子どもが「発達障害」と診断されている、もしくは、診断はされていないけれど、育ちや生活の中で気になることがあるとき、保護者は不安や心配を抱えやすくなります。星山麻木さんは、まだまだ療育施設や児童発達支援事業所も少なく、情報も乏しかった15年前の2005年から、発達が気になる子の保護者のケア活動を続けてきました。星山さんが始めた「発達サポーター講座」について、きっかけや保護者たちへの思いなどを伺いました。
不安でいっぱいの保護者の心のケアは誰がしているの?
音楽の教師だった私は、たまたま初任で特別支援学校(当時は養護学校と呼ばれていた)に着任。言葉もない、自力では動けない重度障害を持つ子どもたちを担任しました。そして、4年目で自閉症の子と出会い、もっと専門的に学びたいと思い、退職して大学院で特別支援教育を学びました。大学院在学中は子ども発達支援センターで週に1〜2回、非常勤で療育セラピストをやっていました。
お子さんを預かり、療育をするのですが、そこで出会うお父さんやお母さんの心のケアは誰がしているのだろう?と疑問に思うようになりました。大学院で特別支援教育の指導法の学位を取りましたが、「お母さんたちを助けたい」という気持ちが強くなり、アメリカに留学、さらに東京大学大学院にある「母子保健学教室」に入って保護者支援について学び、博士課程を修了しました。
子どもが好きで、お母さんたちをどうやったら支えられるか?とずっと考えてきて、その結果、教職員を養成する仕事につきました。大学の教員養成課程において、療育や特別支援教育が軽んじられていることが気になったからです。
通常学級にいる発達障害のある子たちとの出会い
子どもに関わる学校や幼稚園の先生、保育士や保健師などが、まず学ばないといい教育はできないし、保護者を支えることもできないと考えたのです。
その後、結婚・出産を経て、明星大学教育学部で教員養成の教鞭をとるようになったのですが、ちょうど障害児教育が、種別に分かれていた障害を、複数の障害に一つの枠組みで対応する「特別支援教育」になった頃でした。
教員養成の教育実習などで地域の小学校に行く機会が増えました。それが、通常学級にいる発達障害のある子どもたちとの出会いでした。特別支援学校に勤務していた頃に、重度障害の子どもたちはたくさん見てきましたが、通常学級の中に、こんなに適応に苦しみ、自分が何者かわからないで困っている子と、その保護者たちがいると、はじめて知ったのです。
お母さんからの口コミで広がった「発達サポーター講座」
見学した小学校はまさに「学級崩壊」をしていました。
授業中にドッジボールをしている子、そのボールを避けながら、騒ぐ子の存在を無視する先生と他の子どもたち。どちらも切なくて、とにかくもっと勉強をしてほしくて、「発達障害の理解と支援の方法」というようなタイトルをつけて保護者向け研修会を開催しました。しかし、参加者はたったのひとり。「困っている保護者はいっぱいいるはずなのに、どうして?」と、衝撃を受けました。
しかし、そのたったひとりの参加者であったお母さんと話して、その理由がわかりました。「うちの子は発達障害ではない」と思う、または思いたい保護者は、このタイトルでは来ないし、学校の研修会に参加すると、先生から「やっぱりね」と思われてしまうから困るというのです。そこで、孤立しているお母さんたちとつながるにはどうしたらよいか?を考え、「発達サポーター講座」を地域で開催しました。
ちょうどサッカーのサポーターという言葉が出はじめていた頃で、前向きな言葉として浸透していたので、よく考えて意識的に名づけました。
「頑張ればできるはず!」でも、できなくて苦しい
重度の障害がある子どもたちは、ひとりひとりの子どもたちに合わせて、その子が理解できる方法や打ち込める方法などを考え、教材も工夫してオリジナルな方法で教えます。しかし、通常学級にいる子どもたちは、みんなと同じ方法で、同じスピードで、同じようにやることを求められます。しかも、「頑張ればできるんじゃないか?」と、子ども自身も保護者も思ってしまうから、さらに辛くなります。「あなたのままでいいんだよ」「doingよりbeingが大事だよ」と誰も教えてくれないから、親も子もがんじがらめになっている‥‥。そんな時代でした。
初年度の「発達サポーター講座」は、たったひとりの参加者だったお母さんからの口コミで、30〜40名ほどが集まりました。発達障害の診断がついている子の保護者もいましたが、診断はついていないけど心配なところが多い、療育にも行ったことがないという人も多く、「頑張ればできるはずなのに」とママも子どもも傷ついていました。
お母さん同士がつながって、みんなで一緒に子育てしているよう
ADHDの子もASDの子も、個性豊かないろいろな子育てをしているママたちが集まりました。
「うちの子は、こういう騒ぎを起こしてきたんだけど、学校はわかっていないんだよね」
「子どもは家ではこう言っている」
「うちの子はこう思っているけど、みんなはこう思っている」
など、噛み砕いて話してくれるので、私自身もすごく勉強になりました。当事者の気持ちを話して教えてくれるから、教科書にないこともたくさんわかりましたし、発達の凸凹はまさに連続体なんだということもよくわかりました。子どもたちは学校でいろいろな事件を起こしていましたが、みんなで一緒に子育てをしているような感じでした。初年度に講座を受講したお母さんたちは、そのままこの講座の事務局をやってくれているので、その後に参加するお母さんたちの話にも「わかる、わかる」と共感してくれて、とてもあたたかい関係が続いています。
受講者たちが学びを継続できるシステムを作成
講座は特別支援学校の教諭たちが学ぶ指導法の教科書を使っています。
計21回の講座を1年かけてやるのですが、大切にしたのは、ただ知識を得るだけでなく、そこで友達を作ることです。毎年、年明けに説明会を実施し、春から受講をスタートするのですが、4、5月はみんな堅くて会話も少ないまま。それが、だいたい夏を過ぎたあたりから笑い声が絶えなくなり、講座修了後に誰も帰らない状態になります。そして、1、2月頃になると、これは何のサークルなの?と思うくらいの賑やかさ。
1年間の講座を修了する頃には、「やめたくない」「ひとりぼっちに戻りたくない」という人でいっぱいになります。しかし、次年度には次の受講生たちが待っています。そこで、「中級」を作ろう、「上級」も作ろう、さらには、対外的に説明しやすい「スペシャルサポーター資格」を認定しよう!となり、現在に至っています。これらのことは、受講したお母さん同士が自分たちで考え出して実行していること。受講者たち自身が学びを継続できるようなシステムを自分たちで作り出し、後輩たちにその道筋が続くようにしてくれています。
毎年100名ほどの「発達サポーター」が誕生し、地域で活躍
受講者は1年につき100名くらいで、現在15年間続いているので、すでに1500名以上の「発達サポーター」を輩出しています。受講するには何の制限もありません。当事者の保護者でなくてもよく、年齢などの制限もありません。だから、保護者だけでなく、地域で親子の力になりたい人や、ただサポーターになりたいという人も多いのです。また、児童発達支援事業所を立ち上げた人や、学習補助員や支援員など学校を支える仕事をしたい人、保育士、学童保育の指導員の人なども学びにきます。子どもたちと接するときの基礎知識として、発達を学んでいないことが不安だったと学びにきてくれています。
知識を得て、仲間とつながって、自信を得たお母さんたちは、「発達サポーターとして、自分を役立てたい」と思うようになります。次回は実際に「発達サポーター」として活躍するお母さんたちのお話をします。
お話を伺ったのは
明星大学教育学部教育学科教授。保健学博士。一般社団法人「星と虹色なこどもたち」会長。一般社団法人「こども家族早期発達支援学」会長など。東京学芸大学音楽課卒業後、養護学校で音楽教師を務め、退職後、横浜国立大学大学院博士課程(障害児教育)修了。東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻(母子保健学)博士課程修了。メルボルン大学客員研究員(早期介入)。鳴門教育大学障害児教育講座助教授を経て現職。中央大学文学部兼任講師。文部科学省大学設置専門員、教育委員、教育振興計画策定委員なども務める。著書に「星と虹色なこどもたち」(学苑社)など。
取材・構成/江頭恵子