※この記事は中編です。前のインタビューはこちらからご確認ください。【前編】
目次
海外での子育てに孤独を感じなかった理由
――日本からアメリカに移住して、3人の子どもを育てるのは大変だったと思います。なにか、難しさを感じたことはありますか?
久美子さん 今みたいにわからないことがあっても検索できないでしょう。特に、第一子の長男が生まれた時は本当に手探り状態でした。日本だと童謡を歌ったり、童話を読み聞かせたりしますよね。アメリカで育てるんだから、こっちの童話や童謡を教えてあげたいと思って、現地の子育てクラスに通いました。
――慣れない海外での子育てに、孤独や寂しさを感じたことはありますか?
久美子さん 友達に恵まれたおかげで、それはなかったですね。毎日公園に行くようになったら、年齢の近い子どものお母さんたちとすぐに仲良くなって。わからないことは彼女たちが何でも教えてくれたし、寂しさを感じたことはありません。
――久美子さんの明るくてオープンな性格が海外生活に合っていたんでしょうね。日本の文化をどこまで伝えるのか、悩みはありましたか?
久美子さん 伝えるというより、私が自然にしていたことを子どもたちが真似するようになりました。玄関で靴を脱ぐのもそう。家のなかで靴を履いたら、部屋が汚くなるじゃないですか。子どもたちの友だちが来た時も、うちの子が靴を脱ぐから、みんななにも言わず脱ぎますよ。
ピザにも必ずお味噌汁を。ヌートバー選手の好物は餃子!
――食事の際も、よく和食を出すそうですね。
久美子さん 私が、ご飯とお味噌汁が好きなんです。もちろん、今日はピザをとっちゃおうっていう時もあるんだけど、その時も、お味噌汁は必ずつけますね。お味噌汁がないと、なんかスッキリしない。だからうちは、ピザの日もお味噌汁なんですよ(笑)。ほうれん草なんかを入れると、栄養も摂れるでしょう。
――子どもたちも、和食好きですか?
久美子さん そうですね。ラーズは餃子が大好きなので、帰ってくる時はまず餃子を食べます。手巻き寿司も好きですね。あと、プロになってから食事に気を遣っていて、エアフライヤー(油を使わずに揚げ物ができる家電)を買ってくれました。ラーズのためにそれでとんかつを作ることもありますけど、やっぱり私は油で揚げたとんかつのほうが好きですね。
――ヌートバー選手は相当な和食好きですね! 子どもたちの健康のために、食事には気を遣っていましたか?
久美子さん そうですね、食事にはいつも気を付けていました。アメリカでは、ピーナツバターサンドとバナナみたいな簡単なお弁当を持ってくる子も多いけど、うちはサンドウィッチを作ったら野菜とフルーツを入れるとか、バランスを考えていましたね。だから、子どもたちは学校のカフェテリアでランチを買うのが夢だったそうです。
――夢!(笑)
久美子さん ラーズはカフェテリアでチキンナゲットとチョコレートミルクのランチを買うのが夢だったみたいで、一回だけ買ったことがあるんですが、チキンナゲットは冷たいし、チョコレートミルクは生温いし、量も全然足りなかったっていって、それっきりになりました。
ファーストフード好きな時代を経て、自分で管理するように。大谷翔平選手の影響も
――毎日お弁当を持たせるほど健康を意識していたのは、何か理由があるんですか?
久美子さん 私が子どもの頃は家が商売をしていて忙しかったせいもあり、食事のバランスよりもおいしくて簡単なものを食べていました。それで私、丸々と太ってたんですよ(笑)。小学生の時、肥満気味の子どもが入る「頑張りクラブ」に入れられて、休み時間に縄跳びをしなきゃいけなくて。体重を落としてあげようという取り組みだと思うんですけど、当時はすごくイヤだったんです。
――そうだったんですね。今はその面影はありません。
久美子さん 小学6年生の家庭科の授業で、食事の大切さを学んでから変わりました。以前から料理は好きだったので、家でも私が食事を作る担当になったんです。アメリカに来てからも、バランスのとれた食事は元気でいられる身体の源だと思って、お弁当を作っていました。
――映画やドラマを観ていると、アメリカの若者は、ファストフードが大好きというイメージがあります。
久美子さん ラーズもピザやハンバーガー、スナック類もすごく好きですよ。寮にいた大学生の時は、自炊したことがないんじゃないかな。だから、大学時代が一番太っていたと思います。それで膝に負担がかかって、高校生の時にアメフトでケガした膝の傷が痛みだしてから、食生活を改めるようになりました。プロになった今は、血液検査をするとなにを食べればリカバリーにいいのかわかるそうで、以前はそんなに好きじゃなかったアスパラガスをよく食べているようです。大谷くんも同じことをしていると言っていました。
子どもたち3人とも、反抗期がなかった!?
――現在のヌートバー選手は明るくてまっすぐな性格という印象がありますが、反抗期はどんな感じだったのでしょうか?
久美子さん うちは3人とも反抗期がなかったんですよ。だから、反抗期がどういうものなのか、よくわからなくて。
――え!? 親に反発することはなかった?
久美子さん ありませんでしたね。ほんとによく友だちと遊んでいたから、そのお母さんもうちの子どもとよくコミュニケーションを取っていたし、私も友だちをよく見ていました。地域の仲間全員で一緒に子育てをしたっていう感じだったから、友だちも反抗期がなかったと思います。
母として、いつも子どもたちに伝えていた言葉
――それはすごい。思春期の子どもたちとどう付き合っていたんですか?
久美子さん うちの場合、子どもたちが遊びに来るとだいたいリビングで話しているから、その会話に加わっていました。トランプをする時も、メンバーに入っていましたね。友だちの家に行った時も、同じような感じだったみたいです。
――そういう環境だと、親に不満を感じても、友だちの親にそれを話すことでガス抜きになる気がします。
久美子さん それはあると思います。うちの子の友だちから、「うちのお母さんがこうなんだけど」とよく聞きましたから。お母さんとケンカしちゃったという子に、「お母さんはお花好きなんだから、お花1本買っていけば、もう仲直りできるでしょ」ってアドバイスしたのをおぼえています。その子はラーズと一緒にお花屋さんに行って、バラを一本買って帰りました。きっとうちの子も、なにかあれば友だちのお母さんに話していたんだと思います。
――子どもたちを地域で育てるというひとつの理想的な形ですね。不安を感じることはありませんでしたか?
久美子さん 高校生ぐらいになると、親離れしますよね。友だちと夜、遊びに行ったりする時はもちろん不安なのですが、子どもたちにはいつも「Make the right choice」(正しい選択をしなさい)と伝えていました。子どもだから、いつでも間違えは起こり得ます。でも、お母さんが「Make the right choice」と言ってたなと思い出してくれれば、踏みとどまってくれるはずです。
――「Make the right choice」。いい言葉ですね。
次回、子ども時代はバスケやアメフトに、実はスポーツ万能だったヌートバー選手が、野球を選び世界で活躍するスター選手になるまでのお話です。
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取材・原稿/川内イオ