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両親のすすめで幼稚園からインターナショナルスクールへ
数々のバラエティー番組でMCをつとめ、「つっこみ力」で注目を集めるほか、英語力を生かして、人気YouTubeチャンネル等にも多数出演するお笑い芸人、トンツカタン・森本晋太郎さん。優れた英語力は幼稚園からのインターナショナルスクールで培ったと言います。
――幼稚園から高校まで「インターナショナルスクール」に通われたそうですが、ご両親はどんなことを望まれて入園させたのでしょうか。
森本さん 元をたどると、僕の幼なじみがインターナショナルスクールに入ることをうちの両親が聞き、「そういうところがあるんだ! 英語を話せるようになったら世界でも活躍できる人材になるんじゃないか」と入れることにしたようです。
めちゃくちゃ裕福な家庭というわけではなかったです。僕だけ試しに入れてみたようですが、両親的には博打ですよね。通わせてみたら最終的には芸人になっちゃって。
――確かに予想外ではあったでしょうね(笑)。妹さんはインターナショナルスクールには通っていないんですか?
森本さん 妹は普通の公立校に行きました。僕が通っている学校は男子校だったので、妹はそこに通えないということを最初から受け入れていたのかもしれません。でも、妹に特にうらやましがられた記憶はないんです。
家庭では英語を話す機会がなかったですし、英語を話してきらびやかな生活をしているわけでは全然ないので(笑)。

英語以外は使えない環境に入ったことで、明確に話せるように
――幼稚園から小学校に進学する際、いわゆる一般的な学校に行くかこのままインターナショナルスクールに通うかを聞かれ、ご自身で選択されたそうですが、行くことにしたのはなぜですか?
森本さん 当時はまだ幼かったので、明確な考えがあったからというよりも、変化するのが怖くて……っていうのに近かったかもしれないですね。
――じゃぁ、そこが居心地が悪いわけでもなかった?
森本さん って記憶はしているんですけど、実は1年生になるころは、まだあまり英語がしゃべれてなくて、割とストレスもあったんじゃないかなと思うんです。でも、そこを選んだんですよね。
――幼いながらそれは大変でしたね。
森本さん 大変でした。小学1年生ぐらいまでは、幼なじみもいましたし、スクール内に日本語が話せる子が何人かいて、なんとなく切り抜けられていたんです。でも2年生になったら、クラスに日本人が僕1人だけだったんです。
英語以外使えない環境に入ったことによって、英語をしゃべらなくちゃいけないようになり、そこから明確にしゃべれるようになった感じです。
――そのころヒアリングはできていましたか?
森本さん うーん、ヒアリングも曖昧で、小学校低学年程度の会話だったのでなんとか。そこからだんだんとできるようになっていったと思いますね。
両親は英語が話せない! 大変だった思い出は、焼きそばを焼き続けたこと!?
――そんな森本さんにご両親は英語を話せるようにどんなサポートをしていましたか?
森本さん うちの両親はどっちも英語が話せないので、サポートしあぐねていたと思います。できる限りのことはしてくれたんだと思うんですけど、結局、僕が英語を話せるようになる最大のサポートは、僕をインターナショナルスクールに入れてくれたことで、中に入ってからは自力でやるしかなかったですね。
――ご両親は英語を話せないなか、三者面談などで先生は英語ですよね?
森本さん そうですね。だから三者面談は僕が通訳してました。学校から親に見せる手紙も英語だったので、それも僕が読んで「こういうことを書いてあるよ」と伝えて。
――そんな当時を振り返って、ご両親があのときは大変だったよということはありますか?
森本さん それが、あんまり言われないんですね。ちょうど昨日も両親とご飯を食べていて、当時の『カーニバル』っていう文化祭の話になって。カーニバルは日本の文化祭と違って、生徒が出し物をするのではなく、親がその国の食べ物を作って屋台で出すんです。
”ジャパンブース”では日本人生徒の親が、鉄板で焼きそばをとにかく作り続けていました。昨日も「あのときは焼きそばをめちゃくちゃ作ったなー」って焼きそばの思い出しか出てきませんでした。大変だったとかそういう感じの話はなかったので両親も異文化を楽しんでいたのかもしれません。
――英語ではなく焼きそばが大変だったんですね(笑)。
スクールで小さいころから英語漬けだと、その場合日本語がおろそかになる人もいるようですね。
森本さん 確かに日本人でも英語がメインになっていて日本語が難しくなる子もいました。でも僕の場合、家では日本語でしたし、それはなかったです。
ほかにもお笑いのラジオを聞いたり、日本語に触れる機会が多かったんです。当時はそんなつもりでは聞いてなかったですけど。でも今思えば、ラジオって日本語を勉強するのにすごく適していたのかもしれないですね。中学生ぐらいからラジオを聞くようになって、お笑いがどっぷり好きになったという経緯もあります。

各国の子どもと過ごすことで「いろいろな人がいて、自分もその中の一人」と知った
――インターナショナルスクールで、英語以外に身についたことはありましたか?
森本さん 早い段階でいろいろな人がいるんだなっていう気持ちになったことです。僕だけが日本人とか、誰かだけが外国人という環境ではなく、いろんな国、いろんな個性の人がいるので、みんなと同じでなければならないという感覚がそんなになかったですね。誰が何をしてても悪目立ちしない環境でした。
日本の学校に行っていないのでドラマを観た限りですが、日本は生徒たちに1軍、2軍、3軍のようなピラミッドがあるイメージ。インターは陽な人たち、おとなしい子たちという性質はありますが、それがピラミッドになっていなくてそれぞれがグループとして点在している感じで、そこに上下関係がなかったと思います。
――学校にはどんな国の子たちがいましたか?
森本さん アメリカはもちろんアジア圏の人もたくさんいて、韓国、中国、インドも多く、ヨーロッパの人もいたり、多岐に渡っていましたね。
――やはりインターならではの環境ですね。
森本さん さらに男子校っていう輪をかけて珍しい環境で、振り返ってみると楽しかったですね。誰もモテようとしてなかったんで、そういうのも良かったです。放課後はみんなで遊びに行ったり、スポーツをして遊んだり。彼らのなかには日本のお笑いが好きな子もいて、日本のお笑いについて、日本語で話すこともありました。
――逆にそこに通っていたことで、大人になってから苦労したことはありますか。
森本さん すごいピンポイントで「お前だけだろ」っていう話でもいいですか? お笑いのネタを書くときに、“学校が舞台のネタを書けない”ことです。日本の学校のあるあるを知らないから、書くのが難しいんですよね。芸歴13年目になるんですけど、学生ネタはあっても学校が舞台のコントはありません。
やっぱり学校は全員が通っている道だから、“あるある”が共通していて、ウケやすいっていう前提条件があるんです。これを使えないのはデカいですよ! 学校さえ舞台にできればもっとウケてるはずなのに! (笑)
――あはは(笑)。誰かが学生時代の話をしているときもなかなか共感しにくかったり?
森本さん そうですね。”文化祭の準備をした”のような青春の1ページみたいな話がありますけど、こっちはカーニバルなんで。親が焼きそばを焼いてるんで。あまり思い入れがないんですよ。

お笑い芸人になりたくて日本の大学へ! 海外へ行って回り道をしてもよかった
――インターナショナルスクール卒業後、大学進学のタイミングで海外ではなく日本の大学を選んだそうですが、それに理由はありますか?
森本さん 日本のお笑いが好きで、日本でお笑い芸人をやろうと思っていたからです。本当は高校を卒業してすぐにやろうとしたんですけど、親に反対されて。
「大学は行ってほしい」っていうので行くことにしました。そこで海外の大学に行ってしまうと、お笑いも観られなくなるし、ロスしたくないという思いでした。周りの友達のほとんどが海外の大学に行くなか、僕は日本の大学に絞って選びました。
――大学で初めての日本の学校ですが、今までの男子校のインターナショナルスクールとはギャップはありましたか?
森本さん 大学はみんながモテようとしてるな、カッコつけてるなってすごい思っちゃったんですよ。今までそういうのが全くなかったんで、違和感がありましたね。雰囲気としては、今までの学校の方が合ってたかもしれません。
だから大学ではあまり友達がいなくて、孤立して過ごしていたのですが、3年生ぐらいになってお笑いサークルがあるらしいって聞いたのですぐに入って。そこでお笑い好きの人たちに出会えて、彼らと仲良く大学生活を過ごした感じですかね。
――日本の大学に行ってよかったですか?
森本さん 今になって思うのは、海外で4年間過ごしていたら、それはそれで思い出をテレビで話せたなっていうのはあります。
特に芸人の世界は、お笑い芸人を始めるまでに回り道をすればするほど、その人の人生が濃くなっていくんです。芸人になってすぐ売れた人って、意外と「30歳から始めました」みたいな感じで、それまでいろいろな経験をしてきた人が多かったりするのも理由にあるのかなと思います。
英語はこれ以上は忘れないという土台ができた!
――英語は今も学び続けていますか?
森本さん 学ぶっていう意識ではあまりやっていないかもしれません。
――それでも忘れないものですか?
森本さん ずっと英語の環境で育ってきたんで、「これなんだっけ?」っていうのはあっても、これ以下は忘れないっていうベースはある気がします。日常生活ぐらいだったら大丈夫ですし、英語の映画は全部字幕なしで観られます。
ただ、コントで僕が英語の先生を演じることになると、話せる分、絶対に間違えられない、正しくないといけないって思ってしまうので、そういうときは、英語の先生としてちゃんと話せるように少し勉強したほうがいいかなと思うこともあります。
でも、個人的には英語は間違ってても別にいいじゃんって思うタイプです。“The”や“a”があったりなかったりした場合、文章としては違和感があっても、伝えることが第一だからそれでもいいでしょうって僕は思うんです。
――なかには「英語が話せるって言ってるのに、そこの文法は正しくない!」 とか細かく指摘する人もいますもんね。
森本さん そうなんです、そういうところが日本の“英語頑張ろう率”を下げる要因なんじゃないかと思うんです。
ちょうど今、Netflixで、韓国のリアリティーショーみたいなのを観ていて。そのなかに1人だけ韓国人だけど、アメリカ生まれアメリカ育ちで、韓国語があまり流暢でない人がいるんですね。それで、その人が韓国語がわからなかったりすると、周りの韓国人たちはみんな英語でしゃべるんですよ。
そこでは全員が完璧な英語ではないけど、十分伝わるぐらいのレベルで話してて、それがすごくかっこよく見えました。日本もこれぐらいになったらいいのになって。言葉は完璧ではなくても、気持ちが伝わればいいですから。
――確かに「間違えたらどうしよう」が頭にあって、ますます話せない状況を生んでいると思いますね。
では、森本さんが今後お子さんをもったら、インターと一般的な学校のどちらに通わせますか?
森本さん 妹も楽しそうに日本の学校生活を送っていたので難しいですね。もしかしたら幼稚園だけインターに行かせて、卒園するときに子どもに聞くかもしれない。「このまま続けてインターナショナルスクールに通う?」って。今、親の気持ちがわかりました(笑)。
――では、これまで通ってきた道は気に入られているんですね。
森本さん インターでも日本の学校でもいいんですけど、いろいろなことを経験させてあげたいというのはあるかもしれないです。もし子どもがいたらそうかなって、最近思いますね。

――最後にインターナショナルスクールに興味を持っているパパママにメッセージをお願いします。
森本さん 振り返ってみると、インターナショナルスクールは個性をすごく尊重してくれる、のびのび育つ環境だったなと思います。
あ! インターに行って芸人になるってことは、ほんとに稀だと思うので、みんながその道を進むわけではないので安心してくださいっていうのを最後に言わせてください。これを読んでみなさん不安になっちゃうといけないので。
――(笑)。楽しいお話ありがとうございました!
大変な時期を乗り越えて英語の土台を築き、今では仕事の武器のひとつに
ご両親のすすめで、突如英語で学ぶ生活が始まった幼きころの森本晋太郎さん。最初は英語が話せず大変な思いをしながらも、コツコツと学び続け、今はもうこれ以上は忘れない! という英語の土台を築いたことは素晴らしいと思います。ご両親は当初、お笑い芸人の道を反対していたそうですが、今では身に付けた英語力を生かした仕事も多数! 英語はもちろん”ツッコミ力”も高く評価されている森本さんの今後の活躍も楽しみです。
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トンツカタン森本晋太郎さん|お笑い芸人
1990年、東京都出身。お笑いトリオ「トンツカタン」のツッコミ担当。プロダクション人力舎のお笑い養成所・スクールJCA21期を経て、現在はテレビやラジオで活躍中。新刊『ツッコミのお作法 ちょっとだけ話しやすくなる50のやり方』が発売中。
取材・文/長南真理恵 撮影/田中麻衣