培ってきた忍耐力がいかされたのかもしれない(笑)。」

海外遠征では世界中の焼き菓子を食べた

忍耐力が培われたというテニスのジュニア時代には1人で海外遠征にも行くことが何度もあったそう。そこでは今の仕事につながる思い出も。

西村さん「海外に行ってもずっとテニスコートにいて、楽しみって食べることかしかないので、おいしいお店を探して食べに行っていました。これだけ海外をまわって食べ歩きしてる人はいないって自信を持って言えるくらい。もともと焼き菓子は好きだったので、世界中の焼き菓子を食べました。フランスはなにを食べても美味しかったですが、特にフィナンシェのレベルが高かったのをよく覚えています」

テニスのため、小学生で毎週末1人大阪→神奈川へ! 中1では海外遠征も経験

西村さんのテニス人生は、幼少期から厳しい父親の元で練習を重ね、小学校高学年になると毎週末1人で大阪から夜行バスに乗り、伊達公子さんや杉山愛さんも所属していた神奈川県の荏原SSCへ。好成績を残して評価される一方で、テニス漬けの日々で学校は休みがち、辛いことも多かったと言います。

――テニス時代のお話を伺います。どんなお子さんでしたか?

西村さん「運動が好きで活発だったと思います。親がテニスの英才教育をしていて、テニスに役立つようにとほかの習い事もすすめられて小3くらいまでは水泳、ダンス、空手、あとはミニバスもやっていました。4年生になるとテニスと水泳だけになりましたね」

テニス漬けだった幼少期

――プロを目指したタイミングは?

西村さん小学校高学年くらいから大きくなったらグランドスラムに出てとか、言うようになっていました。ただ、プロを目指そうと思ったのも自発的というよりはそういう風に父親から仕向けられていたから。『お前は大きくなったらテニス選手になって活躍するんだ』って言われていて、厳しい親だったので、自分でなにかを考えられる時間も与えてもらえなかったと思います。先ほど話したパティシエになるって言った夢も、もっと幼い頃の話です」

――特に苦労したことはありますか?

西村さん「1人で夜行バスに乗って大阪から神奈川の練習場まで通っていましたが、大変だと思ってもいなかった。それが当たり前だったので。当時は強くなるためにと1年の半分が海外生活で、ほとんど学校にも行けなかったので、周りと違うことも当たり前でした。

一番の苦痛は1人で海外に行った際、飛行機が遅れたり、荷物が届かない、ホテルがとれていない、現地で練習相手が見つからないなどのトラブルが起こったとき。誰も助けてくれないので自分で対応しないと解決しない。大変でしたね」

中学1年生にして1人でヨーロッパなど海外に行き、英語や時には中国語も駆使してトラブルも自分で解決する…ものすごいタフになりそうな生活だが、西村さんは「タフになるというよりも途中から精神的に壊れてしまった」と当時を振り返り本音を明かします。

ママとしてのアスリート生活も困難が多数

その後テニスは怪我で引退。しかし結婚、出産を経て、ママとして再びコートに戻ります。

復帰したての頃。幼い子を抱えての選手生活は大変だったと話します。

――ママとして戻るアスリート生活はどうでしたか?

西村さん「まず日本には現役のママプロアスリートはほとんどいないですよね。やはり旦那さんのサポートがないと、選手自身が動きにくいからだと思います。

私も独身時代に比べると本当に時間がなくて、練習も試合も夫に子どもの事をお願いしてやるしかない。家族の支えがないと難しいです。

あとは体形の変化もあります。私は上の子を妊娠した時に20キロ以上体重が増えてしまい、減量してコートに戻ってみたら出産で体が変わっていて。特に骨盤のゆるみがひどすぎて、激しく前後左右に動くと体幹がぶれちゃうんです。それが戻るのに1年以上かかりました」

ペースを落としながらもママテニスプレイヤーとして活動を続けていき、その後、第二子を出産。上の子にはテニスをやらせたが、あまり興味を示さなかったからスパッとやめさせたそう。もちろん今後はまだわかりませんが、自身の経験もあり「無理やりにはやらせたくないな」と話します。

いろいろなお客さんが来てくれてお話ができるのは楽しい

現在は、お店を軌道に乗せるためにテニスの活動はほぼストップ中。依頼を受けて近隣の学校にテニスの指導に行ったり、イベントに出たり、だそう。ただ、幼少期のように父に言われたとおりに動くのではなく、旦那さまと協力しながら家事、育児、お店の切り盛りする生活は、ハードながら充実感をにじませます。

熟成そば粉を使用したクレープは、おかず系からデザート系まで種類も豊富。

西村さん「いろいろなお客さんが来てくれて、お話ができるのは楽しいです。充実もしているけど、子どもとの時間がなかなか取れなくて。そこは悩みです。この間は休みがあったので遊びに行きましたが、もう少し一緒に過ごせるといいなと思っています」

――今度どんなお店を目指していますか?

西村さん「想いはいっぱいあります。店名の”ボヌール”って、そばの花言葉のひとつで幸福っていう意味なんです。みんながうちの蕎麦包みやお菓子を食べて笑顔になってくれるといいなと思っています」

テニスで培った忍耐力集中力でパティシエールまでこなす

 いくらやらなければならない状況になったとしても、全く違う分野にトライすること、集中して取り組み、お客さんに提供できるレベルまで仕上げること、そしてそれを日々作り続けることは誰でもできることではありません。

この日の取材中も手際よくどんどんお菓子を作り続け、難易度が高そうなカヌレもとっても美味しそうに仕上げていました。さすがテニスという厳しい競技で世界一をとった人の精神力だと感動。

今後のお店の発展、そしてその先にあるかもしれない西村さんのテニス選手としての復帰も楽しみにしたいなと感じたインタビューでした。

お店の由来の書かれた看板。食べると幸せになるおいしい商品の数々を提供。

蕎麦包みBonheur(ボヌール)
住所: 東京都足立区千住旭町41-14 かるがもガーデンB号室
営業時間: 12:00〜19:00(土日祝11:00〜)(食材無くなり次第次第営業終了)
定休日:火曜休み(詳細はInstagramを確認)

蕎麦包み Bonheur(ボヌール)(@soba_bonheur) • Instagram写真と動画

お話を伺ったのは

西村佳奈美さん

プロテニスプレイヤー、「蕎麦包み Bonheur(ボヌール)」パティシエール。

幼少期より父の英才教育を受け、小学校高学年時には伊達公子や杉山愛も所属していた荏原SSCに通うため毎週末、大阪↔神奈川を一人夜行バスに乗り練習に行く生活を送り、Jr.時代には海外遠征を一人で回るという経験をするテニス漬けの日々。2010年にはフランスで行われるJr.世界一を決める大会「Petits As」で優勝しアジア人初のJr.世界一になり、同年4月22日 史上最年少(14歳3ヶ月)にて日本テニス協会認定プロ選手に。

2016年より二年半の休養も結婚、出産を経て心機一転、2018年より現役復帰。2023年第二子出産。2024年8月より熟成そば粉を使用した「蕎麦包みBonheur(ボヌール)」オープン。

こちらの記事もおすすめ

16歳、自閉スペクトラム症のパティシエ・みいちゃんの母の子育てポリシーとは?「学校は選択肢の1つ」「自分の行きたい道で1日を楽しく」
自閉症スペクトラム症『場面緘黙症』などの特性があるみいちゃん 『みいちゃんのお菓子工房』で、パティシエとして活躍する現在16歳のみいちゃん...

文・構成/長南真理恵 撮影/HugKum編集部

編集部おすすめ

関連記事