国家総動員法とは?
「国家総動員法」は、日本の軍国主義の思想を色濃く反映する法律です。成立の背景には、泥沼化する日中戦争(1937~45)や、陸軍の強い圧力があります。
従来のような軍事力だけではなく、国家全体の人員や物資、社会思想までを総動員する「国家総力戦」が始まりました。
1938年に日本で制定された法律
国家総動員法は1938(昭和13)年、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の下で制定された法律です。
当時の日本は、中華民国(中国)との戦争の真っ只中にあり、国内は完全に戦時体制に突入していました。日中戦争の長期化が必至になると、政府は国力を総動員できる広い権限を持つことを必要としたのです。
国家総動員法の主旨は、「国内におけるすべての人的・物的資源を統制・運用する権限が政府にある」というものです。制定以来、政府は議会の承認を得ずとも、「勅令(ちょくれい)」で労働力や物資を調達できるようになり、日本は「国家総力戦体制」を整えていきます。
成立の裏には陸軍の強い圧力
国家総動員法の成立の裏には、陸軍の強い圧力があったといわれています。
日中戦争が勃発(ぼっぱつ)する直前、陸軍は「総動員法立案ニ対スル意見」を内閣に送り、総動員法の制定を促しました。
第一次近衛内閣は、「企画院」と呼ばれる内閣直属の官庁を設定し、国家総動員法の立案を行います。
国家総動員法案が議会に提出された際、衆議院や貴族院では、一部の議員が批判の声をあげましたが、軍の圧力に押し切られる形で可決されたのです。
国家総動員法の内容は?
国家総動員法は事実上、議会に、政府の「白紙委任状」を要求するものでした。政府はあらゆる資源を管理するとともに、国民徴用令(ちょうようれい)などの法令を次々に制定していきます。
国家総動員法の具体的な内容について見ていきましょう。
政府が人や物などの資源を全面的に管理
国家総動員法の第一条には、「国家総動員トハ戦時ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂(い)フ」とあります。
「国家総動員とは、国防目的達成のため、国の全力を最も有効に発揮するよう、人的及び物的資源のすべてを政府が統制運用する」という意味です。
第二条には、政府が統制運用する具体的な内容が記されています。
●軍用物資
●被服・食糧・飲料など
●医療機械器具・衛生用物資など
●船舶・航空機・車両・その他の輸送用物資
●通信用物資
●土木建築用物資・照明用物資
●燃料及電力
●上に挙げたものを生産・修理・配給・保存するのに必要なもの
●上に挙げたもの以外で勅令で指定する国家総動員上必要になる物資
政府が自由に法律を制定可能
国家総動員法によって、政府は議会の承認を得ずに、「勅令」として自由に法律を制定できるようになりました。「勅令」とは、天皇が発する法的効力のある命令のことです。
戦時中は、国家総動員法に基づく勅令として、数多くの法律が制定されます。
その代表格といえるのが「国民徴用令」です。16歳以上45歳未満の男性と、16歳以上25歳未満の女性を、強制的に軍需産業に従事させることができる内容で、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣によって1939(昭和14)年に公布されました。
このほかにも、「生活必需物資統制令」や「価格等統制令」「賃金統制令」などが制定され、国民の経済活動の自由が奪われていったのです。
国家総動員法が国民生活に与えた影響
1938年に制定された国家総動員法は、第二次世界大戦が終わるまで続きました。本法により、日本国民は、どのような生活を強いられたのでしょうか?
多くの人が戦争に参加させられた
国民総動員法によって、軍人以外の多くの国民も、戦争に巻き込まれることになりました。
太平洋戦争が始まり、国内の労働力が不足すると、政府は学生や生徒を「学徒勤労動員」として、農村や軍需工場に配置させます。未婚の女子も「女子挺身隊(女子勤労挺身隊)」として、さまざまな労働に従事させられたのです。
戦争に無関係な民需産業の工員は、軍需産業に強制配置され、国内は戦争一色となっていきます。1945(昭和20)年、国民徴用令や女子挺身勤労令など、五つの法令を一本化した「国民勤労動員令」が制定され、老若男女、病人までもが戦争へと巻き込まれていきました。
物資が不足し、生活が苦しくなった
戦時中は、政府による「経済統制」が行われ、ガソリン・綿糸・砂糖・マッチなどの生活必需品が、段階的に「切符制」となっていきました。国家総動員法では、軍需関連の生産が第一と考えられていたため、農業や繊維をはじめとする国内の民需産業は、次第に衰退していきます。
太平洋戦争に突入すると、物資の不足が著しくなり、米はもちろん、味噌や醬油、野菜までもが「配給制」になりました。配給は、遅配や欠配が続いたため、町には非合法の闇市(やみいち)が出現したといわれています。人々は、法外な価格で品物を手に入れるしかなくなっていったのです。
戦争が激化すると、「ぜいたくは敵」「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを掲げ、人々は窮乏を耐えしのんでいました。
言論の自由が奪われた
政府の統制は、経済面だけではなく、人々の思想や言論の自由までも奪っていきました。
1941(昭和16)年、近衛内閣は、国家総動員法の下に「新聞紙等掲載制限令」を公布します。外交・経済・財政など、政策遂行に支障を来す恐れのある事項を、新聞に掲載することを禁止し、違反すれば、発売禁止や差し押さえなどの厳しい処置が取られたのです。
太平洋戦争が始まると、戦況の悪化にもかかわらず、日本が優勢であるかのように報道する「大本営発表」が繰り返されました。「大本営」とは、日本軍の最高司令部を指します。
情報操作は、戦局が激化するにつれて多くなり、日本国民は「架空の勝利」を信じ続けることになりました。
全国民を戦争に引きずり込んだ法律
国家総動員法は、第二次世界大戦において、日本の総力戦体制の大本(おおもと)となった法令です。
軍部の圧力により、政府は帝国議会の承認なしで、国民生活のすべてを統制・運用する権限を獲得しました。その結果、日本国民の生活からは、自由と平和が奪われ、悲惨な戦争へと突入していったのです。
現在の日本は、「国の在り方を決める権限は国民にある」という国民主権を採用しています。戦争の反省を生かし、かつては国家主義的な傾向が強かったことも忘れないようにしたいものです。
この時代をもっと学ぶための参考図書
小学館版 学習まんが世界の歴史16「第二次世界大戦」
歴史教科書で有名な山川出版社の編集協力を得て誕生した「学習まんが世界の歴史」。この巻では日本で「国家総動員法」が発布されていたころの世界の動きが描かれています。20世紀前半のヨーロッパを中心に、第一次大戦後のヴェルサイユ体制から世界恐慌、ヒトラーの台頭、ソ連の誕生など、激動の「世界大戦」の時代を列強の政策・リーダーの思惑とともに追います。
学研まんが NEW日本の歴史11「大正デモクラシーと戦争への道」
こちらは日本国内の動きを大正時代から昭和戦前期までを扱います。この記事で扱った軍国時代より前の大正デモクラシーからはじまり、やがて第1次世界大戦、普通選挙法と治安維持法、そして昭和初期からの軍部の台頭、満州事変・日中戦争・太平洋戦争、ついに敗戦へと、近代史のハイライトが凝縮されています。
河出書房新社 ふくろうの本「図説 第二次世界大戦」新装版
51カ国が参戦し、6年にわたって世界各地で戦われた第二次世界大戦。参戦諸国はいずれも全国民を総動員し、近代技術の総力を結集した大消耗戦でした。そんな世界戦争の全貌を、270点余の豊富な写真で解説する永久保存版です。「戦争」を過ぎ去った歴史としてではなく記憶にとどめ、そこから学ぶべきものは何かを考察するための一助となる一冊です。
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構成・文/HugKum編集部