第二次世界大戦で連合国と戦った「枢軸国」。加わっていた国は?【親子で歴史を学ぶ】

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第二次世界大戦の状況を学ぶ際には、「枢軸国(すうじくこく)」への理解は欠かせません。枢軸国について正しい知識を身に付ければ、子どもに聞かれたときにも、自信を持って答えられるでしょう。枢軸国ができた理由や、加わっていた国、「連合国」との関係についても解説します。

まずは「枢軸」の意味を理解しよう

枢軸国の「枢軸(すうじく)」とは、どのような意味なのでしょうか。枢軸の言葉の由来や、本来の意味を見ていきましょう。

物事の中心を指す

「枢軸」は、「物事の中心となる大切な部分」を指す言葉です。

「枢」は、戸を回転させる仕掛けに使われる部品のことで、訓読では「くるる」とよみます。「軸」は、車輪やコマが回転するときの「心棒(しんぼう)」です。

何かを「回す」ために欠かせない物を表す二つの文字を組み合わせ、「物事の中心」という意味で使うようになりました。

「枢軸」の使い方

枢軸の使い方は、基本的に「中心」や「中核」などの名詞と同じです。

「国の枢軸を担う政治家」「枢軸産業」のように、主に政治や経済といった社会活動の中心となる物事を指すときに使います。

また、枢軸は国同士が友好関係となり、共同して行動する様子を表す意味で用いられた時期があります。「枢軸国」も、この意味で使われた言葉です。

「枢軸国」とは

第二次世界大戦では、世界が「枢軸国」と「連合国」の二つに分かれて戦いました。まずは枢軸国となった国と、当時の各国の状況について解説しましょう。

第二次世界大戦で結ばれた同盟の一つ

1936(昭和11)年、イタリアとドイツの間で、外交的な協力関係が築かれました。このとき、イタリアの首相ムッソリーニが、両国の関係を「ローマ・ベルリン枢軸」と呼んだことが、枢軸国の由来です。

ベニート・ムッソリーニ(イメージ)。1921年、国家ファシスト党を結成し、以後、20年以上にわたって首相の座を守り、独裁国家を確立した。45年、パルチザンに捕らえられ、処刑された。

 

同36年に、ドイツと日本が「日独防共協定」を、翌37年にはイタリアを加えた「三国防共協定」が締結されます。さらに40年には、アメリカの参戦に備えて「日独伊三国同盟」を締結したのです。

同盟によって軍事力を強化した3国は、枢軸国の中心となります。その後、3国側に加わって連合国と交戦した国々も、枢軸国と呼ばれるようになりました。

どの国が加わっていた?

日本・ドイツ・イタリアの3カ国以外の枢軸国は、フィンランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・タイの5カ国です。

フィンランドはソ連と交戦していたため、ソ連に侵攻を開始したドイツに協力する形で枢軸国に加わります。

ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアも、それぞれの思惑から日独伊三国同盟に加入し、枢軸国となりました。

タイは当初、日本軍の侵攻を受けましたが、さらにビルマへと向かう日本軍を通過させるのを条件に、独立の維持を保証されます。その後、アメリカ・イギリスに対して宣戦布告をしたため、枢軸国の一つに数えられているのです。

市街地を走り、観光客の脚となっているトゥクトゥク(タイ・バンコク)。東南アジアなどで普及している三輪タクシーで、各国で呼び名が違う。歴史的には、19世紀後半、東南アジアで西洋諸国による植民地化が進んだが、第二次世界大戦中は、タイは日本と表面的には同盟を結び、枢軸国として戦っている。しかし、タイは連合国側と二重外交も行っており、戦後、1946年には早くも国際連合に加盟している。

ファシズムとの関係

当時、イタリアとドイツは、「ファシズム」と呼ばれる政治体制を敷いていました。

ファシズムとは、「独裁主義」のことで、イタリアは「ファシスト党」、ドイツは「ナチ党」が他の政党をすべて排除し、一党独裁体制を確立していたのです。このため、ムッソリーニの発言後、「枢軸」はファシズム国家間の協力体制を表すようになりました。

しかし、枢軸国の中で、実際にファシズムとみなされているのは、イタリアとドイツだけです。またドイツの政治体制をファシズムと呼ぶかどうかは、今でも意見が分かれます。

それ以外の国はというと、日本は帝国主義、フィンランドは共和国、ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・タイは王国でした。

ファシズムは、枢軸国誕生のきっかけになったものの、枢軸国がすべてファシズムだったわけではありません。

枢軸国と関わりの深い「連合国」とは

第二次世界大戦で、枢軸国と戦った国々を「連合国」と呼びます。連合国の意味と、戦いの結果を見ていきましょう。

連合国の特徴や枢軸国との違い

連合国の名前は、1942(昭和17)年1月の「連合国共同宣言」に由来します。

アメリカの首都ワシントンで発表された連合国共同宣言は、アメリカ合衆国・イギリス・ソ連・中国の4カ国が中心となり、その他26カ国が集まりました。宣言の目的は、枢軸国を打倒するために協力することです。

当時、「連合国」と「枢軸国」との間には、資源保有量や植民地の面積に圧倒的な違いがありました。

広大な国土を持ち、鉄や石油が豊富に採取できるアメリカやソ連の勢いに、国土が狭く植民地もほとんど持たないドイツ・イタリア・日本は、徐々に追い詰められていきます。

連合国が優勢になるにつれて参加国は増え、45年3月までには47カ国が加わりました。

第二次世界大戦は連合国が勝利

1943年には、枢軸国の主要国イタリアが、連合国と休戦協定を結んで枢軸国を離脱します。45年5月にはドイツが無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争は終わりました。

日本は、3国の中で最後まで粘っていましたが、沖縄の地上戦や東京大空襲、広島・長崎への原爆投下、ソ連軍の参戦と、次第に追い込まれていきます。

8月14日に無条件降伏することが決まり、翌15日には国民に向けて発表されました。

また、連合国側の勝利で終わった第二次世界大戦後は、連合国に参加した国によって「国際連合」が組織され、現在に至っています。

国際連合本部ビル(アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン)。現在は、196カ国が加盟している。
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枢軸国への認識を深めよう

枢軸は、物事の中心を意味する言葉です。ドイツとの関係を「枢軸」と表現したムッソリーニの発言には、「自分たちが世界の中心である」とする傲慢(ごうまん)さが表れているといえるでしょう。その2国と協力し、枢軸の一翼を担おうとした当時の日本も同様です。

戦争では、負けた枢軸国はもちろんのこと、勝利した連合国も多くの犠牲を払いました。枢軸国・連合国のような軍事的同盟関係は、今後あってはならないでしょう。枢軸国に対する認識を深めて、子どもたちにも戦争の歴史をしっかりと伝えていきたいものです。

第2次世界大戦をもっと知るための参考図書

小学館版学習まんが 世界の歴史16「第二次世界大戦」


歴史教科書で有名な山川出版社の編集協力を得て誕生した「学習まんが世界の歴史」。第16巻では、20世紀前半のヨーロッパを中心に扱っています。第一次大戦後のヴェルサイユ体制から世界恐慌、ヒトラーの台頭、ソ連の誕生など、激動の時代をまんがでドラマティカルに追います。

単行本 小学館 「知らなかった、ぼくらの戦争」

アメリカ出身の詩人アーサー・ビナード氏が、日本人の太平洋戦争体験者たちを訪ね歩き、戦争の実態と、その時代に生きた個人の「生きる知恵」を探ります。
登場する体験者は、真珠湾攻撃に参加した元パイロット、「毒ガス島」で働いた元女子学徒、戦後GHQで働いた元事務員など。日本社会に詳しいビナード氏が、自身の受けたアメリカの教育とも照らし合わせながら、戦時下の日本に生きた人々への考察を深めます。

単行本 河出書房新社「図説 第二次世界大戦」

1939年、ドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦。その全貌を、270点余の豊富な写真で見せる永久保存版ともいえる図説解説書です。第二次大戦のキーワードとして登場する人物や地名が、ビジュアル図解でリアリティたっぷりに学べます。

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構成・文/HugKum編集部

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